2012年5月12日に撮影された、栃木県足利市・あしかがフラワーパークの
ふじの庭園を見た海外の反応です。
四季の花々を集めた、いわば花がテーマのアミューズメントパークですが、
ナチュラルな自然美の凝集ぶりに、「結婚式のための夢の地」、との声もあがっていました。

350本以上の青みピンク系を中心とした花々がしなだれ、頭上を覆うダイナミックさには、
外国人の方々にはとっては見慣れた自然にない、壮観な美しさらしく、
すばらしい!と称賛の嵐です。

今回の名物は、県指定天然記念物の樹齢約140年の藤。
枝は500畳!もの広がりをみせ、「世界で最も美しいふじ」 と言われていますが、
中には藤の花弁の連なりがあまりにも長いためか、何年咲くのか、といった声もありました(笑)


動画  携帯用動画




以下、この動画に対する海外の反応


■ 美しい!!!!! アメリカ   

■ とても美しいから、すぐにも行って見てみたい 香港

■ 私はすごーく好きです、だって美しい… 国籍不明 

■ むらさきの藤は咲きおわるまで何年モノ? アメリカ

■ まったく、すばらしい! アメリカ

■ 本当に美しい! アメリカ    

■ 完璧 国籍不明

■ すごく魅力があるな ギリシャ

■ 多くの人々の企画と提供による共有に感謝します! 台湾

■ どこなんですかここは! アメリカ   

■ 称賛っ! アメリカ

■ 結婚式のための夢の場所だと僕は思います ベトナム 

■ 非常に、美しいっ! 大変美しい! 台湾

■ これは夢では…自然のなかに、これほど美しい…。善なるものをありがとう! スペイン

■ えぇっ!コワイくらい非常に綺麗だね! アメリカ  

■ 香りが極上でなくてはいけない! フランス

■ 美しさそのものだね モルドバ共和国

■ 彼らは毎年、こんな楽しみをもっているのか? 国籍不明 

■ 壮観かつ驚異的! スペイン

■ 世界で最も美しいふじ! 国籍不明

■ ここには、決して行けないだろうな アメリカ   

■ 積極的になれよ!いつか日本を訪問しろ!お前、できるって! アメリカ

■ すばらしい。正確にはこの庭はどこにあるのですか? イギリス

■ 足利市―東京の北、約1時間のところにあるよ アメリカ

■ 驚異… ルーマニア 

■ あの信じられないところ…モネ、モネ! ルーマニア共和国
 
■ 素晴らしい!私が今まで見た中で最高のフィルムの1つ スウェーデン王国

■ 驚異的なビデオ、目の覚めるような見事な色。写り込んでいた他の被写体もいい イギリス

■ とてもすばらしい。どうもありがとう! ロシア  

■ 言葉でいい尽くせないくらいの美! ロシア

■ 感謝 カタール

■ 美しい!美しい!!美しい!!!花だっ!!  リトアニア共和国

■ なんとまあ、朝から晩まで 夢のよう!アメリカ

■ これらの藤の下で歩くのは素晴らしいに決まっている!美しいビデオをありがとう。 国籍不明 

■ とってもいいね! タイ

■ おもしろいね ロシア    

■ すばらしい! オランダ王国  

■ 楽園だ  フィンランド共和国  

■ どうもありがとう ポーランド共和国

■ 超絶っ! カザフスタン共和国
(一部を除きここまでプロのお仕事)


・・・。

・・・あまりに日本上げだと恥ずかしくなるので賛否両論あるように確認しておりますが、
この動画に寄せられている66コメントのほとんどが、日本語も含めて称賛の嵐でした(笑)

この動画に登場する「藤」は日本固有の花であり、
その歴史は古く平安時代や鎌倉時代の書物にも書かれているとのことです。
ここまで古くから花が詩として詠まれ文化として定着し、
現在まで途切れることなくその文化が継続されている国は世界でも非常に珍しいと言えます。

この動画とは違う場所ですが、日本の有名な藤として、古来は野田の藤が存在したそうです。
これは江戸時代には 「吉野の桜野田の藤高尾の紅葉」 と呼ばれるほど有名でした。

有名な野田の藤は現在は藤跡となっていますが、
動画の藤も樹齢は140年という凄さですから、海外から見れば驚くのも無理はないのでしょう。


ちなみに日本の花と言えば桜と菊と思いきや、
法で定められた国花というものはないそうです。
まあ、他の国の誰が何と言おうと日本の花は桜と菊だと思いますが・・・。



日本以外の国の国花は以下の通り ↓

インド (蓮)
Nelumno_nucifera_open_flower_-_botanic_garden_adelaide2

台湾 (梅)
100px-Plum_flower_1

中国 (牡丹)
Paeonia_suffruticosa_-_03
(中国は現在国花を選定中とのこと)

その他の多くの国はwikipediaにて。

世界各国の国花を見比べてみると色々な事柄が浮かび上がって見えます。
国花ともなると、その国の国民が納得するだけの様々な理由を
兼ね備えている必要があるようで面白いですね。



インドではさすがに蓮(ハス)ですね。
台湾の国花については
梅の花は寒い季節にたくましく咲くことから、台湾では「どんな状況でも生きていける」という意味を持つとされています。
、梅の5つの花弁は五権(行政・立法・司法・考試・監察)の象徴であり、さらにそれぞれの花弁についた3つの雄しべは三民主義(民族・民権・民生)を示しているとされています。そのほかにも、台湾を代表する歌として「梅花(メイファ)」が歌われるなど、国際社会において苦境に立たされながらも強く生きる台湾の人々を勇気づける花として、広く親しまれています。
とありました (引用元




台湾の国花は上記のように梅とのことですが、中には日本の桜が大好きな方もいるようです

国旗の重み 国花編~台湾の花咲かじいさん~  携帯用動画(一部の携帯では見れないようです・・・ニコニコでの視聴はこちら


以下、動画中文章の書き起こしです ↓

日本の国花



今回紹介させていただくのは
その桜を世界一愛してくださっている
あるおじいさんの話です

今の表現に多くの方は
こう思われたのではないかと思います

「いくら何でも世界一は大袈裟だろ。
 日本人はみんな 桜 大好きだよ」

お気持ちは理解できます
私も「世界一」という表現を
こういう場で使うのは初めてです

しかし、この動画の最後にはほとんどの方が、
それが決して大袈裟な表現ではないと納得して下さると思います。


台湾の花咲かじいさん

台湾の内陸部に位置する
南投県埔里の町
この町には王海清さんという多桑(トオサン)がいます

多桑(トオサン)とは
現在の台湾において今でも日本語が話せる人のことを言います

王さんは日本統治時代に国民学校で6年間、
日本の教育をうけました


王さんの家庭は経済的にとても貧しく
親には学校に行かないで働くように言われたそうです

しかし、どうしても勉強をして
立派な人間になりたいと思っていたので
必死に国民学校(現在でいう小学校)に行きたいと説得し
畑仕事を手伝うならと、許可されて
6年間学校に通うことになりました

学校に通えることが嬉しくて嬉しくてしょうがなかった
王さんの心に最初に響いたのは
国語の教科書にのっていた
「サイタ サイタ サクラガサイタ」
でした

子供心にも、まだ見たこともない桜へのあこがれが、
このとき芽生えたといいます


公学校を卒業すると台中州林業試験場埔里分場に就職し、
種苗科に配置されました
しかし、戦争がはじまり昭和19年、
王さんは志願兵として、高雄の海軍陸戦隊に入隊しました



王さんはこう語ります
「あの頃こんな歌をよく歌ったよ
 貴様と俺とは 同期の桜
 同じ高雄の 庭に咲く
 咲いた花なら 散るのは覚悟
 見事散りましょ 国のため
 パッと咲いて、パッと散る。
 サッと散るのは、お国のために
 歌って、思って、考えてみたよ。
 これが桜にこめた日本人の心だよ」


戦後まもなく、王さんが移り住んだのが霧社でした。
そこには、日本人が植えた桜が、数百本も残っていました。
それが、王さんが生まれてはじめて目にした桜でした

「桜を見た
 嬉しかった
 ああ、これが桜だ、と思った」

ところが、王さんにとって悲しいことが起こりました
その桜が、道路拡張工事のために、
一本残らず切り倒されたのです。
王さんはそれが残念でたまりませんでした。

そこで、村の役場や有力者の人々をあつめて、
桜を植える相談をしました

だれが何本、だれが何本と、
一応、桜再生の相談はまとまりました。

しかし、いつまでたっても、
だれひとりとして、桜を植えようとはしません。

王さんはひとり、誰にも告げず
日本人が植えた桜の種から育てた苗を、
霧社から埔里への沿道に植えはじめました。

一本、また一本と
王さんの桜は増えていきました
それでも他の人は誰も桜を植えようとはしません

王さんの植えた桜は
100本、200本、300本、と増え続けました

「働いて稼いだら桜を植える。
 私は桜を植えるために働くよ」

王さんの桜を植える事へのこれほどまでの執念は
どこから来るのでしょうか?

もしかすると、そこには
青春時代を日本人として過ごした
王さんの郷愁に似た想いも込められていたのかもしれません

また、自分と同じように桜を愛し、
ともに肩を抱き合い 「同期の桜」 を歌い
桜のように悲しく散って行った
戦友への慰霊の意味もあったのかもしれません


王さんの桜は増え続け、
ついには埔里から霧社までの約20数キロの沿道はすべて
王さんの植えた桜で埋め尽くされました

植え続けた桜の数は3200本に達していました
やがて大きく育ち、白や紅の花を咲かせるうつくしい桜

王さんがいつも愛情を込めて手入れしているので
王さんの桜はいっそう美しく咲きました

その桜の美しさに惹かれて、
根こそぎ桜の木を持ってゆく人が、後をたたなくなりました

抜かれては植え、抜かれては植え、
この二十年間で、王さんが「補足」した桜は、
1800本にもなります

あるときは、桜の木を盗んでいるのを見た人が、
そのあとを尾行して王さんに、
「盗んだ人の家をつきとめたから、警察に突き出しなさい」
と言いました。

でも王さんは、その人を咎めようともしません。

「盗んだ人もきっと外に植えるだろうから、
 私がこの道に植えるのと同じだ。
 外に植え、花が咲けば
 みんなそれを見て楽しいから」

道ゆく人が、桜を植える王さんを見て声をかけます。
「いくらで雇われているんだね?」
村から雇われて桜を植えていると思うからです。

王さんはこう答えます
「月に二万元だよ」
自分でお金を出して桜を植えていることなど、
だれも信じてくれないからです

「黙って植えて、桜が咲く。
 それが私の成功」

あるとき、自動車事故が発生し、
王さんの植えた桜の木のおかげで、
当事者が一命を取り止めるということがありました

その事故がきっかけで初めて
台湾の人たちは知りました

3000本をこえる桜が個人の私財によって
植えられていたことを

しかも、四半世紀もの間、
王さんの手でそれが維持管理されていたという事に
そして、台湾で個人としては、
はじめて台湾交通部(日本の国土交通省に当たる)から、
最高の栄誉である 「金路賞」 を受賞したのです。

王さんは80歳を過ぎた今でも朝5時に起きて
脳梗塞で動かなくなった右手にかわって、
左手に剪定鋏をさげ、桜の手入れに出かけます

「王さんは、死ぬまで桜を植え続けるんですか?」
というインタビュアーの問いに
王さんはこう答えます

「一度やると決めたことは
 何が何でもやり通す。
 それがリップンチェンシン(日本精神)」



参考サイト・文献
トオサンの桜 散りゆく台湾の中の日本
平野 久美子 (著)小学館
RTI(radio taiwan international)
http://japanese.rti.org.tw/default.aspx

反日マスコミが伝えない親日の話
http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/menu00.htm
(上記サイトは現在では無くなっているようです)
(より多くの方々に知っていただきたいと思い、ここまで動画内の文字を書き起こしましたが、
 問題がございましたらご連絡いただければ対処させていただきます)

埔里公路(国道14号線)沿いにトオサンの桜は植えられているようです ↓

大きな地図で見る
他の木々に混ざっているようで確認が難しいですね(笑)
ちなみに、その後も
台湾へ桜の苗木を贈るなど、桜による友好は現在でも続いているようです。


この動画だけを見ると日本は良い事しかしていないと思う方が出てしまうかもしれません。
当時日本は他の国々に比べ遥かに人道的でしたが、台湾の日本統治時代に日本が
決して良い事だけをしたわけではない事を補足させていただきます。

現在でも世界中で良い事も悪い事もいろいろあります。
すべて良い事だけの楽園など平和な時代でも存在するはずもなく、ましてや
戦時中という当時の情勢では現在と正義の価値観なども大きく違っております。
日本と台湾に限らず、どこの国でも悪い事があって当たり前だったんですね。

しかし、それらの良いところも悪いところも考慮したうえで、
実際に当時を体験した台湾の方々の声として、
日本統治時代の教育などが素晴らしかった、と言う声が多いとのことです。

台湾は親日とよく言われていますが、それに甘えることなく、
今後も努力を積み重ねることが大切と言えるでしょう。



また脱線してしまいましたが、
今回の動画以外でも日本の花は海外でも大変好評のようです。
この他にも世界初の青いバラの話などもご紹介したかったのですが、
それはまたの機会に(笑)

世界にも素晴らしい花が数多く存在しますが、
日本の場合はその維持や管理に大変な手間が掛けられているのではないでしょうか。
冒頭で出てきた海外のコメントで、結婚式のための夢の場所という声もありましたが、
称賛の声が寄せられるのも納得できる、想像を超えた素晴らしい風景でした。

それを支えているのは、紛れもなく毎日手入れをしている方々であり、
こういった文化を作り上げてきた方々なのでしょう。
そのおかげで私たちも素晴らしい花を楽しめているのだと思います。


また長くなってしまいました。
今回の話は桜の動画の時に紹介すればよかったですね・・・(反省)