今回はアメリカの歴史ドキュメンタリー専門チャンネルが作った、
第二次大戦時の日本の軍用航空機開発・製造の歴史をたどる番組を見た海外の反応です。

この動画は3つに分かれた最後の3つ目の部分にあたります。
主な構成は
・日本が開発中だった、数々の先進的航空機
・日本の敗戦と、連合軍の占領。にもかかわらず、長い間日本の軍事技術が隠匿されてきたこと
・冷戦の緊張感の高まりと、朝鮮戦争の勃発。それに応じて日本の技術がアメリカに利用されたこと

この動画で解説されている、開発中だった、もしくは開発中だったとされる航空機も
実践で活躍するには至らなかった場合が多かったようです。

動画冒頭部分で出てくる上半分が赤いロケット戦闘機は
秋水 (日本初のロケットエンジン搭載試作戦闘機)

次に出てくる、機体後部に主翼のついた濃緑の機体は「神龍」。
ただしこれは連合軍が 「創造(想像)」 したもので、
実際の開発計画はなかったという説が有力ですが、
本当のところはもう少し時間が経たないと分からないのかも知れません。

その次は自爆用特攻兵器である、桜花

それから両翼にジェットエンジンをつけた、橘花
この機は戦闘機ではなく、映像で表しているように攻撃機です。


動画  携帯用動画
3/3- Secret Japanese Aircraft of WWII


以下、この動画に対する海外の反応


■ うわっ、知らない事ばかりだった。地下での生産ってのは、ドイツもやってたんだよな。 オランダ

■ 3:04↓ にものすごい空母が映っているな。戦争末期に、日本にこんな空母は無かったはずだが。イギリス
0618 kuubo

 ■ re:いや、あった。ヤマト級の巨大な戦艦を、シナノという航空母艦に改造したんだ。なんで知られていないかというと、構造的欠陥、被弾時対応のまずさ、乗組員の経験のなさにより、試運転から10日後に沈没したからだ。 アメリカ

■ 日本は敗戦時に、軍事関連の多くの証拠を隠滅したんだな。他に何があったか、正確には分からない。8月17日に、ロサンゼルスに強力な爆弾を落とす予定だった、という噂も聞いたよ。 イギリス

■ 素晴らしいドキュメンタリーですね。 アメリカ

■ 最初にジェットエンジンを開発したのはドイツ人だが、日本と同盟してたから技術供与したんだよな。ドイツの技術もすごいよ。 アメリカ

 ■ re:イギリスが第一次世界大戦で開発したのが最初だろ。ドイツ野郎が技術を盗んだんだよ。 イギリス

  ■ re:いや、両国とも研究に取り組んでいて、ほぼ同時に開発した。どっちが盗んだってことはない。 アメリカ

■ 日本とドイツがまた同盟を組むなんて言い出したら、恐いな アメリカ

■ そして今や日本には、日産GT-R、プレステとアニメがあるというわけか アメリカ

■ もっと時間があれば、日本はああいうジェット機、ロケット機を大量生産したんだろうな。時間がすべてだ。時間が、第二次大戦で連合軍を助けたということだな。+2 アメリカ

 ■ re:アメリカも、海軍でも空軍でもジェット機を作ってたということを忘れちゃいけない。戦争が1946年以降も続いたとしても、日本にチャンスはなかったと思う。 アメリカ

■ 日本のだったのか!今までずっと、ドイツの飛行機だと思ってたよ。+6 ブルガリア

 ■ re:まあ政治的・軍事的に強く結びついてたからね。ドイツのBF-109戦闘機とME-262ジェット戦闘機の日本版さえあるんだよ。 ドイツ

  ■ re:日本版のBF-109戦闘機が飛燕で、日本版ME-262が橘花だな。 アメリカ

■ 「速度が速すぎて、機銃が機能しなかった」ってどうゆうことだ?弾丸を追い越してしまうのか?w オーストラリア

 ■ re:当時の戦闘機搭載の機銃は、プロペラ機用だったんだ。照準も目視だしな。だからジェット機は速すぎた。 スペイン

■ V2ロケットで最初に宇宙に到達したのはドイツだ! ドイツ

 ■ re:あれは弾道ミサイルであって、宇宙には行っていない。 アメリカ

■ もし……だったら、だっただろう、できただろう……で戦争に負けたと。+2 カナダ

 ■ re:それが戦争に負けた国に共通することなんだろうな。もう1年あれば、新兵器を投入できた……と。

■ 日本は燃料が底を突いていた。動画の戦闘機も、本土防衛専門だった。あいにくなことに、日本本土は一度も侵略されなかったのだがな。 アメリカ

■ 1945年の段階で、日本軍にはこれらの航空機を操縦できるような熟練したパイロットがいたの? カナダ

■ 100万人を乗せ、光の10倍のスピードで飛ぶ円盤を設計しました。しかし技術がないので製作できません……この動画には、似たようなものを感じる。 ルーマニア

■ 日産のGT-Rを見てもわかるが、日本は常に時代の先に進んでいるな。非常に知的な民族だ。ドイツを除けば、これに太刀打ちできる西洋の国はない。 オーストラリア

 ■ re:1940年代の話だぞ。当時は全然、んなこたーないだろ。 アメリカ

 ■ re:ハハハwww 漫画で得た知識か?日本が第二次大戦で開発した優れた兵器がそんなにあるなら、紹介してほしいものだな。日本の魚雷は確かに良かった。しかし他には、ほとんどありゃしない。 国籍不明

  ■ re:三菱のゼロは大戦で空を支配した。知り合いの歴史家に聞いてみろよ。 オーストラリア

   ■ re:ゼロが「支配した」だって?それはもっと優れた戦闘機が現れるまでの話だろ。 国籍不明

■ 確かにすごいが、問題は製造するための資源があるか、燃料があるのか、ということだ。時速900kmを越える攻撃機があっても、燃料がなければ仕方ない。日本とドイツは同じ問題を抱えていた。 アメリカ

■ 「ゴジラが日本の本州を守る」ってのと同じぐらい、現実味のないことだよ。 イギリス

■ 全部ドイツ製に見える。 ロシア

■ 日本の技術がなかったら、アメリカの空軍は貧弱なものになっていただろう。 アメリカ

■ アメリカは欲しい物を何でも、よその国から「借りる」んだよなあ。 カナダ




以下、主題の動画 ↓ の内容を翻訳したもの

(下の翻訳内容と見比べやすいように再度貼りました ↑ )


0:00~ ↓
0618 shuusui
1945年7月7日、ロケット戦闘機「秋水」が最初の飛行をおこなった。

0:09~
歴史家(メガネ)「日本軍は単に(ドイツの)メッサーシュミット Me163をコピーするのではなく、大幅に改良しました。Me163の問題点が、多くの燃料を搭載できない点にあることに気がついたのです」

0:25~ ↓
0618 2gata
この改良された新型のロケット戦闘機は「2型」と呼ばれる。三角形のデルタ・ウィングを持ち、ロケットエンジンを2基搭載。さらに空対空ミサイルさえ備える。Me163よりも速く、大きい。もし実戦に出ていたら、多くのB29を撃ち落としたことだろう。
(※訳者注:この戦闘機「2型(神龍二型)」の計画は実在せず、米軍が他の機の設計図を見て勘違いしたという説が有力)
 

0:45~ ↓
0618 ouka
日本海軍は別に、特攻用のロケット航空機を開発していた。

0:51~
歴史家(ヒゲ)「この『馬鹿爆弾』※は『桜花』と呼ばれ、連合軍艦隊に自爆攻撃をおこなうものでした。航続時間が短いため、桜花を一式陸上攻撃機によって敵艦隊の近くまで運ばなければなりませんでした。多くの場合、桜花の射程距離内に敵艦隊が入る前にそれを運ぶ一式陸攻が撃墜されました。桜花だけでなく、一式陸攻にとっても自殺行為だったのです」
※米軍はこの桜花を「馬鹿爆弾」と呼んでいた。

1:21~
この結果、日本海軍は一式陸攻に代わるジェット爆撃機開発の必要に迫られた。


1:27~ ↓
0618 R2Y
歴史家(メガネ)「この機はR2Y=景雲と呼ばれる機種です。この機は連合軍情報部によるコードネームが付けられませんでした。理由は、情報部がこの機の存在を知らなかったからです」

1:45~ ↓
0618 R2Y0001
R2Yの試作機は、1945年4月に完成した。予定されていたジェットエンジン搭載は、間に合わなかった。従来のプロペラエンジンで飛行した。

2:00~ ↓
0618 R2Y0002
最終的にはR2Yは、このようなジェット攻撃機になる予定だった。左右の翼の下に、それぞれジェットエンジンを搭載。最高速度時速800kmを、高度900mで実現できる。当時の米軍航空機には、とうてい迎撃不可能なスピードだ。

2:17~
歴史家(メガネ)「連合軍情報部はこの新型ジェット機R2Yについて、何も情報をつかんでいませんでした。1941年と同じ、情報部の失敗です。この年、情報部はドイツの兵器開発技術が日本に秘かに持ち込まれることを阻止しました。しかし米軍は後に、大いに驚くことになってしまったのです※」
※真珠湾攻撃のこと


2:38~
この情報部のミスは、米軍にとって高くついた。もし、連合軍が沖縄に続き日本本土を攻撃していたら。


2:49~ ↓
0618 R2Y0003
1946年春。米英艦隊が、日本本土に近付く。艦上戦闘機のコルセアが、上空で警戒する。
突然、日本軍空母がジェット攻撃機を空に放つ。

3:10~
歴史家(ヒゲ)「アメリカ軍のレーダーは、この機をとらえられないでしょう。艦隊の上空に現れて初めて、『見ろ!敵だ』ということになります。米軍艦隊が壊滅的な被害を受けていた可能性は非常に高いです」

3:35~ ↓
0618 R2Y0004
米軍戦闘機や艦船の対空射撃がつかまえられないほど速いR2Yは、米軍艦隊に魚雷を撃ち込み上空からはミサイルをお見舞いしただろう。
艦隊が沈没した後で攻撃機R2Yとジェット戦闘機「橘花」が山岳の基地から飛び立ち、米軍の揚陸挺などを攻撃する。

4:01
歴史家(ヒゲ)「これらのジェット機は短時間で現れ、短時間で去ります。そして可能な限り多くの艦船に攻撃していきます」

4:16
しかし実際の歴史は違った。B29は日本に爆撃し、大打撃を与えた。ジェット戦闘機「2型」の大量生産は、結局おこなわれなかった。


4:33
しかし一つの疑問が残る。日本軍はいかにして、このように長期間にわたって軍事機密を隠し続けることができたのか?
答は、日本の山岳地帯の地下にあった。


5:01 ↓
0618 manshuu
1945年8月、広島に原子爆弾が投下された2日後、ソ連が日本に対し宣戦布告した。ソ連軍情報部はすぐに満州地域を捜索し、日本の航空軍事技術を獲得しようとした。しかし米軍も遅れをとってはいなかった。


5:28~
歴史家(メガネ)「戦争が終わると、アメリカなど各国情報部が東京に殺到しました。日本の優れた航空技術を得ようとしたのです。彼らが心配したのは、多くの軍事情報が満州にあり、それをソ連がすでに得てしまったのではないかということでした」

5:43~ ↓
0618 koujou
しかし実際にはそれは、満州には無かった。
終戦の6カ月前、日本軍は航空機工場を米軍に空襲されない地域に移動していた。日本の山岳地域は、工場を隠すためには絶好の場所だった。トンネルや廃坑になった鉱山などが、工場に改修された。新たなトンネルが、火山の山腹に掘られた。

6:15~ ↓
0618 tankou
連合軍情報部は、100を超える日本軍の地下航空機工場を発見した。それらは山腹の奥深くに作られ、核攻撃にも耐えられるものだった。

6:27~
日本軍は、仮に戦争に勝てないとしても、本土決戦で何百万人もの連合軍兵士の命を奪おうと考えていた。
安全に隠された地下の工場では、ジェット航空機、ロケット航空機が着々と準備されていた。


6:52~ ↓
0618 tikakoujou
歴史家(メガネ)「情報部は、中島飛行機の秘密の工場を発見しました。そこにはジェット戦闘機『橘花』の生産ラインがありました。すでに組立の最終段階でした。それとは別に、R2Yジェット攻撃機のラインもありました」

7:06~ ↓
0618 12000ki
連合軍情報部は、12000機以上の軍用機が地下にあるのを発見した。「秘密の地下航空部隊」はそれまで完全に隠されていた。
すぐれた航空技術の多くはアメリカに運びこまれ、それは戦後のアメリカのロケット・ジェット開発に利用された。

7:39~ ↓
0618 itokawa02
日本では、「隼」を開発した糸川英夫のような優れた技術者も、その職から離れていた。

7:48~ ↓
0618 situgyou
歴史家3「降伏の条件として、日本の全ての航空機開発は中断されました。それで多くの優れた設計者、技術者が仕事を失いました」

8:03~
歴史家(メガネ)「戦後、糸川氏は医療機器の研究者に転身しました。しかし後にまた、ロケット開発にたずさわることになります」

8:18~ ↓
0618 kitachousen
1950年、北朝鮮は韓国に侵攻した。冷戦ではなく、実戦となった。
1年後、アメリカは日本と平和条約を結んだ。かつての航空技師・研究者たちは、その多くが業界に戻りジェット機研究に参加した。

8:40~ ↓
0618 nakajima
糸川氏が以前所属していて、「橘花」を作った中島飛行機も、ジェット機生産を再開した。

8:49~
歴史家(メガネ)「戦後、中島飛行機は富士重工業という名に変わっていました。事業内容も、軍需産業ではなく商用産業へと変わりました。しかし冷戦が朝鮮で加熱した時、富士重工も航空兵器製造を再開したのです」

9:08~ ↓
富士重工は1958年、戦後最初の軍用ジェット機を完成させた。T-1である。
0618 t-1

9:17~ ↓
0618 kouku
歴史家3「戦後の日本の航空技術は、その多くがアメリカ製航空機という形で現れます。アメリカ人の特許となったり、アメリカの工場で製造されました。そういう兵器には、アメリカのF-86セイバー、日本の航空自衛隊にも配備されたロッキードP-2、ずっと後のF-104 スターファイターなどがあります」

9:50~ ↓
0618 itokawa hideo
しかし航空機産業に戻らなかった人々もいました。その一人が糸川英夫氏です。

9:57~
歴史家(メガネ)「1953年、糸川氏は研究のためアメリカへ行きました。彼はその時まだ、医療機器業界の人間でした。しかし彼はアメリカで、別のものを見て目を開かされました。宇宙計画です」

10:10~ ↓
0618 itokawa hideo02
帰国すると、糸川氏はロケット計画を再開した。今回は、平和利用のためだ。

10:18~
歴史家(メガネ)「そして早くも1954年には、糸川氏は最初の国産ロケットのテストをおこないます。それは上空100kmに到達したと言われます。この功績により、糸川氏は『日本のロケット開発の父』と呼ばれることになるのです」


10:35~ ↓
0618 japan
1970年、日本最初の人工衛星が打ち上げられた。ロシア、アメリカ、フランスに次いで宇宙に到達するという快挙だった。

10:52~ ↓
0618 McCoy
冷戦の緊張感の高まりにより、各国は兵器開発競争にあけくれた。それは、情報部にいたフランティン・マッコイの運命も変えた。彼は元の任務に戻った。
太平洋戦争時には日本軍機にどんなコードネームをつけるかが問題になったが、この時はソ連軍機について同じ問題が発生した。マッコイは爆撃機にはBで始まる単語、戦闘機にはFで始まる単語を使って命名した。しかしそれらは、日本軍機につけたような情緒的な言葉ではなかった。

11:47~ ↓
0618 japan02
歴史家(メガネ)「最近の歴史研究により、第二次大戦時の日本ではジェット、ロケット、誘導ミサイルなど、非常に広い範囲の航空技術が開発・研究されていたことが分かりました。すごい事です」

12:05~ ↓
0618 japan03
こんにち、日本は国際宇宙ステーション計画に参加している。中島=富士重工でスペースシャトルを作るというプランもあった。もうしそうなっていたら、それは1945年の「神龍2型」の直系の子孫ということになっただろう。
時間さえ味方していたら、戦争に勝利していたかもしれない。日本の航空機産業は、そういう多くの秘密を隠し持っていたのだ。




今回は動画の翻訳もプロにお願いいたしました。
翻訳者の方からは
「※大意のみ訳した部分があります。訳の正確さは保証できません。ご了承ねがいます。」
とひと言いただきましたが、素晴らしい翻訳でした、ありがとうございます!

今回の海外コメントでは、不正確な情報によって惑わされている感じのコメントもありました。
中には当時の日本の航空技術の高さを知っている方もいるようで、
所どころで熱い議論が交わされていました(笑)


海外コメントでは当時の日本の航空機と技術に敬意を払う外国人の方もおりましたが、
戦争に勝った=優秀である、のように単純な見方をする方もいるようですし、
自国の航空機こそ最強だ、と思いたい方も当然いるようです。

「ゼロが「支配した」だって?それはもっと優れた戦闘機が現れるまでの話だろ。」
という声もありましたが、
新しいものが開発されない分野はほとんどありませんし、
これは零戦に限った話ではありません。


ちなみに、他国で開発されたものを日本がさらに開発し、もっと優れたものを開発する、
というようなことも当然ありました。

有名なものに航空機で多用される 「超々ジュラルミン」 が挙げられるでしょう。

ジュラルミン自体はドイツで発明されたものですが、
その上を行く強度を持つ超々ジュラルミンは1936年(昭和11年)
日本の住友伸鋼所(現・住友金属工業)が開発したものであり、
この企業も100年以上の歴史を持つ世界に名だたる企業のひとつです。

日本は昔から素材や材料工学に秀でており、
現在では半導体からセラミック・炭素繊維なども高度に発展しています。
これらも現在の日本の礎を築いたと言えそうです。
(現在の日本ではコストの関係でアルミ原料のほとんどが輸入とのことです)

1990年以降では日米がほぼ同等であり、我が国は人口1人当たりでみると
世界最大のアルミニウム消費国である。

≪JAA世界N0.1、オンリーワン製品≫ *JAA:日本アルミニウム協会
アルミ熱交換器、アルミ新幹線車両、PV電極、バックシート、LIBケース・正極、
アルミ缶、HD基板、アンテナ、電波方式個体認識(RFID)、感光ドラム 等

引用元 アルミニウム技術戦略ロードマップ(2012) pdf 
海外コメントでも見られるように、零戦は非常に有名ですが、
零戦が登場するずっと前から日本は世界に並ぶ、
または世界水準を超えていた様々な優れた航空機を開発・運用しており、
その積み重ねがあってこその零戦と言えるでしょう。

それ以外にも、平頭鋲(三菱式沈頭鋲)や誉エンジンなど、数え出したらきりがないほど
当時の日本には非常に優れた工夫や技術などがたくさんありましたが、
戦況の悪化により資源が不足し、残念ながらその性能を十分に発揮することはできませんでした。

戦時中の戦闘機という日進月歩の分野での激しい競争のなか、
零戦が2年近くも優位に戦えたことはむしろ誇れる部分であったと思います。



日本のロケット開発の父、糸川英夫先生も動画内で言及されておりました。
自らの名前がつけられた小惑星に、自らが開発に関係した戦闘機()と同名の探査機が着陸したことになる。
70年近くの時を超えてつながった二つのはやぶさ。

地球を50mの球体のタンクに縮小して札幌に置きます ↓
0618 itokawa
地図で距離計測 (分かりやすいように有名な地点で例えています)

長崎に置いた一粒の胡麻 (1.3mm) が目指す小惑星イトカワです。

地球もイトカワも超高速で動いていて、イトカワは地球からとても遠いところにあります。
合図を送ってからはやぶさが受信するのに16分かかり、
はやぶさから返事が返ってくるのはさらに16分かかる距離です。
はやぶさの返事を待つ間に、はやぶさ自身は5万km以上も動いてしまいます。

地球によって加速する際には1km先の砂粒(1mm以下)に
砂粒を命中させるほどの超精度が必要でした。

1円玉をやっと動かせるくらいの小さなエンジンを噴かし続け、
時速10万kmで動く小さな天体とぴったり速度を合わせた後、着陸し、星の砂を得る。
それも満身創痍の状態で。
はやぶさはこんな精密な仕事をして地球に帰ってきてくれました。


日本のロケット開発は当初、海外でも 「日本には無理だ」
と言われ続けていた時期もありました。

しかし、今回の動画での海外コメントのように一部で笑われている間に
長い年月をかけ経験を積み、着実に進化してきました。

そして現在、はやぶさは海外でも絶賛され、その技術力は一部では恐れられてすらいます。
はやぶさ 米科学誌「サイエンス」にて特別編集号発行 (これ、かなり凄いことです)

これほどの奇跡的な偉業が 「奇跡」 だけではなく
技術者たちの努力による 「必然」 で達成されたのを見ると、
笑われながらも決して諦めなかった技術者たちの情熱と意地が
こんにちの素晴らしい成果につながったのは間違いないでしょう。


歴史で もしも はないとよく言われますが、今回の動画でも説明されている
当時の日本の航空技術の高さと死をも恐れないパイロットたちの存在がなければ
日本の空には今以上に脅威が迫っていたことでしょう。

航空自衛隊によるスクランブル発進は1958年以来続いており、
2006年には2万回を超えましたが、
2004年を境に現在では中国機に対する発進が急増しているとのこと。
今の日本では良いものを持っていたとしても法律が足かせになる可能性も高そうです・・・。


今回は昔の日本が開発していたと言われる航空機に対する海外の反応を見てきました。
海外でも議論が巻き起こっていましたが、
動画の内容は日本でも様々な意見が出そうではありますね(笑)