1995年、「零戦里帰りフライトショー」と称して
茨城県竜ヶ崎飛行場でおこなわれたフライトショーを見た海外の反応です。
空を飛んだのは、タイトルでも分かるとおりゼロ戦と、アメリカ軍戦闘機のP-51ムスタング。
第二次大戦における、日米の名戦闘機です。
ゼロ戦は太平洋戦争の初期に、その圧倒的な空戦性能によって大活躍。
大戦初期の空中戦ではほぼ敵無しの存在でした。恐れたアメリカはゼロ戦を徹底的に研究。
次第に、資源と生産力に勝るアメリカが開発した戦闘機の方が優位に立つようになっていきました。
P-51ムスタングは第二次大戦時の、世界最高の戦闘機の一つです。
最高速度は時速700kmを誇り、当時これを超えたのはドイツのジェット戦闘機のみ。
アメリカの戦闘機は格闘性能が良くない傾向がありましたが、
P-51は空中戦においても強力でした。
ちなみに動画で飛んだゼロ戦ですが、まぎれもない本物です。
こちらのページによりますと、1944年に米軍が日本軍基地を占領した際、無傷で捕獲。
戦中はゼロ戦の研究のために使用され、戦後はアメリカ各地で展示されたりしました。
動画の1995年は初の「里帰り」というわけではなく、この前にも何度か日本へ運ばれています。
コメントは総数はあまり多くないですが、海外の人がほとんど。しかし、皆さん詳しいですね!
動画 携帯用動画
以下、この動画に対する海外の反応
■ ゼロよ、永遠に +11 コロンビア
■ 日本最高&アメリカ最高の機種だね。 タイ
■ 俺が知ってる限り、世界で最も美しい飛行機のうちの二つ。A6Mのゼロが大好きだ(^_^)+14 アメリカ ※A6M=ゼロ戦の型式のひとつ
茨城県竜ヶ崎飛行場でおこなわれたフライトショーを見た海外の反応です。
空を飛んだのは、タイトルでも分かるとおりゼロ戦と、アメリカ軍戦闘機のP-51ムスタング。
第二次大戦における、日米の名戦闘機です。
ゼロ戦は太平洋戦争の初期に、その圧倒的な空戦性能によって大活躍。
大戦初期の空中戦ではほぼ敵無しの存在でした。恐れたアメリカはゼロ戦を徹底的に研究。
次第に、資源と生産力に勝るアメリカが開発した戦闘機の方が優位に立つようになっていきました。
P-51ムスタングは第二次大戦時の、世界最高の戦闘機の一つです。
最高速度は時速700kmを誇り、当時これを超えたのはドイツのジェット戦闘機のみ。
アメリカの戦闘機は格闘性能が良くない傾向がありましたが、
P-51は空中戦においても強力でした。
ちなみに動画で飛んだゼロ戦ですが、まぎれもない本物です。
こちらのページによりますと、1944年に米軍が日本軍基地を占領した際、無傷で捕獲。
戦中はゼロ戦の研究のために使用され、戦後はアメリカ各地で展示されたりしました。
動画の1995年は初の「里帰り」というわけではなく、この前にも何度か日本へ運ばれています。
コメントは総数はあまり多くないですが、海外の人がほとんど。しかし、皆さん詳しいですね!
動画 携帯用動画
以下、この動画に対する海外の反応
■ ゼロよ、永遠に +11 コロンビア
■ 日本最高&アメリカ最高の機種だね。 タイ
■ 俺が知ってる限り、世界で最も美しい飛行機のうちの二つ。A6Mのゼロが大好きだ(^_^)+14 アメリカ ※A6M=ゼロ戦の型式のひとつ
■ 北アメリカは戦争に勝った。三菱は平和を勝ち取った。俺のこんどの車は三菱製だよ(笑) アメリカ
■ ゼロとP-51って、戦争で出くわしてなくね? シンガポール
■ re:いや、闘ってるよ。1945年、多くのゼロがP-51に撃墜された。P-51がB-29の援護をやってた時だ。 アメリカ
■ スピットファイアの方がいい戦闘機では。 イギリス
■ オリジナルの栄エンジンを積んでる、唯一残ったゼロ戦なんだよな。 イタリア
■ 撃ち合わず、一緒に飛んでる光景が見られてうれしいよ。+2 イギリス
■ re:いやいや、パーティーはこれからだ。さあ弾をこめろ、撃て! イギリス
■ ゼロ戦もムスタングも美しいね。日本のことわざに「昨日の敵は今日の友」ってのがある。+2 国籍不明
■ 皆さん、飛行機が好きならぜひゲームの「Birds of Steel」をチェックして下さい。ステマじゃないですよ。本当にすごいゲームなんです。ゼロやP-51も出てきます。 アメリカ
■ できれば、P-51じゃなくてヘルキャットかコルセアが一緒に飛ぶのを見たかったなあ。その二機が、主にゼロと闘ったんだよ。 アメリカ
■ re:いやP-51も太平洋でゼロ戦で闘ってるし、別にいいじゃん。+2 アメリカ
■ re:そう、P-51も太平洋で闘った。硫黄島を基地にしていたんだ。P-51はテニアンの飛行場から飛び立つB-29を援護した。うちの父親は海兵隊員だったから、よく聞いてる。 アメリカ
■ この二機がフォーメーションを組むって感動。+2 スウェーデン
■ わがアメリカが、第二次大戦では空中の日本軍を蹴散らしたことは間違いない。アメリカはつねに空中では優位にあった。 アメリカ
■ re:いや実際にはゼロは、1943年頃までは空を支配していた。アメリカ軍が巻き返すと、日本はこんどはゼロ戦A6M5型を投入した。これはA6M2を大幅に上回るものだった。内装は布と木でできていた。それによって軽くなり、格闘性能は良くなったが、非常に壊れやすい機体だった。コックピットの周りに、操縦士を守る防護壁も無かった。ただし、後に防護用の金属を貼ったタイプも登場した。 アメリカ
■ re:連合軍パイロットが攻略法を発見するまでは、ゼロの天下だったんだよ。戦争末期の1945でも、低速でゼロと格闘するのはやめとけと言われたらしいよ。P-51とかスピットファイアでさえね。 アメリカ
■ どっちもあの時代、最も影響が大きかった戦闘機だろうなあ。 アメリカ
■ 左に行くように見せかけて右へ。右に行くと見せかけて左へ。 アメリカ
■ ゼロ最高! カザフスタン共和国
■ 平和にまさるものは、何もないですね。+2 国籍不明
■ 日本はゼロにこだわりすぎたんだよな。逆にアメリカは、しょうもない機ばっかり次々作った。 アメリカ
■ re:J2M雷電、Ki-44鍾馗、Ki-45屠龍、Ki-61飛燕、A7M烈風、N1K1紫電、Ki-84疾風、Ki-100、J7W1震電……日本も結構いっぱい機種を作っただろ。 アメリカ
■ P-51ムスタングは、アメリカの技術力、生産力からして特にものすごいものじゃない。ただこれは、ロールスロイス製のエンジンを積んでた。このエンジンが良かった。元々のエンジンは性能が悪く、ヨーロッパの戦闘機には見劣りがした。ちょうど、アメリカのシャーマン戦車がドイツの戦車に劣っていたようなものだった。 アメリカ
■ re:ちょっと正しくない部分があるな。P-51は素晴らしい戦闘機だ。初期のタイプは二段スーパーチャージャーではなかったから、高々度でスピードが落ちた。後にこれは改良された。シャーマンは1942年当時は、いい戦車だった。しかし、ドイツのタイガーやパンサーにやられた後も改良されなかった。ここに問題がある。1944年にようやく改良され、76mm砲を搭載した。 アメリカ
■ 70年代にフォード・ムスタングを買ったが、がらくただったぞ。 ウクライナ(※同名の自動車)
■ どうも、映画「トラトラトラ」で使われたゼロ戦のように見えるんですが、誰か分かりません? ニュージーランド
■ re:「トラトラトラ」のゼロ戦はAT6タイプで、風防と塗装が違うと思いますよ。 アメリカ
かつての敵同士だった事を考えると、仲良く並んで飛行しているところは感動すら覚えますね。
海外のコメントを見ると、やはり自分の国の戦闘機に対するプライドが見てとれます。
まあ、どこの国でも同じでしょうけど(笑)
この動画で登場する戦闘機は、
日本のの海軍零式艦上戦闘機52型(零戦 61-120号機)、
アメリカ軍戦闘機のP-51ムスタング、の2機です。
この零戦には、以前スバルの記事で書いたように、現スバルの前身である中島飛行機が制作した
栄31型エンジンが搭載されているようです。
(このことから、この零戦は五二型丙期後期の機体のようです)
中島飛行機では、1930年以前はフランスやイギリスの発動機メーカーとのライセンス契約により、
独自のエンジンは作られていませんでした。
同じように、零戦の先代にあたる九六式艦戦は九六式陸攻と共に、
世界から何年も遅れていると評価されているありさまでした。
(それでも、九六式の時点で世界では独自で戦闘機を作れる国は多くありませんでしたが)
日本も独自で戦闘機を開発する事になるのですが、軍部が要求してきた性能は、
当時の欧米諸国の戦闘機の性能を大きく超える無茶なものでした。
特に、空中戦における運動性と航続距離や最高速度、積載できる武装弾薬の量など、
いくつもの相反する要求を高次元で両立する事は決して容易なことではありませんでした。
このように、戦闘機で大きく後れをとる日本でしたが、度重なる失敗を乗り越え、
独自でエンジンを開発し、ついに要求に近いものができあがります。
それが零戦でした。
かなり古い動画ですが、零戦について考察された動画です。
零戦との闘い-アメリカからの証言 1 携帯用動画
零戦との闘い-アメリカからの証言 2 携帯用動画
零戦との闘い-アメリカからの証言 3 携帯用動画
零戦との闘い-アメリカからの証言 4 携帯用動画
零戦との闘い-アメリカからの証言 5 携帯用動画
機体本体に限って言えば、1930年頃を境に大きく飛躍し、
零戦の登場によって一躍世界水準に到達することができました。
その後も限られたエンジン性能の中で戦闘力を上げるため、
エンジンカウルの形状を変更し、捨てるだけの排気エネルギーを有効に利用したり、
より軽量化して運動性能を上げたり、苦労の連続でした。
当時の航空機は通常のリベットを使用しているのに対し、
零戦では空気抵抗が最小となるよう、沈頭鋲を使うなど、
リベット一つとって見ても工夫していました。
当時の航空機の表面には非常にたくさんのリベットが使われているため、
その効果は大きなものだったようです。
その成果は凄まじく、「積乱雲とゼロ戦は避けて飛べ」 とまで言う国もあったほどです。
また、開戦当初、日本軍はフィリピンの米基地を攻撃するのですが、
零戦は台湾から飛び立っていたにも関わらず、マッカーサーに
「近くまで日本軍空母がやってきている」 と確信させるに至りました。
当時のアメリカ側戦闘機の実に倍以上の航続距離を持つ零戦だからできたことで、
他の国の戦闘機では到底飛べない距離ですから、そう思いこむのも無理はありませんでした。
また、航続距離だけでなく、その武装も非常に強力でしたが、
経済封鎖で国力が落ちた事により、結局は通用しなくなってしまいますので省略します。
動画でも言われているように、パイロットの技能も非常に高く、素晴らしい性能を誇った零戦ですが、
パイロットの人命を軽視したことが敗北につながった、と動画の中で外国人の方が言っています。
補足すると、当時の零戦は決して人命を軽視していたわけではなく、
度重なるエンジンや過給機の開発の遅れなどが原因で、
機体をできるだけ薄く、軽くする必要に迫られておりました。
これは零戦に限った事ではなく、他国の戦闘機においても、
どこかの部分をある程度犠牲にして開発されています。
資源が乏しく、戦場が広範囲にわたる当時の日本では、
絶対に妥協できない部分が航続距離でした。
そのため、余分なものは付けられなかったという背景があります。
また、より高い戦闘能力を得るため、
パイロット側からの要望であえて装甲を施さなかったという部分もあります。
零戦の開発にあたり、実際に搭乗するパイロットに、
格闘力、速度、航続距離のうち優先すべきものをどれにするか、意見を求めました。
実際に今まで数々の戦場を生き抜いてきたパイロットの意見として、
任務を確実にこなすために航続距離は外せない条件であり、
敵を逃がさないための最高速度も譲れない条件でした。
そして、それ以外はある程度妥協し、施せない装甲は自身の腕で何とかする、との答えがあり、
結果、装甲は最小限、しかし航続距離と運動性を含む他項目が高い次元で両立された
零戦という機体が出来上がりました。
大戦初期では高い性能を誇った零戦でしたが、
戦闘機の性能で不利になってきただけでなく、その後は世界中から経済制裁というかたちで封鎖され、
国自体が身動きができなくなってしまい敗戦の一途を辿ることとなります。
敗戦国となった日本ですが、戦後はこのように復興してきました ↓
アメリカに保存されていた零戦を質の良い燃料とオイルで飛ばしたら、
向こうでも驚くほどの高性能だった、という記事をどこかで見たことがあります。
大戦時、日本には質の良い燃料など望めなかったんですね。
しかし、こうして確かに培われた技術は、戦後もしっかりと継承され、
その後の日本経済の基盤となってゆきました。
今から65年も前の話になります。
結果として敗れてしまいましたが、日本の飛行機づくりが大きく飛躍できたのも、
元から高い技術をもっていたことと、やはり技術者たちの血のにじむような努力があったからでしょう。
そして今、その技術は国防にさらに必要になってきています。
戦車などは非常に高いレベルに達している日本ですが、
唯一開発が遅れているのが航空機の分野です。
心神の開発も進んでいるようですが、大きな問題はやはり大出力のジェットエンジン開発でしょう。
しかし、世界でも日本に作れないものはないと言われております。
以前、実際に私も発電所の大きなタービンに毎日触っていましたが、
あれが作れるのだから大出力ジェットエンジンの開発も、そう遠い未来ではないと思えてきます。
発電所と航空機では、両者はまったく用途が違うのですが、実物を触ってみると何か・・・。
まあ、作らない理由に何か技術以外の大きな壁もあるのでしょう。
ちなみに、タービンには無数のブレード(羽)が付いているのですが、
1枚〇千万円!とのことです(笑)
こうした兵器は使わないのが一番なのですが、そのためにはまず敵の侵略を防ぐ必要があります。
高い技術力からくる最低限の防衛装備は
戦争をしないためにも、抑止の意味でも不可欠なんですね。
まだ先でしょうが、日本が国産戦闘機を開発したら、
意外とすごいものができちゃうのかも知れません(笑)
いずれにしても、実際に飛んでいる動画は貴重と言わざるを得ません。
当時の状態で飛べるように保管しておいてくれたアメリカに感謝します!
2013/05/18 追記
世界で唯一飛行可能!零戦21型 携帯用動画
■ ゼロとP-51って、戦争で出くわしてなくね? シンガポール
■ re:いや、闘ってるよ。1945年、多くのゼロがP-51に撃墜された。P-51がB-29の援護をやってた時だ。 アメリカ
■ スピットファイアの方がいい戦闘機では。 イギリス
■ オリジナルの栄エンジンを積んでる、唯一残ったゼロ戦なんだよな。 イタリア
■ 撃ち合わず、一緒に飛んでる光景が見られてうれしいよ。+2 イギリス
■ re:いやいや、パーティーはこれからだ。さあ弾をこめろ、撃て! イギリス
■ ゼロ戦もムスタングも美しいね。日本のことわざに「昨日の敵は今日の友」ってのがある。+2 国籍不明
■ 皆さん、飛行機が好きならぜひゲームの「Birds of Steel」をチェックして下さい。ステマじゃないですよ。本当にすごいゲームなんです。ゼロやP-51も出てきます。 アメリカ
■ できれば、P-51じゃなくてヘルキャットかコルセアが一緒に飛ぶのを見たかったなあ。その二機が、主にゼロと闘ったんだよ。 アメリカ
■ re:いやP-51も太平洋でゼロ戦で闘ってるし、別にいいじゃん。+2 アメリカ
■ re:そう、P-51も太平洋で闘った。硫黄島を基地にしていたんだ。P-51はテニアンの飛行場から飛び立つB-29を援護した。うちの父親は海兵隊員だったから、よく聞いてる。 アメリカ
■ この二機がフォーメーションを組むって感動。+2 スウェーデン
■ わがアメリカが、第二次大戦では空中の日本軍を蹴散らしたことは間違いない。アメリカはつねに空中では優位にあった。 アメリカ
■ re:いや実際にはゼロは、1943年頃までは空を支配していた。アメリカ軍が巻き返すと、日本はこんどはゼロ戦A6M5型を投入した。これはA6M2を大幅に上回るものだった。内装は布と木でできていた。それによって軽くなり、格闘性能は良くなったが、非常に壊れやすい機体だった。コックピットの周りに、操縦士を守る防護壁も無かった。ただし、後に防護用の金属を貼ったタイプも登場した。 アメリカ
■ re:連合軍パイロットが攻略法を発見するまでは、ゼロの天下だったんだよ。戦争末期の1945でも、低速でゼロと格闘するのはやめとけと言われたらしいよ。P-51とかスピットファイアでさえね。 アメリカ
■ どっちもあの時代、最も影響が大きかった戦闘機だろうなあ。 アメリカ
■ 左に行くように見せかけて右へ。右に行くと見せかけて左へ。 アメリカ
■ ゼロ最高! カザフスタン共和国
■ 平和にまさるものは、何もないですね。+2 国籍不明
■ 日本はゼロにこだわりすぎたんだよな。逆にアメリカは、しょうもない機ばっかり次々作った。 アメリカ
■ re:J2M雷電、Ki-44鍾馗、Ki-45屠龍、Ki-61飛燕、A7M烈風、N1K1紫電、Ki-84疾風、Ki-100、J7W1震電……日本も結構いっぱい機種を作っただろ。 アメリカ
■ P-51ムスタングは、アメリカの技術力、生産力からして特にものすごいものじゃない。ただこれは、ロールスロイス製のエンジンを積んでた。このエンジンが良かった。元々のエンジンは性能が悪く、ヨーロッパの戦闘機には見劣りがした。ちょうど、アメリカのシャーマン戦車がドイツの戦車に劣っていたようなものだった。 アメリカ
■ re:ちょっと正しくない部分があるな。P-51は素晴らしい戦闘機だ。初期のタイプは二段スーパーチャージャーではなかったから、高々度でスピードが落ちた。後にこれは改良された。シャーマンは1942年当時は、いい戦車だった。しかし、ドイツのタイガーやパンサーにやられた後も改良されなかった。ここに問題がある。1944年にようやく改良され、76mm砲を搭載した。 アメリカ
■ 70年代にフォード・ムスタングを買ったが、がらくただったぞ。 ウクライナ(※同名の自動車)
■ どうも、映画「トラトラトラ」で使われたゼロ戦のように見えるんですが、誰か分かりません? ニュージーランド
■ re:「トラトラトラ」のゼロ戦はAT6タイプで、風防と塗装が違うと思いますよ。 アメリカ
かつての敵同士だった事を考えると、仲良く並んで飛行しているところは感動すら覚えますね。
海外のコメントを見ると、やはり自分の国の戦闘機に対するプライドが見てとれます。
まあ、どこの国でも同じでしょうけど(笑)
この動画で登場する戦闘機は、
日本のの海軍零式艦上戦闘機52型(零戦 61-120号機)、
アメリカ軍戦闘機のP-51ムスタング、の2機です。
この零戦には、以前スバルの記事で書いたように、現スバルの前身である中島飛行機が制作した
栄31型エンジンが搭載されているようです。
(このことから、この零戦は五二型丙期後期の機体のようです)
中島飛行機では、1930年以前はフランスやイギリスの発動機メーカーとのライセンス契約により、
独自のエンジンは作られていませんでした。
同じように、零戦の先代にあたる九六式艦戦は九六式陸攻と共に、
世界から何年も遅れていると評価されているありさまでした。
(それでも、九六式の時点で世界では独自で戦闘機を作れる国は多くありませんでしたが)
日本も独自で戦闘機を開発する事になるのですが、軍部が要求してきた性能は、
当時の欧米諸国の戦闘機の性能を大きく超える無茶なものでした。
特に、空中戦における運動性と航続距離や最高速度、積載できる武装弾薬の量など、
いくつもの相反する要求を高次元で両立する事は決して容易なことではありませんでした。
このように、戦闘機で大きく後れをとる日本でしたが、度重なる失敗を乗り越え、
独自でエンジンを開発し、ついに要求に近いものができあがります。
それが零戦でした。
かなり古い動画ですが、零戦について考察された動画です。
零戦との闘い-アメリカからの証言 1 携帯用動画
零戦との闘い-アメリカからの証言 2 携帯用動画
零戦との闘い-アメリカからの証言 3 携帯用動画
零戦との闘い-アメリカからの証言 4 携帯用動画
零戦との闘い-アメリカからの証言 5 携帯用動画
機体本体に限って言えば、1930年頃を境に大きく飛躍し、
零戦の登場によって一躍世界水準に到達することができました。
その後も限られたエンジン性能の中で戦闘力を上げるため、
エンジンカウルの形状を変更し、捨てるだけの排気エネルギーを有効に利用したり、
より軽量化して運動性能を上げたり、苦労の連続でした。
当時の航空機は通常のリベットを使用しているのに対し、
零戦では空気抵抗が最小となるよう、沈頭鋲を使うなど、
リベット一つとって見ても工夫していました。
当時の航空機の表面には非常にたくさんのリベットが使われているため、
その効果は大きなものだったようです。
その成果は凄まじく、「積乱雲とゼロ戦は避けて飛べ」 とまで言う国もあったほどです。
また、開戦当初、日本軍はフィリピンの米基地を攻撃するのですが、
零戦は台湾から飛び立っていたにも関わらず、マッカーサーに
「近くまで日本軍空母がやってきている」 と確信させるに至りました。
当時のアメリカ側戦闘機の実に倍以上の航続距離を持つ零戦だからできたことで、
他の国の戦闘機では到底飛べない距離ですから、そう思いこむのも無理はありませんでした。
また、航続距離だけでなく、その武装も非常に強力でしたが、
経済封鎖で国力が落ちた事により、結局は通用しなくなってしまいますので省略します。
動画でも言われているように、パイロットの技能も非常に高く、素晴らしい性能を誇った零戦ですが、
パイロットの人命を軽視したことが敗北につながった、と動画の中で外国人の方が言っています。
補足すると、当時の零戦は決して人命を軽視していたわけではなく、
度重なるエンジンや過給機の開発の遅れなどが原因で、
機体をできるだけ薄く、軽くする必要に迫られておりました。
これは零戦に限った事ではなく、他国の戦闘機においても、
どこかの部分をある程度犠牲にして開発されています。
資源が乏しく、戦場が広範囲にわたる当時の日本では、
絶対に妥協できない部分が航続距離でした。
そのため、余分なものは付けられなかったという背景があります。
また、より高い戦闘能力を得るため、
パイロット側からの要望であえて装甲を施さなかったという部分もあります。
零戦の開発にあたり、実際に搭乗するパイロットに、
格闘力、速度、航続距離のうち優先すべきものをどれにするか、意見を求めました。
実際に今まで数々の戦場を生き抜いてきたパイロットの意見として、
任務を確実にこなすために航続距離は外せない条件であり、
敵を逃がさないための最高速度も譲れない条件でした。
そして、それ以外はある程度妥協し、施せない装甲は自身の腕で何とかする、との答えがあり、
結果、装甲は最小限、しかし航続距離と運動性を含む他項目が高い次元で両立された
零戦という機体が出来上がりました。
大戦初期では高い性能を誇った零戦でしたが、
戦闘機の性能で不利になってきただけでなく、その後は世界中から経済制裁というかたちで封鎖され、
国自体が身動きができなくなってしまい敗戦の一途を辿ることとなります。
敗戦国となった日本ですが、戦後はこのように復興してきました ↓
人が日本人を特別視してるってのは、自分の国の歴史少しでも知ってたら誰でも分かるだろ。・・・冗談です。いつものコピペです(笑)
まず、資源が全くないってことはすごいこと。
もう両手両足もがれたぐらいのハンデ。
しかもすごいのは、米国の3分の1の人口、わずか25分の1の領土で、
その上ただでさえ極小の国土の7割が山、山、山。なーんにもない、山・・・。
だから農業で輸出して食べていくことすらできない。
条件からして最貧国でもおかしくない国。
そんな国が、100年ほど前で当時世界最強クラスだった露助とか清をあっさり倒して、
非白人国家で普通に白人常任倶楽部仲間入りしちゃってて、
おまけに米国奇襲して敵に回して ガチで戦争して、
世界で唯一米国本土爆撃して、
英国の無敵艦隊フルボッコにして、
オランダ倒して、世界で唯一原爆落とさせるほどてこずらせて。
しかも二発だよ。二発。考えられない。
敗戦とか言ってるけど日本のせいでアジアから白人の植民地全部消されたし。
しかも信じられないのは、戦争に負けてただでさえ何にもない国が
さらにインフラまで全部叩き潰されて、
多額の賠償金まで背負わせて
100%再起不能にしといた極貧衰弱国家で、
今度こそ生意気なイエローモンキーが消えて
数百年はウザイ顔見ないで済むと思ってたら、
直ちに再び白人社会に経済で参戦して来くさって、
参戦どころかごぼう抜きでたった2,30年であっという間に米国さえ抜いて世界第一位。
東京の土地だけで米国全土が買えるほどの
呆れた価値になっちゃう程の超絶経済力で
世界中( ゜Д゜)ポカーン・・・状態。
その後もずーっと二位維持。頭一本でそれ。
しかも経済の80%が内需。内需だけでそれ。
金融とかでまだ全然進出してないし車や家電、
工業製品ももまだまだ進出しきってなくてそれ。
もうキチガイの域。伸びしろありすぎワロタ。
戦後60年一発も打たずに侵略せずにこれ。
何気に世界最長寿国とかなってる。
んで今度は漫画・アニメ・ゲーム。
気がつけばハリウッドの規模とっくに超えてる。
アメリカの検索で一位になってるのが日本のアニメとか。
世界中で一番人気の映像作品が日本のアニメとか。
極めつけは世界一長い国号、
2000年のどの白人より長い王室ならぬ、
その上の皇室保有。エンペラーに代表される歴史。
普通の神経してたらこんな国怖くて関わりたくない。
アメリカに保存されていた零戦を質の良い燃料とオイルで飛ばしたら、
向こうでも驚くほどの高性能だった、という記事をどこかで見たことがあります。
大戦時、日本には質の良い燃料など望めなかったんですね。
しかし、こうして確かに培われた技術は、戦後もしっかりと継承され、
その後の日本経済の基盤となってゆきました。
今から65年も前の話になります。
結果として敗れてしまいましたが、日本の飛行機づくりが大きく飛躍できたのも、
元から高い技術をもっていたことと、やはり技術者たちの血のにじむような努力があったからでしょう。
そして今、その技術は国防にさらに必要になってきています。
戦車などは非常に高いレベルに達している日本ですが、
唯一開発が遅れているのが航空機の分野です。
心神の開発も進んでいるようですが、大きな問題はやはり大出力のジェットエンジン開発でしょう。
しかし、世界でも日本に作れないものはないと言われております。
以前、実際に私も発電所の大きなタービンに毎日触っていましたが、
あれが作れるのだから大出力ジェットエンジンの開発も、そう遠い未来ではないと思えてきます。
発電所と航空機では、両者はまったく用途が違うのですが、実物を触ってみると何か・・・。
まあ、作らない理由に何か技術以外の大きな壁もあるのでしょう。
ちなみに、タービンには無数のブレード(羽)が付いているのですが、
1枚〇千万円!とのことです(笑)
こうした兵器は使わないのが一番なのですが、そのためにはまず敵の侵略を防ぐ必要があります。
高い技術力からくる最低限の防衛装備は
戦争をしないためにも、抑止の意味でも不可欠なんですね。
まだ先でしょうが、日本が国産戦闘機を開発したら、
意外とすごいものができちゃうのかも知れません(笑)
いずれにしても、実際に飛んでいる動画は貴重と言わざるを得ません。
当時の状態で飛べるように保管しておいてくれたアメリカに感謝します!
2013/05/18 追記
世界で唯一飛行可能!零戦21型 携帯用動画
コメント
コメント一覧
名前がすごくカッコいいですね。
日本は輸出が見込めない以上軍用分野じゃ難しかろ
需要が見込めないんじゃ金もかけられない、継続的に技術開発も細々とやるしかない
しかし民間分野では分担生産や技術提供してるけど、彼我の差は中々埋められん
向こうもどんどん進歩してるし
豊富な話題と深い考察も好きでお気に入りのサイトになりました
ところで、若干気になる部分がありまして パイロットの命を軽視していたと見るのは非常に広く受け入れられている説ですが、パイロット自身の仕様要求&エンジン技術の遅れがゼロ戦の形を作り上げたと言えると思います。もしよければ調べてみてください。
あと ついでに細かいですが 心神です
揚げ足を取るようで申し訳ないです^^; 興味深いサイトをありがとうございます!これからも楽しみにしております!
当時の日本人パイロットは誰もそんな評価してないしむしろ逆
中低速度領域の格闘戦ならゼロ戦に勝てる機体はないが、格闘戦の速度領域が変わっていった
高速領域ではゼロ戦の格闘戦能力落ちるからな
大出力エンジンが主流になり、土俵が変わってしまったと言う事
日本の高速機でも、パイロットからすればヘルキャットは強敵との認識だったね
米軍機は、穴だらけにされても帰ってこれたり
一方零戦は空中分解よくしたり
ご指摘ありがとうございます、管理人です。
補足として追記させていただきました。
エンジンや過給機の開発が遅れて、仕方がなかったのもありますが、
パイロットからの要望もあったんですね、
自らの命よりも任務を重んじた結果とはいえ、頭が上がりません。
エンジンについては、せめて誉エンジンがもう少し・・・
まあ、遅かれ速かれ結果は同じなのかも知れません。
いずれにしても、彼らが命がけで戦ってくれなかったら、
今とは違う日本になっていたかも知れない事を考えると、
感謝せずにはいられませんね。
これからもよろしくお願いいたします。
工学的にレベルが違うでしょう。
日本人独自の視点が見つかるといいね
なんていうか、複雑な気持ちになるのよ。無理やり一緒に飛行させられてるような、敗戦国ゆえの悔しさや悲しさ。
GDP的には10分の1以下だった
頼れる味方なんていなかった
アメリカ軍の資源配分はヨーロッパ85対日本15だった
それくらい日本は弱い国だった
しかしそれでも最終的には国を守りきった御先祖様ありがとう
今また同じ血脈のUS-2が世界最高と言われるのは感無量です。
お世話になっております、管理人です、
いろいろ調べたのですが、youtubeにアップロードした方が
携帯で見れない設定にしてある可能性があるとのことでした。
いちおう、動画の上に文字でリンクを貼らせていただきましたので、
youtube側で携帯で見れない設定になっていたら見られないかも知れませんが、
youtubeにて閲覧をお試しいただければ幸いです。
至らないところばかりで申し訳ありませんが、
よろしくお願いいたします。
GDP的には10分の1以下だった
頼れる味方なんていなかった
アメリカ軍の資源配分はヨーロッパ85対日本15だった
それくらい日本は弱い国だった」 のに のにだ・・・
あれだけの凄い戦争したのが凄いんだろうが!
機動艦隊VS機動艦隊の総力戦ガチンコ戦争出来たのは日本と米国だけ
世界史的にみても大東亜戦争以後そんな戦争は一回もない
そうゆう意味では世界最終戦争って言っても過言じゃないよ
人類が到達した史上最高の「戦争」って事ね
結果も見事で 大東亜戦争なかりせば
未だに白人の支配する世界であったのは確実だよ(たぶん未だに2~3の植民地はあっただろうね)
それを打ち破ったんだから 無謀とはいえやった価値はあったんです
結論言うと
日本の戦争目的である
「大東亜共栄圏」は建設できなかったんで失敗だったが
「東亜の解放」は実現出来たんで
俺的にはドロー(引き分け)って感じかなw
しっかし、専守防衛の国なのに、新世代の兵器開発中とかスゲーよな。第6世代の戦闘機開発、第4世代の戦車、通常動力とは言え、潜水艦・艦船の高性能さは凄まじい。
動画は携帯でも見られますよ。リンク先URLの記入が間違っています。正しくは
http://www.youtube.com/watch?v=mXV4HSaHpNg
です。
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大東亜共栄圏が失敗だったんだよ
人種差別だけに対して大声を出すべきだった、それだけでアメリカは二分できた
アジアはもっと協力的になった、ユダヤ人の一部も味方に付けれた
思想戦で敗北した
防御や構造の弱さも、非力なエンジンで何とかしなきゃならんのだから
そのかわり、当時の米軍によく見られたハイバック式風防などと比べても視界が非常に広く、その運動性の高さも相まって、ひらりひらりと攻撃をかわせるんだそうだ。上手いパイロットじゃないときついだろうけど。
当たらなければどうということはないってのが、ある意味命綱な戦闘機のようにも思った。
あと航続力の長さは、必要な戦場に飛んで行ける戦闘機という意味でもっと評価されていいと思う。
長すぎる航続力は搭乗員の体力と集中力を思うと微妙という意見も観るが、それを差し引いても、必要な戦場に行けない戦闘機など、何の価値もない。
>自らの命よりも任務を重んじた結果とはいえ、頭が上がりません。
これ、零戦が開発された当時は防弾性への認識が不足していて、経験の長いパイロットの意見を取り入れていった結果防弾性への要求が低かったってことです。
極端に言い方をすると「先に敵を撃墜すれば防弾入らないんじゃね? 先に撃墜できないって? 腕上げろよw」ってことでしょうか。
防弾について熟慮した結果ではないと思います。
事実、対米戦開戦以降のパイロットの大量消耗に直面した陸海軍の航空当局は多くの機体の仕様で防弾性を重視するようになります
(陸軍機の方が先に防弾を重要視するようになったのは、ノモンハンでの大量消耗を先に経験したからでしょう)
拘ったんじゃなくて新しいものを量産するだけの金と物資がなかったんだよ!
あるもんで頑張るしかしょうがないだろ(開き直り)
実際、零戦がやられるようになったのは敵が高速で一撃離脱するようになって零戦では追いつけなかったから
パワーダイブで逃げられると軽い零戦では置いていかれてしまう
Aが艦上戦闘機、6が6番目、Mが三菱という意味です。
つまり、6番目に正式化された三菱が設計した艦上戦闘機、という意味になります。
そして動画の零戦五二型は、A6M5、5回改修されたA6M、になります。
所沢航空発祥記念館での特別展。三月末までの開催でしたが、延長されるとのことです。(特別展は一旦終了している模様)
これまでに何度か里帰りしてるようですね。当家にも桶川の飛行展示時の写真とチケット半券があり、再会との思いで足を運んだ次第。また行ってしまうのかと、写真も撮る数が増えました。
周辺道路が混む(主に浦和-所沢の"ウラトコ"街道)ので、車でお出かけの際は時間に余裕を持って。閉館時間が迫って、記念品コーナーを見止めなかったと後になって気付いた故。
当時の戦闘機は装弾数に限りがあるため「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」というような戦い方をすると数分で全ての弾を撃ちつくし戦闘能力を失ってしまいます。
そのため確実に弾を当てるために旋回性能を重視して敵機の後ろを取るか速度と上昇速度を重視して敵機の上を取るかという設計思想だったのです。
前者の設計思想が顕著に現れているのが日本の零戦でありイギリスのスピットファイアで、後者の設計思想が顕著に現れているのがドイツのメッサーシュミットだったわけです。
一方で戦闘機の開発で遅れをとっていたアメリカは被弾することを前提に敵機の速度まで利用し正面から突っ込んで撃ち合いをすることで機体性能の不利を補おうとしました。
そして真正面からの撃ち合いでも撃ち負けないように防弾性に特化した戦闘機を作ったわけです。
日本の戦闘機は防弾性が低く生存率が低いとされていますが、零戦と同じ設計思想のスピットファイアの場合だと主翼への1~2発の被弾でも主翼が吹き飛んでいましたし、速度重視のメッサーシュミットの場合は胴体後部に被弾すると機体が真っ二つになっていました。
しかもヨーロッパの戦線ではパラシュートで脱出したパイロットを敵軍のパイロットが射殺するのは普通のことでしたので、パイロットの生存率はかなり低かったんですよ。
限られた資源の中で、海軍のまとめ切れない過大な要望にすべて応えるために、相当に意欲的な設計であることが、最近ではむしろネガティブな扱いにすらなっているようにも感じます。
当時の零戦に対する要求性能は、中国戦線での運用を想定したものでしたし、練度の高いパイロットの揃った状況では攻撃は最大の防御であり、そのような思想で設計された戦闘機であって、それは大戦前半では有効に働いていた事実をもっと理解すべきじゃないかと思いますね。大戦後期の物量戦消耗戦を基準に、戦闘機の運用法も変化し、すでに旧態化していた零戦を評価するのはフェアじゃないです。
主任設計技師だった堀越二郎氏の著書で「零戦 その誕生と栄光の記録」というのがあります。およそ開発という仕事に携わる人は、一度は読んでみる価値のある本だと思います。
たぶん比較的若い人は零戦がどのような戦闘機であったのか、断片的な情報は得られても、あまり具体的なイメージは持ちにくいのではないかと思います。とっても乱暴なたとえではありますけど、海外から見れば北朝鮮から突如F22ラプターのような戦闘機が登場し、信じがたいほどの無敵の性能を誇った。というのがわりと近いイメージではないかと。
これは戦後復興期の日本人の自信につながるシンボルの一つでした。私の子供時代は零戦ネタの漫画やドラマが多かったんです。「ゼロ戦はやと」とか「大空のちかい」とか「ゼロ戦黒雲隊」なんてのもありました。あと名前を思い出せないけど、たしかラバウル航空隊を扱ったドラマがあって、オープニングの零戦の大編隊のシーンが記憶にあります。
長く低迷を過ごした日本人が、いまいちど先達の偉業を振り返ってみるのは意義のあることのように思いますね。
人種差別だけに対して大声を出すべきだった、それだけでアメリカは二分できた」
→それは無理ww
人種差別が悪なんて概念は皆無 当然の事と思ってたのが当時の世界(白人の世界)だったことをお忘れなく
米兵は日本兵の骨(しゃれこうべ)を母国にお土産で送ってたんすよwww
しかも家族は それを家に飾ってたとゆう始末w…(動物扱いだね)
タービン直前温度をあげる技術を開発することが発電効率をあげることにも
優れた戦闘機エンジンを開発することにも等しく重要です。
日本はその優れた材料開発技術で急速にトップに追いつきつつあります。
管理人さん、数年後を楽しみにお待ち下さい。
当時の白人にはこの差別という概念が無かったからこそ植民地化していった訳で。
それが根本的な問題として大東亜戦争へと進んでいくわけですよ。
大東亜共栄圏というのは不平等条約からのアジア開放が大前提にあるんですね。
当時、華僑、中国は国という概念すら希薄であり、金を落としてくれる主こそ至高だった
だからこそ華僑や中国人は植民地支配してた白人にすりより、私腹を肥やしていた訳だ。
アジア解放とかいって日本に白人おいだされたら利権を失う訳で・・
こういう壮大な事を理解出来なかった事を知られてはマズイ為に反日を行なって
日本が惡いというレッテルを貼り、自分たちの愚劣な行動を保身している訳。
並んで飛んでいることが不思議です。
朝鮮(クリーチャー)って、ただの奇形みたいに言うなよ。
朝鮮(中国人、満洲人、アメリカ人捕虜、イギリス人捕虜、オランダ人捕虜を陵辱した獣)でしょ
エピソードの引用も微妙にズレた表現で、出所が分かってないのが丸分かりだし。
どこかでとか、開戦当初とか、ある国では、とか微妙に内容がおかしいですよ。
コメント欄でいろいろ教えてくださりありがとうございます!
修正できるところは修正させていただきます。
おおまかな部分はうろ覚えで書いておりますので大変助かります。
当時の零戦や技術者がいかに努力してきたのか、
それに搭乗するパイロットがどれだけ素晴らしかったか、
皆さまのコメントにて再び知ることができました。
開戦当初と終戦間際では
戦闘機の設計思想自体が大きく変わってしまった事もありますが、
それでも後世に残る技術や魂を残してくれた、まさに名機だと思います。
また日本に来ているとのことを教えていただきありがとうございます。
会いに行きたいですね(笑)
戦中戦前の人種差別がどれだけ酷かったか推して知るべし。イエローに戦争以外の選択肢はなかったんだよ。
P51は液冷レシプロ戦闘機の最高峰だった
スピルバーグの「太陽の帝国」で零戦がP51に追い回されるシーンで涙が出た
技術の差(工業力の差でもある)は残酷だ
零戦の最高速はP51の巡航速でしかなかったんだ
皆さん本当にお詳しくて、ここは記事の後のコメを読むのも楽しみな数少ないサイトの一つです
日本を護って死んでいった英霊たちも
ここのサイトを見たら、きっと喜んでくれただろうなと胸が熱くなります
管理人さん、いつも深い記事をありがとう
これからも楽しみにしています
コピペの頭が欠けて「人~」になってる><
でも大好きw
しかも敵だった飛行機ときれいに飛んでいて…
記事ありがとうございました
海軍は陸軍に比べて高品質なガソリンを備蓄していたようですが、それでもオクタン価が100を少し越える程度、対してアメリカ軍の航空機に供給されたのは140位だったと何かで読みました
戦後接収されてアメリカでテストした陸軍の疾風は良質なガソリンのおかげで高性能を発揮し、大戦期日本のベスト戦闘機と評されたそうです
数値についてはうろ覚えですが、とまれ、戦争に限らず、工業といえのは裾野の広さと厚さが大事ですね
海軍の方が少し良いガソリンらしいです
後、零式艦戦の事なら、20機関砲も改良が続けられてますよ
装弾数は、倍。弾速も、2割程度上がって、低伸する様になっています
コスパ最強だとは思うが
資源の面で沈まないよう超装甲の超弩級戦艦大和とか
合理的やねぇーしかもロマンまであるとか。。
ホントは空母作ってって大規模航空部隊とかやりたかったんだろうなー
ガスタービンにはこの風情がない
つ「Bf109K」つ「FW190-D9やa152」つ「スピットMk IXやMk XXI」つ「Me163」
>日本の高速機でも、パイロットからすればヘルキャットは強敵との認識だったね
343空の人たちはF6Fは敵じゃない、コルセアとムスタングがうっとうしいと言ってるね。
P38をサンパチとかメザシとか言って馬鹿にしてた日本パイロットだが、実はP38は日本機を二番目に多く撃墜してる機種だったりする。パイロットのいうことはあてにならないさ。
>誉エンジンがもう少し
海軍はハ43の方を本命視してたみたいだけどな。
烈風に積んでまったく力が足りなかったしさ。
>”翼の前縁を黄色に染めて”挑んでくる、P-51Dの翼内12.7mm機銃6丁のほうが、優れていたみたい
M2calはレーダー、T34と並ぶWWIIのオーパーツだよ。あの機銃が日本にあれば世界は変わっていたと言っていいぐらいチート機関銃だ。
ちなみに現代でもいろんなところで使われてる。自衛隊も普通に使ってる。
無理無理。米国で黒人差別がなくなった市民権運動って1960年代の話だぞ。
そもそもこの市民権運動自体、バックボーンとして50年代のアジア植民地の独立があり、その独立の灯をともしたのが大東亜戦争だよ。現代人の常識で過去を計ってはいけない。
>当時の零戦に対する要求性能は、中国戦線での運用を想定したものでした
いや、最初から艦上戦闘機だよ。デビューが中国戦線だっただけ。
しかも護衛戦闘機なんざいらねーよと上の人が言ってデビューさせた96式陸攻がバタバタ落とされて、護衛できるのが零戦しかなかったからというなし崩し的なデビューだ。
>米兵は日本兵の骨(しゃれこうべ)を母国にお土産で送ってたんすよwww
>しかも家族は それを家に飾ってたとゆう始末w…
日本兵の耳を切り取ってコレクションしてた写真はおろか伝記まであるよなぁ。
今の米国人はそこそこ公平で西側として常識的な人権や平等の概念を持ってるだろうけど、過去の米国人がそうだったとは限らない。無論昔の日本人の常識もね。
こっちだっていっぱい作っていっぱい飛ばしたかったわ!!
でも資源と工業力(大量生産)の力がなくて試作機を無駄に作ってられないし、でもアメリカはそれを上回る速度で生産していくから戦線維持為にも活躍してるゼロ戦に注力しないといけなかったし……。
ほんとならアメリカみたいに機銃撃たれてもしばらく飛んでられるような重厚な戦闘機造って、貴重なパイロットを死なせないつくりにしたかったんだよバーカ!
やっぱり日本は孤軍奮闘より同盟で組んで兵器開発とかのバックアップに努めてる方が向いてるよ。
※59
>いや、最初から艦上戦闘機だよ。デビューが中国戦線だっただけ。
>(中略)護衛できるのが零戦しかなかったからというなし崩し的なデビューだ。
もちろん艦上機として企画されています。名称も艦戦ですからね。
しかし、そもそもの十二試艦戦(制式採用前の零戦)の要求性能にあった桁外れな航続性能の理由のひとつは、陸攻の渡洋爆撃等長距離進攻の掩護を想定したものです。当時の九六戦は足が短く、陸攻の掩護は不可能でした。
つまり護衛できるのが零戦しかなかったのではなく、護衛できる戦闘機がなかったから、零戦の開発を急いだというのが妥当です。「戦闘機無用論」の影響ですね。
事実、海軍はまだ十数機しか完成していなかった制式採用前の十二試艦戦を急遽陸攻隊の護衛に回し実戦デビュー、後からこれを一一型として制式採用という流れになっています。
しかも一一型は翼端折り畳みがなく、艦上機として実際の空母での運用は、翼端折り畳みとした二一型からです。
まあ試作機を実戦投入し、後から制式採用ですから「なし崩し的デビュー」はそのとおりですけどね。
活躍すれば相手に当然対策もされる、でも活躍すれば運用側は頼ってしまう
何も優秀な後継機が出てくれば勝てたとは言わない、でも零戦は頑張りすぎたんだよ
非力なエンジンな為に空力を突き詰めた結果の日本軍戦闘機、爆撃機の方が遥かに美しく見える
>世界から何年も遅れていると評価されているありさまでした。
おいおいwww96式艦戦と同世代の米英の艦上戦闘機はF3Fですが、どんな代物か調べてみるとよいですよ。96式艦戦は当時の世界の水準を越えた飛行機ですし、96式陸攻も世界水準は満たしています。
あとM2calをオーパーツと評価している方がおられますが過大評価です。あれは耐G性能が悪く、空中ではジャムりやすく、航空機銃には必ずしも最適ではないことで知られています。それでも航空機銃として継続使用されたのは、陸戦用機銃と共通化することで調達しやすくなる、ジャムりやすさは多銃装備でカバーし得る、と考えられたためです。
どれだけ早く目的の速度に達することが出来るかの加速性の方が実戦では重要
車で考えてもらうと解るけど最高速度が200km/hのエコカーとギア比変えて150km/hしか出ない小型スポーツカーでサーキットや峠でどちらが速いか
終戦直前の8月8日に約15分飛んだのを最後に米国に接収されました。
接収時点で何者かに破壊され飛行不能の状態であり、現在は米国で分解状態で
保管されています。
試作2号機があった、とされていますが小生はこれがそうである、という確定的な画像は
見たことがありません(旧世傑の最終ページの写真が疑わしい、とは常々考えては来ました。
エンジンを下して野ざらしにする余裕が一号機にあったと思えないので…)。
>70さんの仰るのは四式戦のことでしょう。数値がほぼ一致します。
戦時中のスコアでは、零戦はF4Fを凌駕したことが無い!
共産勢力の拡大を許しただけじゃねえか。
カンボジアで、どれだけ無駄な流血があったか。
ミャンマーで弾圧され続けるスーチー女史が東亜解放の実態だ!
ん?
当時っていうのは1944年のこと?
Fw190D-9やBf109Kは700km超えるけども
K-14はともかくD-9とK-4は1944年から配備されてなかったっけ?
あとTa152かな
あれは信憑性云々の話もあるけど・・・
スピットファイアで700km超えだしたのはMk14あたりからかな?あれも1944には配備されてたような
どっか間違ってるかも誰か指摘おなしゃす
翻訳の中で
>北アメリカは戦争に勝った。三菱は平和を勝ち取った。俺のこんどの車は三菱製だよ(笑) アメリカ
とありますが、この「北アメリカ」は「ノースアメリカン」で、P-51を作った航空機メーカーのことですね。
そう。米国の有名な練習機だね。
形はゼロと全然違うが塗装だけ日本機風にしてある。
よく頑張ってくれました。よく戦ってくれました。
日本はいい国になりましたよ、平和ですよ。ありがとう
???
英グリフォンスピットmk.14が1943年の時点で740km/h出てなかったけ?
独Ta152が750km/h以上出してなかったけ?
イギリス人にとっては国を救った救国戦闘機だからなw スピットもいい機体だよ
美味しいから呑んでほしい。
戦後、共産勢力が拡大したのはトルーマンが
ソ連を信用したからだろ。
あと、零戦はなんかエロイ…
あのさぁ.....(呆れ)
当事は白人以外は人間じゃないって考えが普通だった時代だぞ?原爆がアメリカの実験だった事は事実だけど当事は独立しているアジア国家は日本とシャム(現在のタイ)しかなかったんだぞ?あのまま白人共の植民地になれと?
日本の上層部が馬鹿だったのも一応の要因に上げられるが、一番の戦犯は戦争を煽ったマスゴミであり、開戦派だった東條ですらアメリカに勝てないと判断していて開戦を渋っているとか言われて国民から大量の手紙が届いていたんだぞ。「開戦を早くしろ」ってね。
だから日本は開戦をあの時点で避けるのは不可能であり、避けるなら第一次世界大戦の時点からマスゴミをなんとかしないと駄目な状態だった。
そんな中で開戦して結構間違った事もしていたが、第二次世界大戦後に置けるアジア人種への考えを多少なりとも変えたことに対する誇りは有ってもいいとおもうぞ。
「自分達がアジアを救った」では傲慢だけど
「多少アジア人への考えを変えれて、独立のきっかけを作った」と言うのは事実だから、そこは誇るべき所だと思うぞ。
猿から人間だと思って貰うきっかけになったと思えばいいんじゃないかな?
精密機械の工作機械、今で言うマザーマシンはほぼ全て米英独仏の輸入品に頼っていたのが実情。
戦後の軍備を封印された日本は敗戦の悔しさをバネに、今度は経済や技術革新に向けて日本国民が走り出す。
いやー、日本人てすごいわ。
戦前、戦中も良くあの時代の限られた知識や装備で、あそこまで戦い抜けるものだと感心する。
欧米列強が日本の加速度的な進歩スピードに恐れを抱き、被植民地の人々がいまだに日本に高い評価をして下さる気持ち、嬉しくもあり、おもはゆくもあり。
先人の偉大さに気が引き締まる思い。
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