今も語り継がれる伝説の戦艦、戦艦大和について紹介されている
ドキュメンタリービデオを見た海外の反応です。

戦艦大和の詳細について少しだけ説明しますと、
大和は大日本帝国海軍が建造した史上最大の戦艦、大和型戦艦の一番艦です。

1937年に起工され40年に進水、翌41年に就役後、
1945年4月7日、天一号作戦において米軍機動部隊の猛攻撃を受け、坊ノ岬沖で撃沈。

建造費は1936年当時の試算で1億3600万円、
今の貨幣価値に換算すれば1兆円以上(修正しました)かかって作られ、
まさに日本の命運を握っていた戦艦であったと言えるでしょう。

この戦艦大和の沈没を契機とし、連合艦隊は2度と出撃することはなく、
これが日本軍の敗戦を象徴する出来事であったという史実が残っています。

ビデオの中では戦艦大和の誕生からその任務、沈没、
そして今現在、長崎県沖に静かに眠っている姿が収められています。

こういった戦艦などの建造技術は、戦後日本の経済の基盤となりました。
戦艦大和の主砲ターンテーブル技術は、
ホテルニューオータニ回転展望レストラン「THE sky」に応用されている
という話は有名ですね。

それ以外にも、軍事産業から派生した技術産業で戦後の日本は発展し、
世界第2位の経済大国となったのは皆さんも知っての通りです。
(中国は粉飾決済国家なので実際は世界第3位以下でしょう、
 日本は世界中に莫大な資産もありますし)

ともあれ、70年ほど前の無いモノづくしだった時代にこのような物を作り上げた
日本人の工夫と努力は素晴らしいと思います。


動画


以下、この動画と関連動画に対しての海外の反応


ヤマトは日本の戦争における失望の象徴だったと聞きます アメリカ +12

戦艦ビスマルクよりもずっと大きかった大和が沈んだのは、おびただしい数の攻撃を受けたからだろう +5 イギリス

■大和に使われていた金属はあまりよくないものだったと聞きたぞ アメリカ
■戦艦大和以外にもほかの戦艦を忘れることはありません 日本

■大和のほか、たとえば戦艦信濃は、第二次世界大戦中に日本海軍の最大の戦艦であった。最初は大和クラスの戦艦の第三として起工、信濃の部分的に完全な船体は1942年、建設途中で空母に変えられた。完成したとき、信濃は72000英t(73000t)、これまでに作られた最大の戦艦でした。 アメリカ

偉大な戦艦です、日本にとっては アメリカ

■長い歴史があるんだね メキシコ

これだけの映像が残されているということは、この戦艦が当時の日本にとっても今の日本にとっても重要なものであることがうかがい知れます。 フランス

■日本にとったらこの戦艦は重要な意味をもつ。 中国

■それにしても大きな船だな タイ

今この船と同じものを作ろうとしてもとても作れないでしょうね。 スウェーデン

■この戦艦があったからこそ今の日本があるんですね 日本

■実際にいまから70年以上も前にこんな大きな船が動いていたのだからすごいです。 アメリカ

■この海域にいた米機動部隊の艦船と飛行機による40以上の爆弾、12以上の魚雷の攻撃を受けて大和は沈んだんだ カナダ

結局この船が無ければ、良い意味でも悪い意味でも今の日本は無かったはずだ アメリカ

■国の威信がかけられた船だったんだろうな アメリカ

歴史がある素晴らしい戦艦だ アメリカ

こういった戦争の苦い記憶はぜひ心の中にとどめておかなくてはなりません。 フランス

■いずれにしても戦争で負けたのは日本です 中国

■武蔵の写真は残ってないんだよな。映画とかで使われている武蔵の外観は疑わしいな。アメリカ




数奇な運命を辿った戦艦大和と、国のために散って行った多くの命。
今の日本があるのは紛れもなく先人の方々が戦ってくれたおかげですね。

戦争については賛否両論ありましょう、当然です。
戦争は狂気。個人では変える事のできない当時の世論。

しかし、一人の人間として、当時は当たり前だった「国のために戦い、散って行った」事を、
現代の後出しの口先だけの正論・理論で批判される言われはないと思います。
正論ですら時代と共に変化するんですね。

戦争を肯定する気はありませんが、
私たち日本人は他の誰がなんと言おうと先人たちを尊敬し、敬うことを忘れません。
その人たちにも青春があり、家族がいて、愛する人がいて、そのために戦ったのですから。