今回は、第二次世界大戦中に製造された数々の戦艦および巡洋戦艦を、
「大きさ」や「最大速度」、「砲撃性能」などの観点からランク付けした動画を見た海外の反応です。

この動画には、各戦艦の外観写真のみならず、正確なスペックまで掲載されています。


その結果、トップ10は以下のようなランクになったようです。

1.大和(日本)
2.アイオワ(アメリカ)
3.扶桑(日本)
4.ビスマルク(ドイツ)
5.金剛(日本)
6.アドミラル・グラーフ・シュペー(ドイツ)
7.ローマ(イタリア)
8.テネシー級戦艦(アメリカ)
9.ジャン・バール(フランス)
10.フッド(イギリス)

この結果に対し、視聴者の間で賛否の声が巻き起こっています。

「妥当だ」とみなす者もいれば、「自国の戦艦こそ最強」と主張する
愛国心の強い外国人も見受けられます。

それでは、こだわりのある軍事マニアならではの熱い意見の応酬をご覧ください。


動画 携帯用動画




以下、この動画に対する海外の反応


■ ビスマルクこそナンバー1だ。 ドイツ

■ 確かに戦艦大和は最強だよ。  でも最終的には沈んじまったじゃないか。  その点、アイオワは沈まなかった。  だからアイオワこそナンバー1に相応しいんだ! ハンガリー

■ アイオワなんぞクソだ。  ビスマルクこそ神。おお、アドルフ・ヒトラー総統万歳! アメリカ

   ■ re:くたばれ、ナチ公。 アメリカ

■ フン、とんだ時代錯誤のランキングだなw。 3位に扶桑?5位に金剛?フッドがトップ10に入ってるだと?(笑)  戦艦長門やプリンス・オブ・ウェールズ、サウスダコタ級戦艦、ノースカロライナは何でランクインしてないんだ?? チェコ

■ もしアイオワが大和と出くわしていたら、戦いの行く末はレーダーにかかっていたでしょうね。 ソロモン海戦ではレーダーこそが決め手になると見込まれて活用されていましたから。 戦争で勝敗を決するのはレーダー射撃次第と言っても過言ではありません。 ところで、ミッドウェイ海戦で海軍が防御力の低い空母のまわりに戦艦を配置しなかった理由を知っている人はいますか? アメリカ

   ■ re:決戦では戦艦は敵艦隊を撃破する任務を優先すべしというドクトリン(基本原則)でしょう。 ミッドウェイ海戦では軍はすさまじい勢いで活動範囲を広げ、金剛は別として、たくさんの戦艦を出撃させていました。 海軍はそれが航空母艦ならびにガダルカナル島作戦を進行するうえで有効な作戦だと判断したのでしょう。 フィリピン

      ■ re:アメリカ軍は敵艦隊から保護するために航空母艦のまわりに戦艦を配置するドクトリンを採用していました。 でも、全戦艦を失った後にこの作戦は廃棄されました。 もはや他に選択の余地はなかったのです。 一方、日本海軍はまだ戦艦をたくさん保有していたにもかかわらず、航空母艦の前方ではなく遥か後方に配置し続けました。 彼らは急に作戦を変更しましたが、何故ですか?  戦艦への上空援護を続けていればアメリカ軍の急降下爆撃機に対して難攻不落のままでいられたでしょうに。そして銃砲によって私たちの国の多くの人が死んでいたでしょう。 アメリカ

         ■ re:アイオワに採用されていたレーダー射撃は、大和よりもアイオワ自身にとって致命的だったんだよ! 国籍不明

            ■ re:どうしてですか? 私が読んだ戦争の歴史書によれば、レーダーに関する問題点は、レーダーを信用せずに使いこなさなかった船長にこそあったはずですが。 アメリカ

               ■ re:「信用」とは何の関係もないよ。単に「使いこなせなかった」だけ。 実際彼らは何度もオフライン作業を行って、20分近くも視界情報の無い状態だったんだぜ。 レーダーもなく、追跡も出来ず、MK8魚雷に対しても無力なままな。 これ、アイオワのマジな記録。 だから軍は朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争の時なんかに偵察飛行機の導入を要求し始めたわけ。 国籍不明

                  ■ re:それは初耳です。 私が読んだ二冊の書物は、戦隊司令官達を非難する内容でしたからね。 彼らのうちの一人は自殺までしてますし。 不発魚雷の話は知ってましたが、少なくとも本を読んだ限りではレーダーの故障は信頼性の欠如のせいだと思ってました。 もう一度調べなおしてみますよ、ありがとうございました。 アメリカ

■ 1位の大和はたった3発の魚雷で沈没したのに、なんで14発の魚雷をモロに被弾しても健在だったビスマルクが4位なんでしょうね。  (ついでに言うと、大和は3機しか航空機を撃ち落としてませんし。) 国籍不明

■ 1939年までに製造された戦艦なんて時代遅れも甚だしい。 イギリスによって開拓された新型航空母艦こそ最高だよ。 タイ

■ 大和と武蔵は日本帝国海軍が誇る最高の戦艦だったよなぁ。 メキシコ

■ 戦艦大和は今や潜水艦と化してますがなw。 アメリカ

■ 多くの専門家の意見によれば、クイーン・エリザベス級戦艦は今まで建造された戦艦の中でも最もバランスのとれた完成度の高い代物らしいね。  技術的にも高度で信頼性が高く、強力なのに小型で、防御力や耐久性も高く、デザイン性にも秀でている。  みんな、忘れたわけではあるまいね? ウルグアイ

   ■ re:実際クイーン・エリザベス級戦艦の2番艦にあたる戦艦ウォースパイトは大戦中に最高の戦果をあげたよね。 タイ

■ ビスマルクこそナンバー1だ。 アメリカ

   ■ re:いいや、大和が最高だね。 カナダ

   ■ re:その通り! ビスマルクは第二次世界大戦において最強の戦艦だった。2番艦のティルピッツも良いよな。 ドイツ

■ ノースカロライナはー? アメリカ

■ 大和なんか最下位でいいだろうがwww。  アメリカ軍がたった6時間で沈めたんだからな。  その点、アイオワ級戦艦は全艦いまだに健在だぜ。  マジで大和クソ弱え! アメリカ

■ 動画投稿者は日本人なのか? フィリピン

■ フッドの最大速度は24ノットじゃなくて31ノットですよ。  あと、何枚か戦艦の写真が間違ってましたよ。(グラーフ・シュペーの所にアドミラル・シェーアが出てたりとか。) アメリカ

■ アイオワの活動年数は大和のそれより上回っているし、その他もろもろの性能もアイオワの方が上ですよ。  でも実際に戦ったらどちらに軍配が上がるかは永遠に誰にもわからないでしょうね。 アメリカ

■ 確か金剛の最高速度は30ノットだったはず。 アメリカ

   ■ re:あなたの意見も正しいです。 金剛は1913年時には27.5ノットの速度しか出せませんでした。     1930年代半ばのアップグレードの後、最高速度は30ノットまで高められたのです。 アメリカ

■ 戦艦と巡洋戦艦の違いって何ぞ? フィリピン

   ■ re:戦艦も巡洋戦艦も大きさや火力においてはほとんど同じですが、巡洋戦艦の方が少ない燃料で高速移動できるように設計されていました。巡洋戦艦は20世紀初期にはとても一般的でしたが、同レベルの高速移動が可能な戦艦の方が高い防御力を構築できるため、1930年代になると巡洋戦艦は時代遅れの代物になってしまいました。 第二次世界大戦中は、イギリスだけが巡洋戦艦を開発し続けていました。 イギリス軍のフッドは最大にして最も有名な巡洋戦艦だったのです。 イギリス

      ■ re:なるほどね、あざっす。 フィリピン

■ 扶桑って奇妙な形をしているように見えるよね。 なんつーか、取り付け忘れた部品を船体の一部に交互に積み上げて作ったみたいな感じ。 ルーマニア

   ■ re:フッドは巡洋戦艦だからランキングに載せんなよ。 イギリス

      ■ re:動画のタイトルに「戦艦と巡洋戦艦」って書いてんだろ。 お前、池沼か? +5 ルーマニア

■ 大和好きだあああああああ。 +8 オーストラリア

■ ふざけんなよ! なんで大和(沈没した戦艦)がアイオワより上にランクインしてんだよ、コラ。 戦艦アイオワは四隻とも全部残存してっけど、大和なんか太平洋の藻屑となって沈んでんだろうが。 アメリカ

   ■ 多分、アイオワは400機もの航空機に艦隊全体攻撃を受けてないからじゃないですかね。 もし同じ攻撃を受けていたら、アイオワも今頃大和と同じように海の底に沈んでいるでしょうよ。 オーランド




皆さん非常に熱いですね(笑)

誰でも同じだと思いますが、
やはり自国の戦艦が一番と思いたいのは各国共通なのでしょう。
中には客観的な意見もあり、参考になると同時に、
どうしても譲れない頑固な方もいるようです。

しかし、時代によって戦い方が大きく変わり、
それに伴い評価するポイントも変わっていきますから、
こういったランキングはその時の状況に応じて常に変動するんですよね。

当然、このランキングに疑問を持つ方もいると思います(笑)



海外のコメントの中に
「実際に戦ったらどちらに軍配が上がるかは永遠に誰にもわからない」
という声がありましたが、まさにその通りだと思います。



この動画で1位になっている大和ですが、
敵戦艦と出会わず、想定していた海戦をすることなく沈没したのは有名な話です。

この艦は、当時、条約によって艦船の保有数の上限が定められており、
しかも資源の少ない日本では数の不足を質で補うしかなく、
そのために強力な主砲と幾重にもわたる装甲を持つ、
世界最大の戦艦として建造されることになりました。



海戦の主役は戦艦から航空戦力を持つ空母機動部隊へと変わり始めていましたが、
それでも戦艦大和はアメリカ海軍のいかなる艦も撃沈可能な強力な主砲を持ち、
アメリカが大きく恐れる存在だった事は変わりません。

終戦後になってみれば分かる事ですが、戦争中は相手の力を見抜きづらいものです。
正直、侮っていた日本がこのような巨艦を建造し、それが目の前に実際に存在するのですから、
アメリカから見ればそれがあと何隻あるのか、
これだけの技術力を持っているのだから、
他にも我々の知らない兵器を製造しているに違いない、
そう考えるのは必然ではないでしょうか。

優れた兵器は存在するだけで大きな抑止力になります。
警官がいる店といない店、強盗に入るならどちらを選ぶか、というようなものですね。



戦艦大和の最大の特徴は、よく言われているように46センチ砲ですが、
乗員を守るための強い装甲も目を見張るものがありました。

1944年に起きたレイテ沖海戦で前甲板に直撃弾を受けた大和は呉軍港に帰港しましたが、
前甲板が大きく、装甲が厚かったこともあり、修理箇所を見つけられず相当探したそうです。


また、通常の輸送艦では米潜水艦の攻撃が不安とのことで、
大和を前線への輸送に使う「戌」作戦を行ないました。
この作戦で横須賀を出発した大和は、
出発後5日目にして米潜水艦「スケート」に補足されてしまいます。

スケートの放った魚雷4本のうち、1本が大和の右舷後方に命中しましたが、
艦の傾きを抑えるためすぐに左舷側に注水し、そのままトラック島へ入港しました。
この時も、魚雷が当たった事に気がつかない乗員が多かったとのことです。

攻撃力だけでなく強力な装甲を持つ艦、
自身が持つ世界最強の攻撃力である46センチ砲に耐えられるように作られた不沈艦、
それが大和でした。

動画 携帯用動画




海外のコメントで
「アイオワだって大和が受けたのと同じだけの攻撃を受けたら沈んでいる」
というような声がありましたが、

数百機の航空機が数百~数千発の爆弾と魚雷をばら撒いてくれば、
アイオワどころか、現在の最新イージス艦でも
さすがに さばききれずに沈んでいることでしょう。

しかも相手はロボットでなく、意思を持つ人間が乗って操縦する航空機ですからなおさらです。
それほどまでに、熾烈を極めた戦いでした。


時代は 「当たっても耐えられる艦」 から
「当てられない艦」 へと移り変わっているので単純な比較はできませんが、
こうして考えると、結果的に敗れてしまった大和ですが
いかに優れた艦であったのか疑う余地はないものと思います。



大和の優れた建造技術は戦後の様々な分野に引き継がれ、
戦後の日本の礎になりました。
しかし、この艦は私たちにもっと大事なものを残してくれたと思います。

動画 携帯用動画


進歩のない者は決して勝たない
負けて目覚めることが最上の道だ
日本は進歩と言うことを軽んじ過ぎた
私的な潔癖や徳義にこだわって
真の進歩を忘れていた

敗れて目覚める
それ以外にどうして日本が救われるか
今目覚めずしていつ救われるか
俺たちはその先導になるのだ
日本の新生にさきがけて散る
まさに本望じゃないか


既に負け戦だと言う事を知っていて、それでもなお出撃したのがこの文章から分かります。
それも、この国の未来のために。
多くの日本人がこうして死を覚悟し、
日本のために戦ってくれ、そして散りました。

この艦が残してくれたものは、技術だけではありませんでした。

技術は時代と共に古くなりますが、
大和が残してくれたものはいつまでも決して色あせる事はありません。
それが何なのか、日本人には分かる事と思います。



戦争を肯定するわけではありませんし、戦艦マニアでもありませんが、
この動画の海外の声として、自国の戦艦を推す声があるように、
数奇な運命を辿りつつも全力で戦って下さった乗員の方々と、
乗員と日本の未来のために戦った艦である戦艦大和を、私も推したいと思います。




過去だけでなく、私たちがごはんを食べ、お風呂に浸かっている間にも、
そう、今も日本を守ってくれている方々がいます。

以前の記事で取り上げた動画 ↓ 携帯用動画


こうした方々が胸を張って守れる国であるように、
私たちも日々努力したいと思います。




2013.04.24.  21:45  追記

皆さまの熱いコメントをたくさんいただき、ありがとうございます。

まず最初に断っておきたい部分についてご説明させていただきます。

英霊を侮辱しているとのご指摘を受けましたが、
決してそのような事はありません。

本文にある 「進歩のない者は決して勝たない」 からの引用につきまして、
ここで伝えたかった事、それは、
この国のために戦ってくれた方々がかつて存在し、
そのおかげで今の日本がある、という意味を伝えたかったんです。


説明不足でご迷惑をおかけしてしまいました、申し訳ありません。


上記の補足として、私自身は愛国者というほどのものではなく、
いたって普通の日本人であるという事も付け加えさせていただきます。


ただ、普通の日本人にとっても、大体の事は我慢できるのですが、
かつてこの国を守った方々を侮辱し、嘘で塗り固めるのだけは許せないのです。
私は軍国主義者ではありませんし、当然ですが、戦争を美化したくもありません。
日本の国旗を所有しているわけでもありませんし、
かつての日本軍を賛美したいわけではありません。


ですが、国を守るために戦って下さった方々が存在したのは事実です。
その方々を参拝するとなぜか文句を言う方々もおられるようですが、
特別な愛国者ではない私たち普通の日本人にとっても、
大恩あるご先祖様に対する、いわば普通のお墓参り同様であり、
この事について 「靖国参拝=愛国者」 と考えるのは早計であると思います。

「かつてこの国のために戦った人たちがいた」
それはごく当たり前の日本人でも、普通に誇って良い事実ではないでしょうか。



私には戦艦大和の乗員の方々については知人がおりませんので
どういった心境で戦場に赴いたのかは、正直なところ分かりません。

しかし、少なくとも私の父がどういう心境で戦いに行ったかは、聞いています。
父は普通の日本人でした。
特に秀でた能力はなく、それでもこの国を守るために戦いに赴いてくれました。

実際に体験した話によると、敵の攻撃で命を落とすことよりも、
行軍の疲れから来るマラリヤなどの病気で命を落とした方が
非常に多かったそうです。


父も周りで倒れてゆく仲間たちを見て、
いつも死を覚悟しつつ出撃していたと言っていました。
そしてそれは、父だけではなかったそうです。
そのような状況では覚悟しないほうがおかしいのかも知れません。


敵の攻撃もそうですが、上官の指導が何よりも怖かったとの冗談も聞きました。
何か間違いをすると、上官の「そこへ直れ!」の掛け声とともに父は直立不動。


避けたり防いだりは絶対にダメな状況で、
上官が厚いベルトを2回ほど折り、
そのバックル部分で頬を思い切りひっ叩かれるそうで、
3日間はごはんが喉を通らなかったと笑って言っていました。

直立不動のまま、声も上げずに受けるとの事で、
軍靴の底の部分もすごく痛かったそうです。

父は戦争の話をほとんど語ってくれませんでしたが、
少しだけ聞いた話では、
塹壕の上から狙われてアキレス腱を弾丸が貫通し、足に鉄板を入れたり、
その他の怪我も当然ありましたが、無事に生還してくれました。

帰って来れなかった方々もいたなか、
生きて帰って来たのが悔しいとも言ってました。
そのおかげで今の私がいるわけですが・・・。



当時の大日本帝国軍人である事を誇り、映画や書籍のように、
死を恐れない優秀な方々も大勢おられたでしょう。

しかし、そういう優秀な方々ばかりではなく、
私たちのように普通の人が戦場に赴き、
死を隣にあるものとして常に覚悟し、恐れ、
それでもなお、愛する家族のために戦ったのも
忘れてはならない事実だと思います。




そして、父がよく言っていたのは、
「戦争はよくない」 でした。

しかし、守らなければならない時は仕方がない、
とも言っていました。


このあたりも賛否両論ありましょうが、
今となっては知る由もありません。

そんな父が、戦後の日本が悪いような風潮に大変苦労したのを知っています。
愛国者や軍国主義者、戦争賛美者ではありませんが、
普通の日本人として、
真実を歪め、かつての英霊の方々を貶めるやり方は許せないんですね。

ほとんどの方は分かっていると思いますが・・・。


コメント欄で熱く国防について語ってくれる方もおり、
正直な話、日本もまだまだ捨てたものではないな、と嬉しくなります。
意外と旨い酒が飲める相手なのかも知れませんね(笑)

そしてその話をすべて否定するわけではなく、
「日本の重要な部分が浸食されかけている」 という部分は、
残念ながら真実であり、同意せざるを得ない部分でもあります。
そのあたりは、やはり日本人が声を出してゆくしかないのかな、と思います。



追記の冒頭で 「伝えたかった」 と書きましたが、
私自身、伝えるほどの情報を持っているわけではありませんので、
皆さまと一緒になって考えたいんですよね。

こうして様々な意見が聞けた事は非常に嬉しい事であり、
この国を憂う方がまだ大勢いるということは、
むしろ誇らしいことであると思います。