増え続ける世界人口と共に問題になる環境汚染。
人間が活動すれば必ず発生するものが廃棄物であり、
自然の持つ浄化能力を超えてしまうと環境破壊につながります。

人の活動は多岐にわたり様々なものを生み出しますが、
その中でも住宅を含む建築物はサイズが大きいことから特に大量の資源を必要とし、
環境への悪影響が懸念される部類といえます。

今回の動画では世界で活躍する日本人 「坂茂(ばん しげる)」 さんが
様々な問題点を克服できる可能性を秘めた 「紙素材の家」 を提唱しています。
時おり、ジョークを交えながら解説する坂茂氏に
会場からも多くの拍手が沸き起こっていました。

坂茂:紙で出来た避難所 ← (右クリックで保存することでダウンロードできます) 小さいサイズはこちら


以下、この動画に対する海外の反応

素晴らしい動画をアップロードしてくれてありがとう。 アメリカ

もうこれからはトイレットペーパーの芯を粗末にできねえな。 アメリカ +20

■ 説明を聞いている間、私には段ボール箱に入れられている赤ちゃんを想像できませんでした。
 でも考えてみたら、人類は昔から紙を大切にしてきたんですよね。
 私にとって一番衝撃的だったのは、これらの建物がとても綺麗だったことです。
 坂氏の自然光の扱いはとても見事ですね。
 清潔で価格も安く、頑丈でリサイクルも可能だなんて最高ですよ。
 このタイプの建物なら倒壊しても誰も怪我しないんじゃないでしょうか。
 遮音・断熱建築を実現するためには、紙管が不可欠だと思います。
 なんにせよ、本当に素晴らしいお話でした。 南アフリカ共和国 +30

以下、この動画の書き起こし (海外反応コメントの続きは書き起こし後に)
こんにちは 私は建築家です 
ただし 世界でただ一人の紙で建物をつくる建築家です 
こんなボール紙の筒を使います 
00:18 ↓
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この展覧会の会場設計が 
私が紙管を使った最初の仕事でした 
00:24  ↓
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1986年です 
人々がエコロジーとか環境問題について 騒ぎ始めるよりも
随分と前に 私は紙管を建物の構造体として使えるように 
試験を始めていました 

新しい材料を建築に取り入れる試験は 非常に複雑なものですが 
紙管は当初思っていたよりもはるかに強く 防水加工もとても簡単です 
さらに産業資材ですから 耐火処理を施すのも可能です 

そして 1990年には 仮設住宅を建てました 
こちらが最初の紙の仮設建物です 
00:58 ↓
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直径 55 センチの紙管330本と 
わずか12本の 直径 120 センチ 
つまり4フィートの 紙管でできています 

この写真にあるように 中にはトイレがあります 
もしトイレットペーパーが切れていたら 
内壁をはがすことも出来ますから(笑) とても便利なわけです 

2000年には ドイツで 大きな万国博覧会がありました 
01:19 ↓
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ここの建物の 設計を依頼されました 
万博のテーマが環境問題だったからです 
パビリオンを 紙管で建築するために選ばれました 
リサイクルできる紙管です 

私の設計のゴールは 建物が完成した時ではありません 
私のゴールは建物が解体された時です 

というのも 各国がパビリオンを作ればすごい数になって 
半年後には それが大量の産業廃棄物となるわけですから 
私の建物は 再利用かリサイクルが 可能でなければなりません 

閉会後に建物はリサイクルされました 
私の設計のゴールは達成されたのです 


その後 とても幸運なことに フランスのメスに 
ポンピドゥー・センターの 分館を建てるというコンペに勝ちました 

当時 とても貧しくて パリに事務所を借りたかったのですが 
手が届かなかったので パリに学生を連れて行き 
自分達でポンピドゥー・センターの屋根の上に 事務所を建てることにしました 
02:14 ↓
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私たちは紙管と 木の継手を持ち込んで 
35メートルの細長い事務所を 完成させました 
1円も家賃を払うことなく 6年間そこにいました (会場から笑い声と拍手) 

ありがとう 
ただ1つ大きな問題がありました 
事務所は展示の一環でしたから 
訪ねて来る友人でさえも 入場券を買わされていました 
困ったもんでした 

そうして完成させた ポンピドゥー・センター・メスは 
今では高い人気を誇る美術館です 
02:43 ↓
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私は政府のために 大きなモニュメントを造ったのです 

しかし その時 建築家という職業に 
私はひどく失望しました 

建築家は人助けもしなければ 社会の役にも立っていないのに 
特権階級の人たちや お金持ちや 
政府や開発業者の為に 働いているからです 

彼らはお金と権力を持っていますが どちらも目に見えないので
それを示すために モニュメントのような建造物を 我々建築家に作らせるのです 

建築家とはそういう職業で 
歴史的に見ても現代においても 
同じ様な仕組みです 

多くの人々が自然災害によって 家を失っているというのに 
建築家は社会の役に立っていない 
そのことにとても失望していました 

実際のところ もはや「自然」災害ではないのです 
たとえば地震そのもので人は亡くなりません 
建物が倒壊するから亡くなるのです 

これは建築家の責任です 

仮設住宅が必要とされる場に建築家の姿はありません 
特権階級の為に働くことで忙し過ぎるからです 

そこで私は考えました
「建築家と言えども仮設住宅の建設に関わればいいじゃないか  私たちは現状を改善できる」 
こんな理由から あちこちの被災地で 働くようになりました 


1994年にアフリカのルワンダで 大きな災難がありました 
フツとツチの2つの種族が武力衝突し 
二百万人以上が難民になりました 

私は国連が設営管理していた難民キャンプを見て 
非常に驚きました 

すごく気の毒な状況でした 
雨期で 難民たちは毛布に包まって 凍えていました

国連の避難所で支給されたのは プラスチックシートだけだったので 
難民はこのように木を切らねばなりませんでした 
04:26 ↓
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二百万人以上が木を切ったため甚大な森林破壊となり 環境問題が起きました 
このため国連はアルミパイプとバラックを支給しましたが 
アルミは高価なので難民はパイプを売ってしまい 
また木が切られました

私は この事態を改善する為に リサイクル紙管を使うことを提案しました 
紙管は非常に安価で強度があるからです 
04:49 ↓
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予算は1軒あたり わずか50米ドルでした 
私たちはモニター試験用に50軒の小屋を建て 
耐久性や防水性能 シロアリ耐性などを調べました 


そして翌年の1995年には 日本の神戸で大きな地震が起こりました 
05:08 ↓
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7千人近い方が亡くなり 長田区をはじめ 
街全体が 地震の後の火災によって焼け野原になりました 

やがて私は 被災した大勢のベトナム難民が 
カトリック教会に集まっていることを知りました 
教会の建物は全壊していました 

私は現場へ行って 神父に こう提案しました 
「紙管で教会を再建しませんか?」 

すると こう言われました
「アホか!火事の後なのに何を考えてるんだ」 
彼は全く信じてくれませんでしたが 私は諦めませんでした 

神戸に通うようになり ベトナム人コミニティの人々と出会いました 
非常に粗末なプラスチックシートのテントを建て 公園で暮らしていました 
05:46 ↓ (写真左上が再建前のようす) 
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再建を提案して資金集めを行いました 
彼らのために紙管で住居を作りました 
学生でも簡単に組み立てられ また解体も簡単にできるようにしました 

基礎にはビールケースを使いました 
キリンビールに提供を求めました 

というのも当時アサヒビールのケースは赤色だったものですから 
紙管の色とうまく合いませんでした 
カラーコーディネートは重要ですよね 

忘れられないのは そのビールケースが ビール入りで来ると期待していたのに 
カラで届いたことです(笑) 
とてもがっかりしたのを覚えています 

こうして学生と一緒に その夏のうちに 50軒の仮設住宅を建てました 

とうとう神父の信頼も得られ 教会再建について 
「そちらで資金も人手も用意するならいいですよ」 
と 言ってもらいました 

5週間で教会を再建しました 
06:39 ↓
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教会は3年間だけ使われる予定でしたが 
人々に愛され 実際には10年間使われました 

その後 台湾で大きな地震があった際に 
この教会を寄付してほしいと申し出がありました 

教会を解体して台湾へ送り ボランティアに建ててもらいました 
今でも恒久的な教会として台湾に残っています 
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この建物は恒久的な建物になりました 
となると 何が恒久的で何が仮設なのか疑問がわきます 
紙で出来た建物であっても人々に愛されれば 恒久的なものになり得ますが 
コンクリート造でも金儲けの為につくると 一時的なものになるのです 



1999年にトルコで大地震が起きました 
現地へ行き 地元の材料を使って 仮設住宅をつくりました 
07:24  ↓
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2001年には西インドでも仮設住宅をつくりました 
2004年にはスリランカでスマトラ地震と津波の被害に遭った 
イスラム系の漁村の復興建設を行いました 

2008年には中国四川省の成都で7万人近くが亡くなり 
特に多くの学校が倒壊しました 
汚職がらみの手抜き工事が原因です 

仮設の校舎を建ててくれと頼まれました 
07:54↓ 
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日本から学生を連れて行き 中国の学生と一緒に作業をさせて 
1ヶ月後には教室が9つ完成し 面積全体が500平米を超えました 

最近また中国で地震がありましたが 校舎は今も使われています 


2009年にはイタリアのラクイラでも大きな地震がありました 
これは興味深い写真ですが 
08:14 ↓
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ベルルスコーニ前首相と日本の前の前の前の そのまた前の麻生首相です (ここで会場から笑い声) 
ほら 日本では毎年首相を変えないといけませんからね 
お二人はとても寛大で 私の模型を持ってくれました 

壮大な復興建築を提案しました 
仮設の音楽ホールです 

ラクイラは音楽でとても有名な街なのですが 
音楽ホールが全て壊れて音楽家たちが 街を離れ始めていたからです 

そこで市長に仮設の音楽堂の建設を提案しました
「資金が出せるならどうぞ」 
という返事でした 

そして幸運なことにベルルスコーニ首相が現地でG8を開催し 
日本の首相も来ていましたが 
彼らが資金調達を助けてくれました 

日本政府からはこの仮設音楽堂の建設に50万ユーロを出してもらいました 


2010年にはハイチで大地震がありましたが 現地へ直接飛べなかったので 
お隣の国の都市 サント・ドミンゴ へ行き 
そこの学生を連れて車で6時間かけてハイチに入り 
地元の紙管を利用して50軒の仮設住宅を建てました 
09:21 ↓
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これは2年前の日本の東北の様子です 
09:25 ↓
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地震と津波の後 人々は体育館のような広い所での避難生活を余儀なくされました 
プライバシーがないですよね 
これでは心身ともに参ってしまいます

私たちは 現地へ行き 学生ボランティアと一緒に 紙管で間仕切りを作りました 
09:41 ↓
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紙管の枠にカーテンを掛けただけの 実に簡素な住まいでした 
しかし 避難所を管理する側には嫌がる人もいました 
理由は 「避難者の管理が難しくなる」 だそうです 

でも 本当に作る必要がありました 
そして現地には 政府が従来使う 
こんな形の平屋の仮設住宅を建てるほどの平地はありませんでした
10:02 ↓
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見てください 政府主導といっても仮設住宅はこのように粗末なもので 
隣との距離もなく 収納が全然ないため散らかってしまい 雨漏りもしていました

「多層の住宅を作らねば」 と思いました 
土地は足りないし 住環境も良くなかったからです 
そこで間仕切りを作っている間に提案しました 

宮城県女川町でとても良い町長に出会い 
最終的に野球場に3階建ての住宅を建てるよう依頼されました 
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会場輸送用のコンテナを使いました 
また学生たちの協力を得て家具も全部作り 
快適に暮らせるようにしました 

政府の予算内に収めただけでなく 
従来の基準と同じ広さで 随分と住みやすいものができました 

多くの人が 今後もずっと ここに住みたがっています 
それを聞いた時 大変うれしかったです 

今は ニュージーランドのクライストチャーチで仕事をしています 
11:00 ↓
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日本の地震が起こる20日前 ここでも大地震がおきました 
多くの日本人学生も亡くなりました 
そして街のシンボルでもあった 街で最も重要な大聖堂が全壊しました 

現地に来て仮設の大聖堂を建ててほしいと頼まれました 
現在 大聖堂は建設中です 
私は人々に愛されるモニュメントを今後も建て続けたいと思います 
どうもありがとうございます

(ここまで書き起こしですが動画もぜひ観ていただきたいです) 
以下、海外の反応コメント続き

■ とても美しい建物ですね。非常に感銘を受けました。ご講演、感謝いたします。
 貧民のためにロンドンにも紙管建築物を建ててくれることを願わずにいられません。
 労働者にとって家賃は死活問題ですよ。
 私はもう家賃の貸付金を支払えないので、ロンドンを出発してエディンバラに向かう予定です。 国籍不明

■ 建築家ならではの見事な設計ですね。
 紙製の壁を繊維や鉄などの複合材料にすれば、劣化に対抗できる防水性や強度を得られるでしょう。 中国

 ■ re:おっしゃってることはわかりますが、紙製の建築物の利点は重量にあるということをお忘れなく。
  坂氏が述べていたように、人々は地震そのものではなく、地震によって倒壊した建築物のせいで死傷するのです。
  従って、紙のように極めて軽くて頑丈な素材が望ましいのです。 国籍不明

■ 僕も紙管と空の牛乳パックでスリッパ立てを作ってみたよ。
 うん、やっぱり紙は便利だね。
 この講演は本当に面白くてためになったよ。ありがとう。 国籍不明

■ re:この人は紙管建築のために日本の森林を相当伐採してきたんだろうな。
 南米の森林には手を出さないでもらいたいね。 アメリカ

 ■ re:私も同感だね。紙管だって木からできてるんだからね。
  どうやって紙管の形状を維持するか?毒性のある化学物質を使うんでしょ。
  どうやって長期にわたって紙管の強度を維持させるか?毒性のある化学物質を使うんでしょ。
  どうやって接合するか?毒性のある化学物質を使うんでしょ。
  どうやって防水・耐熱加工を施すか?毒性のある化学物質を使うんでしょ。
  水を差すようで悪いが、感情論でしか環境保護を語れない連中は本当に思慮が浅はかだよ。 南アフリカ共和国

  ■ re:坂氏は再生紙から作られていると言ってなかったっけ。
   それに、段ボールは家を解体した後でも再利用できるじゃないか。
   たくさんの廃棄物を生み出すコンクリートや有害物質を含むプラスチックに比べたらはるかにマシだろ。
   今は無害の接着剤だってあるし、すべての人工建築物が毒性を帯びてるわけじゃない。

   まあ、坂氏は建築家であって物質科学者じゃないからね。
   もっとエンジニアや科学者と協力し合えれば良いんだけどね。 中国 +500

 ■ re:一応言っとくけど、木以外の材料からだって紙は作れるんだぜ。
  例えば、再生紙や葉っぱ、糸くず、竹、トウモロコシの茎…、数えだしたらキリがねえほどな。
  だから紙管を利用したって各地域の森林はちゃんと保護されるってわけだ。 国籍不明 +30

■ 映画・ベクシルに出てくるジャグのプロトタイプみたいだな。
 日本ではどこにでも紙があるってのも興味深い話だが、機械みてーな石頭の官僚でもちゃんと協力してくれることがわかって面白かったよ。 ポーランド +30

■ 実に見事な建築方式ですが、「仮設建築物」 とはどういう意味なのでしょうか?
 エンジニアの立場としては、たとえ仮設工事であっても建築基準法は遵守しなければなりません。
 その建築物が公共の目的のために利用されるのであれば、公共の安全の問題を無視することはできませんからね。
 この紙管はなぜ仮設用途なのでしょう?
 水分、温度、あるいは圧力の問題でしょうか?
 強度が建築基準を満たすのであれば、紙の代わりに板を素材として使用してみてはどうでしょうか。
 十分なデータもなしに仮設性を論ずるのはどうかと思いますが、板は魅力的な建築材料ですし再利用だって十分可能です。
 これは長年に渡って建築家とエンジニアの間で繰り広げられてきた対立とも関係ある問題ですかね? アメリカ +50

 ■ re:この紙管建築物は防水・防炎加工が施されていると坂氏は述べていましたよ。
  処理次第では紙だってかなり頑丈にすることができます。
  それに、この世に永遠に壊れない建物なんてありませんよ。 アメリカ

■ 建築家は富裕層の権威を表現するための雇われ人に過ぎないという坂氏の意見に大賛成だね。
 世界の舞台でこんな発言をすれば資金調達が難しくなるかもしれないから、さぞかし勇気が必要だったことだろう。
 地域の発展のために美しくてリサイクル可能な建築物を作ろうとする彼の志に敬意を表すよ。 アメリカ +20

■ たいていの建築家は超高層ビルの設計に忙しいものさ。
 一般建築物や被災者の避難所なんかに気を遣うやつなんてほとんどいやしない。
 坂茂氏は唯一の例外だよ。
 きっと彼の紙管建築計画には良い理解者がいるのだろう。
 なんにせよ、俺は彼の素晴らしい建築の仕事を高く評価するよ。 国籍不明

■ ニュージーランドの教会はすでに完成しているよ。
 このサイトで写真を見られる。 アメリカ +200
CCC_005-01
2011年2月22日に発生したM6.3のカンタベリー地震は、街のシンボル的存在であったクライストチャーチ大聖堂にも深刻な被害をもたらした。これを受け、新たな仮設のカテドラルを設計することとなった。 現地で調達可能な紙管とコンテナーを用いて三角形の断面を形成する。オリジナルの大聖堂の平面と立面のジオメトリーを受け継ぎ、同じ長さの紙管の角度を徐々に変化させている。700人収容可能で、教会としての機能の他に、多くのイベントやコンサートとしての使用も視野に入れている。 2011年7月31日に、同地にてプレス発表が行われた。 引用元とその他の写真はこちら
黄金の精神を持った素晴らしい男だ。
 世界は坂茂氏のような人たちをもっと必要としてるんだよ。
 お見事としか言いようがない! 国籍不明

■ なんて革新的なアイデアなんだ!
 これがいわゆるTED流の「常識にとらわれない発想」というやつだな。
 ブラボー! アメリカ

■ 親愛なる坂茂さん、こんにちは。
 あなたは本当に素晴らしい人です。
 私は教師をしているのですが、世界中の被災した子供たちのためにあなたが行ってきた仕事に対して心から感謝いたします。
 ところで、幼稚園を紙で作ることは可能でしょうか? 国籍不明 +20

■ 雨が降っても大丈夫なのか? 中国

 ■ re:冒頭で防水性だと言ってただろうが。 国籍不明

■ 実に印象的で独創的な創造力だよ。
 間違いなく長期の生活が可能だね。本当にありがとう。
 僕は、それまでの人生で知らずに過ごしてきた新しい情報を紹介してくれるTEDの話が大好きなんだ。
 TEDにもお礼を言わなきゃね。 国籍不明 +10

■ 本当に面白い講演だったな…。
 こんなに素晴らしい建築物が仮設だなんてもったいない話じゃないか…。
 動画内で紹介されてた被災地のような現場では、これは間違いなく需要にマッチした最高の施設だよ。
 もっと長期にわたって使用できるようになれば言うことなしさ。 チェコ +10

■ あんたらの地域の建築基準法はこんなモンを許可してくれると思うか?
 絶対無理だろ。 アメリカ

ぜひコロンビアに来てくれ。
 この辺にはまともな家も持っていない人が大勢いるし、政府もろくな物資を提供してくれないんだ。 コロンビア

■この建築家は素晴らしいね!
 彼の活動が他の建築家や政府に影響して、もっとたくさんの安価な建物が作られるといいんだけどな。
 何せあいつらは、地球環境や貧民にとって有益な建築方式や安価な材質についての知識がないから、肝心な時に何もしてくれねえんだよ。 国籍不明

■本当に素晴らしい動画でしたが、建築家さんの発言と翻訳が合ってないのが残念でした。
 訂正していただけると非常にありがたいです。 国籍不明

お願いです、どうかフィリピンにいる私たちを助けてください。
 私たちにはあなたの仮設避難所が必要です。 フィリピン

■その地に根差した見事なアイデアですね。
 私たちは彼のアイデアだけでなく、ノウハウやスキルももっと広げていかなければいけませんね。
 世界にはまだまだたくさんの被災地がありますし、その上、住む家すら持つことができない人たちも大勢いますから。 インドネシア +10
(ここまで一部を除きプロのお仕事)

以下、海外の反応を見た管理人の反応

今回は坂茂さんの 「紙で出来た避難所」 の海外反応を見てみました。
坂さんは世界各地において、実に様々な建築を手がけてきました。

本動画で紹介されている紙の建築は、坂さんが提唱する数々の建築物の中でも
「建物は人のためにあるべき」 という
その基本的な考え方が最も顕著に顕れたものであると思いますが、
少しでも多くの困窮する人々に住む場所を提供したい、という想いに
海外からも称賛の声がたくさん寄せられておりました。

これほどまでに坂さんが称賛されている理由は、
坂さんが苦境にあえぐ現場に実際に訪れ、
現地に適した住宅を提供してきた数々の実績と
それを行動に移すことのできる強い動機があるからなのでしょう。


坂さんの提唱する紙の建築以外でも、
日本の製品は海外において高く評価されておりますが、
反面、価格も高いことが難点と言われています。
日本国内で要求される性能は非常に高く、それらを満たした日本製品は
新興国などの製品に比べ高くなりがちです。

日本で作られた超クオリティー製品を使いこなすためには
現地(輸出先)でもそこそこ高度なインフラや教育、社会制度が必要な場合が多く、
それらが足りないため日本製品の本領が発揮されない場合もあるようです。
(もちろん、高度に信頼性を要求される部品などは高性能な日本製がよく使われておりますし、
故障しづらい日本製は長い目で見た場合、多少高くても割に合うのは海外でも分かる人には分かっているようですが)

海外の多くの国と日本の間には技術的にかなりの開きがあり、
それは製品に極度の高品質を求めるか、
ほどほどの品質で低コストを求めるかという考え方の違いにも反映されています。

例えば、過去にこんな一例がありました。

日本の協力チームがエチオピアで井戸を整備した時のこと、
今後は現地の人々だけで井戸を掘れるように、
掘削の機械も置いてきました。

8年後、現地へようすを見に行くと、
掘った井戸の半分以上が稼働していません。

現地の人に話を聞くと、
井戸水をくみ出す揚水ポンプが故障し使われなくなったとのことでした。
そこで日本人スタッフがポンプを調べたところ、
故障の原因はヒューズが飛んだだけという事が分かりました。

設置した日本人なら故障の原因が簡単に分かり、
予備のヒューズさえあれば5分とかからずにポンプは再び稼働を始めたでしょう。
仮にヒューズが手に入らなくても飲み水が手に入らないほど困る事態だったならば、
ヒューズ部分を直結してでも動かしたに違いありません。
(あくまで自己責任ですが・・・)

しかし、替えのヒューズを入手するのも難しく、交換できなかったために
井戸は長い間放置されてしまいました。

上記は 例え良いものであっても、現地の人材や技術で継続的に運営できなければ
結果的に使われなくなってしまうという一例でした。

これらの点で、坂さんが提唱する 「紙の建築」 は、
世界各地どこでも入手しやすく、軽く価格も安く、
現地の人に作り方をほんの少し教えるだけで誰にでも設営する事ができ、
しかも再生紙から作られるためリサイクル可能で環境にも優しいところからも
今後、より多くの人々に必要とされる考え方であると言えるでしょう。


このように紙管による建築は多くのメリットを持っているのですが、
軽くて安い紙管が、一見すると相反しているように見える
美術館やパビリオンなどの巨大建築物を
世界各地で手がけているのも凄いことなんですね。

海外コメントでも言われているとおり、出資者は芸術性が低いものにはお金を出してくれませんから、
坂さんの手がける建築物は芸術性も併せ持っている事が証明されたようなものです。

そして、大きければ大きいほど強度が必要になってきますが、
紙管は強度という部分でも十分であり、
そこに軽さという項目はやはり必須であるといえます。

改めて見てみると、海外から称賛されるのも納得できる、
素晴らしい建築物だと思います。
そんな坂さんの情熱が詰まった番組がありましたので、
少し古いのですが以下に紹介させていただきます。
情熱大陸 (2010.03.28) 坂茂 [建築家]

こちらの動画は2010年 ハイチ大地震の時、
坂さんが現地に訪れるところから始まります。

海外コメントでは紙の防水性を心配する声も多かったのですが、
坂さんは上記動画の中で
「オレンジジュースとか牛乳パックも紙でできているが皆日常的に使っている」
「紙の防水は簡単なこと」
と説明しています。

ハーバード大学デザイン大学院のムスタファヴィ学長はこう語ります
「日本の建築は簡素な中に気品がありますよね
彼は仮設の建築物にも同様の上品さを持たせています」
28)+坂茂+[建築家]_001
このように日本の建築は海外でもエキゾチックでウケが良く人気が高いのですが、
坂さんはそれを武器にすることを嫌がります。

中東との大きな商談もまとまらない中、
ハイチで23万人の命と200万人の家を奪った大地震が発生
すぐに仮設テントの試作品を作りハイチへと足を運びます
28)+坂茂+[建築家]_002
ハイチの被災状況を見て回った坂さんはこう言います。
「やっぱり人災ですよね
地震で人は死なないです。地面が揺れても
建物が壊れてそれが落ちてきて人が怪我したり亡くなる訳ですから」

近くの広場に海外から支援されたテントが整然と並んでいました
28)+坂茂+[建築家]_003
作りはしっかりしているが、高価なため皆が使えるわけではなさそう
関係者に話を聞くと、首相のスタッフとその家族のために用意された場所との返事でした。

最も必要としている人に支援が届かないもどかしさ・・・。

番組後半で坂さんと記者の交わす会話に、坂さんの想いが隠されていました

坂 「一番良いのは、僕の作ったものをコピーして
  皆がどんどん作ってくれると、一番成功なんですけどね」

記者 「コピーライト(著作権)はいらないんですか?」

坂 「コピーライトなんか当然いらないですよ」


街の中心から少し離れると支援の手が届いていない地域がありました。
雨期の迫るなか、あり合わせの布だけで囲っただけの簡素な住宅。
そこへ仮設住宅となるテントを設営することに決定。
28)+坂茂+[建築家]_005
しかし、資金は寄付金を募るため、
まずは隣国のドミニカ共和国で始める事になりました。
学生たちの協力のもと、
試行錯誤を繰り返す学生たちにコンセプトを説明し、作り方を教えていきます。

学生たちはいつしか、自発的に作業を進めるように。
それこそが坂さんの求めていた模型でした。
28)+坂茂+[建築家]_004
誰にでも作れるテントは坂さん自身がいなくても作れる
学生たちがこのテントを増やしてくれることを
坂さんは望んでいた・・・。

「医者だったらもっと直接的に人を助けられるのになあ、と
思うこともありますけど、自分は建築が一番向いているから
出来る範囲で出来ることをやろうと」

その後も坂さんの活動は続き、
イタリアのラクイラの他、
多くの被災地で活動を続けています。
紙管で作られた建物は未来へとつながる大きな可能性を秘めていますが
実際に作り、使うのは人間であり、
それを動かす原動力は、人のために役立ちたい、という情熱でした。


さて、海外からも高評価のコメントが多いなか、
「フィリピンにはこのような仮設避難所が必要だ」 との
コメントもありました。
先日の台風(フィリピン名ヨランダ)の甚大な被害から、
現在も多くの方々が住む場所に困っており、
そういった多くの方々の切実な声といったところでしょう。

もちろん、日本政府は以前から災害発生時における仮設住宅建設の支援などをおこなっていますので、
日本の協力を得た仮設住宅を望む声が フィリピン内において聞かれるのも分かる気がします。
外務省 対フィリピン共和国 事業展開計画 (pdf)

ちなみに、東日本大震災の際には、
日本の無償資金協力で作られた仮設住宅に住む方々から日本へ寄付金が届けられました。
額は決して多くはありませんが、自分たちも被災し十分な仕事もない状態の方々からの寄付でした。
日本だけでなく世界中の人々に驚きとショックを与えた
2011年3月11日の東日本大震災と津波。
その時だけでなく、その後も日本のために祈り、
今なお募金活動を続けてくれている国がフィリピンです。

「日本へ恩返し」と書かれた募金箱です。

0319-90402-9
この募金活動を中心となって行ってくれているのは、大規模地滑り(2006年2月)がおきた被災地の、ビサヤ地方南レイテ州セントベルナルド町の、日本が無償資金協力で建設した仮設住宅に住む被災者達です。
集まった募金2万1574・50ペソは、日本赤十字社に送られました。
一方、この仮設住宅に住む被災者約100世帯は、この募金とは別に独自で募金活動を開始し、被災者の間でさらに支援の輪が広がっているとのことです。

「立ち上がれ日本」と書かれた横断幕で日本に応援メッセージを
送ってくれたビサヤ地方のイロイロ島の方々です。

0526-9
その他多くの写真と詳細は引用元より確認できます

フィリピンの方々が日本に期待を寄せるのはなぜか?
その答えが説明されているページが同サイトにありました ↓

何故フィリピンの方々が親日的なのか?

このように日本に期待する声が見られるのは大変喜ばしいことなのですが、
そうなるまでには官民問わず、何十年も前から国際協力に携わってきた
先輩方の大変な努力が実を結んだ結果ともいえるでしょう。

困っている人のために何かできれば・・・、という方は他にもおりました。
大企業に勤務していたにも関わらずその安定性を捨て退社、
フィリピンで国際協力をしてきた井出留美さんのお話です。

震災を機に外資系企業を退社 井出留美さん(上)


ライオンを退社、青年海外協力隊に 井出留美さん(中)


「食品ロス」を減らしたい 井出留美さん(下)

以下、朝日新聞デジタル各記事と井出さんのサイトなどより要約

ライオンに勤務していた井出さんは以前から人の役に立てる仕事を望んでいました。
やりがいのある仕事でしたが、青年海外協力隊が食品加工隊員を募集している事を知り
5年間勤めたライオンを退社します。
1994年7月にフィリピンへ渡り2年半ほど活動しましたが
慣れない風土や食事などから体調を崩し、任務完遂間近で日本に帰国せざるを得なくなりました。

精神も病んでいたため帰国後も思うように体調が回復しないなか、、
長年携わってきた経験を生かしたいと考え 「食」 に関わる仕事を探し日本ケロッグに入社、
15年ほど勤務したとき、東日本大震災が起こったのです。
奇しくもその日は、井出さんの誕生日・・・。

日に日に強くなる 「復興支援に貢献したい」 との思いを抑えきれなくなった井出さんは、
またもや長年勤めた大企業である日本ケロッグを退社、
「office3.11」 を立ち上げます。
それは安定した生活を捨て、人のために尽くす覚悟がかたちとなったものでした。

井出さんは多くの震災復興支援活動を続けてきましたが、
自分の他にも復興支援に携わる方々がたくさんいて、
そういった人々が正当に評価される社会づくりが必要と語ります。

現在 井出さんは、フィリピン初のフードバンク事業に携わっています。
なんと、場所は井出さんが以前、青年海外協力隊として赴任していた小さな村。
志半ばで帰国せざるを得なかったフィリピンでの活動から 16年後のこと、
かつての仲間たちと再開し、井出さんの活動は実を結びました

井出さんは自らの長い活動を振り返りこう語ります。
「かつての仕事や仲間と、今の仕事や仲間が、いつの間にか、つながっていました。
こんなご縁をいただけるのは、神様からの贈り物としか思えません」

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出典:イデルミ.com(井出さんのサイト)
オフィシャルブログ

office3.11

ここまで坂さん含め 海外で活躍する2人の日本人をご紹介させていただきました。
人のために役立ちたい、こういった強い想いが、
時代を超え人と人、国と国を結んでいくのでしょう。
さまざまな困難に直面し、それに負けずに乗り越えてきた情熱や責任感はもちろん、
人のために行動できる事が素晴らしいのだと思います。

しかし、日本としてはまだ課題もあります。
坂さんがアメリカの大学を出ているように、
日本から人材が海外へ流出してしまう場合がよくあります。

日本国内で努力してもなかなか認められない場合もあり、
井出さんも言うとおり、努力する人が正当に評価される社会を創ってゆくことが
これからの日本に必要なこと といえるでしょう。


今回は 「紙で出来た避難所」 の海外の反応を見てきました。
海外の声のなかには
「一部の特権階級(富裕層)のために働く建築家が多いなか、
住宅を持たない方々や被災した人々のために働ける坂茂さんの志こそが宝である」
という意見も多かったですね。

数字では見えにくいのですが、坂さんのような方々が海外で積み重ねてきた信頼が
日本の大きな財産となっているのかもしれません。

関連リンク
坂 茂 建 築 設 計

今回の記事は以前からどうしても書きたかったものなので時間がかかってしまいました、
なかなか更新できなくてごめんなさいです・・・(汗)



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