今回は新明和工業が製造した、海上自衛隊の救難飛行艇US-2の解説動画を見た海外の反応です。
通常の飛行機では不可能な時速100km弱という低速飛行を実現しています。

他の船の影になってしまって、着水の瞬間がわかりづらいものの、
飛行→着水→離水の一連の流れが収められており、
大きな機体が水しぶきを上げながら着水・離水する様子は圧巻のひとこと。

遭難者救助や、小笠原諸島からの患者輸送にも活躍していると、
動画中の音声で説明されています。
この出来事は2013年でしたので記憶にも新しいかと思いますが、
太平洋で辛坊治郎氏を救助したのもこのUS-2でした。

海外コメントでは、中国人らしき人が(またw)日本の技術をけなすコメントをしたために、
激しい応酬が繰り広げられています。

US-2はインドへの輸出が検討されていますが、
それによって、日本とインドが連携すること、
インドと対立するパキスタンを支援する中国が危惧しているという構図が見てとれます。

もともと、パキスタンとインドとの間では対立感情があるようですが、
中国の存在がより争いを激化させている様子がコメントから伝わってきます。

しかし、おおむね、中東からの日本の技術力への評価は高いようです。
日本のUS-2輸出の展望は明るいと言ってもよいのではないでしょうか。

Japan to Sell ShinMaywa US-2 Amphibious Planes to Indian Navy

以下、この動画を見た海外の反応

■ 素晴らしい。 インド

■ 日本の技術は中国の技術と比べて遥かに劣っているよ。だから、この件に関してパキスタン人が頭を悩ます必要は無いね。インド人よ、中国がパキスタンの一番の友好国だということを覚えておけ。絶対に忘れるなよ。 中国(?)

■ はいはい、分かったよ。インド人を殺すのはやめてくれよな。 国籍不明


■ 中国は世界一のパクリ屋だ。何もかもがパクられていく。パキスタン人に聞きたいのは、中国に助けてもらったことが今までに何回あるのかってことだ。アメリカが無人機でパキスタンを攻撃してきたときはどうだった?中国はインドやアメリカに対抗するためにパキスタンを利用しているにすぎない。パキスタンの人が忘れてはいけないのは、パキスタンは沈没中の船だってことだ。景気も悪いし、金も無いし、自尊心も失っているしね。インドでは今、こんなジョークがあるよ。爆弾がほしいなら、パキスタンに行け、ミサイルがほしくなったときもパキスタンに行け。パキスタンではテロリストが爆弾を作っているし、アメリカの無人機がミサイルを撃ちこんでくれるってね。 中東 

■ 世界で最高の水陸両用機の動画の投稿ありがとう。日本人は水上機の技術に関して熱心に学んできた。そして、他の水上機の優れた部分をまとめて、この素晴らしい機体に盛り込んだ。ところで、前のコメントとも関連するけど、日本の技術は絶対に中国に劣ってはいない。この機体のような日本の優れた機体の性能がそれを証明しているよ。比較できるような機体を中国はまったく持っていない。 国籍不明 

■ ははは。中国がご主人様で、お前は主人の犬だな。中国以外の国にとっては中国人は豚だ。お前らのJ17や海軍なんて、我々のルドラで十分対応できる。安全な家に帰れよ。アメリカが無人機爆撃でお前らを殺すかもしれないぞ。パキスタン人はアメリカやインドやタリバンなどの練習用の標的に過ぎない。 インド
注:J17はパキスタンと中国が共同開発した戦闘機です。また、ルドラはインド神話に登場する暴風雨神です。 
J17(wikipedia)
梟龍(中国名) news.sina.com
ルドラ(rudra) (インド製ヘリコプター)


■ インドに友好国などない。我々は自立している。我々は装備を整えるために金を出しているし、イスラエル、ロシア、アメリカ、日本など様々な国から輸入している。パキスタンはそれらの装備を欲しがっている。違いをわかってほしい。インドは同盟国ではない。ロシアとは少し仲良くしているというだけだ。 インド

■ 日本の技術が中国に劣っている?それはないな! 日本(英語) 

■ 気にするな。パキスタン人はときどき発狂するんだ。 インド 

■ 仮に中国がパキスタンの友好国だとしても、中国はインドと毎年800億米ドルの貿易をしているってことを忘れてはいけない。それに中国はパキスタンよりもアメリカに対して、より友好的な態度をとっている。 インド 

■ 日本のトイレは、パキスタンの核兵器よりも、はるかに優れている。 インド

■ 南太平洋の支配と、開発機での試行錯誤を繰り返し、吹き出しフラップを使うSTOL(短距離離着陸)フロート水上機が完成した。これは決してスロー再生ではなく、実際の速度だ。内部にポンプを備えているため、激しい水放出によって、水上で急旋回ができる。ちなみに、この機体は山火事にも対応できる。 日本(英語) 

■ すごい飛行機だ。ナイスな工学技術だね。 国籍不明
(ここまで一部を除きプロのお仕事)



新明和工業が製作し、このたびインドへ15機ほど輸出される運びとなった日本の飛行艇US-2。
動画自体が日本語音声なので、海外コメント少なめなのですが、
こういった動画でいつも見られるように、やはり荒れており、
海外コメントに色を付けられませんでした(笑)

中国とインドは国境に紛争地帯を抱えており、昔から不仲なのですが
今回はパキスタンの方も加わっており
主な構図は 「中国 + パキスタン」 対 「インド」
となっておりました。

数少ないコメントで荒れるほど、仲が悪いのはなぜでしょうか?
それにはそれぞれの思惑があるようです。


商売でアメリカに重点を置くインドと、
それに対抗して中国を重視するようになったパキスタンは、
建国以来50年間で3度の全面戦争をしてきました。

元々同じ 「英国インド領(インド植民地)」 であったインドとパキスタンは、
(話を単純にするために、バングラデシュとスリランカについてはここでは触れません)
宗教の違いから別々の道を歩むこととなり現在に至りますが、
自国の周辺を味方で固めておきたい中国と
パキスタンにおける反インド政策の利害が一致し、
両国の溝は深まるばかりとなっているようです。

また、インドの方がアメリカの無人機攻撃に言及していますが、
こうした皮肉を込めたものであると思われます。

パキスタン・タリバーンのトップ殺害 米が無人機爆撃 (2013/11/01)

旧ソ連やイランを睨んでいたアメリカはパキスタンに軍事支援を行っていましたが、
現在では両国の仲は冷めきっているようです。

パキスタンの街ではインフラを含め多くの中国企業が進出し、
1億8,800万人ほどの人口を擁する同国の最大の輸出先は中国となっています。

この人口は2050年には3億4,000万人にまで増加し、
中国・インド・米国に次ぐ世界第4位の人口大国になると予想されていることから、
パキスタンは今後の世界情勢を握る鍵となる、とも言われているんですね。

そのため、このあたりの綱引きは最近ではインドを含めロシアや中国とアメリカ間の
なかば代理戦争のようなものになりつつあるようにも見えます。
時代により軍事支援を受ける相手を変えてきたパキスタン。
大国間の思惑に翻弄されている部分も多少あるのでしょう。

アジアと中東、ヨーロッパを結ぶ重要な立地条件にあり、
今後の世界情勢を左右する可能性を秘める国がパキスタンなのですが、
現時点では、味方への引き入れ合戦を制したのは中国と言わざるを得ません。
パキスタン新首相、最初の外遊先は中国 その背景とは?
李総理:パキスタンとの伝統的友情を強め、全面的・実務的協力を推進

現在ではパキスタン政府からの要請により無人機攻撃は大幅に減らされているとのこと。
米、無人機攻撃を大幅削減 パキスタン要請、米紙報道


日本では影の薄いパキスタンですが、
街を走る自動車における日本車の比率は95%にも上るそうです。

これにはイギリスの植民地時代が日本車と同じ右ハンドルであった事が
売れた要因の一つとも言われているのですが、
最初だけでなく次もその次も日本車を乗り継ぐ人々が多い事から、
価格に見合った確かな品質がそこにあった事は言うまでもありません。
パキスタンでは自動車の他にも日本のオートバイが非常に売れています。

ちなみに、インドでの自動車販売台数シェアでは日本のスズキ車がダントツのトップです。
2013年マルチ・スズキ(スズキの子会社)のシェア 37.2%
(しかし今後、インドでは自動車販売台数が桁違いに伸びると予想されておりますので、
それに合わせて現状の何倍もの生産力・販売力をスズキが投資・獲得できなければ
価格的優位性を持つ他メーカーの参入によってどうなるかは分かりません)

インド自動車市場とスズキ (PDF)


しかし、電力や上下水道、鉄道・道路などのインフラをはじめ、
教育・医療制度の未発達や女性軽視問題など、パキスタンには問題が山積みなのも事実です。
ただ単に支援するだけでは ためにならず、人々が身をもって前に進まなければ意味がありません。
日本はこれからも国際協力を通じて、その国の人々が自らの足で歩くお手伝いをしてゆくのでしょう


ここまで主にインドとパキスタンについて書いてきましたが、
インド-パキスタン間にあるワーガー国境を閉める
「国境ゲート閉鎖の式典」 は半分お祭りのようになっていて
毎日8,000人ほどが集まるほど、大変な賑わいを見せているようです(笑) ↓

India Pakistan Wagah Attari Border Closing Ceremony.flv


以下、動画の簡単な概要 ↓
(文字では伝わらない激しさがありますw)

05-001
インド-パキスタン間にある国境
そこで毎日あることが行われているそうです

05-002
やがて始まる怪しげな儀式・・・

05-003
司会者がいる!?

05-004
20代なのでしょうか・・・。

05-005
まるで手品を見る少年のような瞳の観客

05-006
歩み寄り一気に扉を開けるそれぞれの国の兵士
観客たちの手拍子のなか、儀式は進んでゆきます

05-007
国旗を下ろす(貢納)する紐を持っています
なんか
お、怒ってる・・・?

05-008
するすると下ろされる国旗
観客のお祭り騒ぎとは対照的に、厳格です

05-009
そして儀式はクライマックスへ。
両国の兵士がお互いに近づいてゆき、敬礼をして・・・

05-010
あっ
握手した!
しかも、がっしりと!!

ここで観客の興奮は最高潮に!
沸き起こる歓声と拍手(そして謎の感動)
05-011
この後さらに敬礼し、再び閉じられた門
こうしてインドとパキスタンの日は暮れてゆくのでした  
国境にあった小さな村も2つに分断されてしまったように元々同じ国の人々ですし、
なんだかんだ言っても絶対に譲れない部分以外では
お互いを認め合っているのが垣間見えたような気がします

陸の国境がない日本では考えられない儀式であり、
改めていろいろ考えさせられる動画でした
それにしても熱いですね(笑)



さて、
「日本人は水上機の技術に関して熱心に学んできた。
そして、他の水上機の優れた部分をまとめて、この素晴らしい機体に盛り込んだ。」
とのコメントもありました。

今回の飛行艇を製作した新明和工業の前身となる川西航空機(かわにしこうくうき)
かつて二式大艇(二式飛行艇)を製造していたことで知られておりますが、
その歴史は古く、1928年(昭和3年)にまで遡ります。

多くの失敗を重ね、時代の激流に巻き込まれながら開発され、
獲得した数々の技術がこの機体に生きているんですね。

飛行機は空を飛ばなくてはいけませんから軽く作る必要がありますが、
水の密度は空気のおよそ1,000倍と非常に大きく、
波の高い水面へ離着水する飛行艇の開発は
それはもう相反する問題点だらけで困難を極めたと言います。

当初、新明和工業における飛行艇開発の目的は対潜哨戒機でした。
その後は機器類が発達し、
対潜哨戒は大型の対潜哨戒機が飛びながら行えるようになったことから、
飛行艇の目的も対潜任務から救難救助へと変わりました。

対潜哨戒任務と違い、救難救助ではいち早く現場へ行き、
海上などの悪条件をものともせず離着水でき、
帰って来た時は救急車が待つ空港(滑走路)に着陸しなければなりません。
もちろん、そのためには車輪が必要でした。

こうして世界でも数少ない 「水陸両用飛行機(艇)」 が開発されることとなったんですね。

飛行艇による救護活動シュミレーション ↓
rescue_img01
出典:新明和工業・救護活動 

index_img6
出典:新明和工業・海・空・陸をつなぐUS-2

時代の変遷と共に飛行艇の想定していた作業は対潜任務から救難救助へと変わりましたが、
その主目的は依然として変わることはありませんでした。
どちらも 「生命を守ることが任務」 だからです。


US-2はこのように、非常に素晴らしい飛行艇なのですが、
その誕生までには数々の苦労がありました。
開発秘話などは新明和工業さまのサイトにてご覧いただいたほうが分かりやすいかと思います
飛行艇開発ストーリー

US-2開発までのいきさつなどについては、下記動画にて解説されております
【本堂武】海上自衛隊・新救難飛行艇US-2レポート[桜H22/1

前半はUS-2がどのように運用されているのか、など
日本における飛行艇の歴史などは後半12:42あたりから始まり、
波を逃がす数々の工夫や機体構造などは
今から70年ほど前に既に形になっていたことなどが説明されています
(二式飛行艇の技術は敗戦により断絶してしまいましたが、すべてをなかった事にはできなかったようですね)

2014/06/05 追記
コメント欄にてご教授いただきありがとうございます、
色々な側面から考えた結果、下記の記載を修正させていただきました

ちなみに、US-2のエンジンはロールスロイス製となっておりますが、
日本国内のメーカーがエンジン生産を苦手としているわけではありません。

終戦後しばらくの間、日本は飛行機などの研究開発を禁止されましたので、
世界各国の航空メーカーが様々な国際特許を取得してゆくのを
ただ見ているしかなかったのです。
日進月歩の航空機における技術革新が繰り返されるなか、
本格的にジェット時代に移行する明瞭期における7年間ほどの空白は
大切な時期であり、あまりにも大きいものでした。
(しかしこれにより、航空機製造から優秀な人材が他業界に流出した結果、日本では自動車や鉄道など他の重工業が発展する基盤ができました。これは、日本の重工業の力を弱めたかった戦勝国の意図とは間逆と言えるものでしょう)

結果として、現在作られている航空機用エンジンの基幹技術や
その時代の特許の多くは欧米の航空機メーカーが押さえることとなりました。

それらの特許をできるだけ回避しつつ研究開発するのは
現在では非常に困難であり、それだけで莫大な費用がかかってしまいますので、
出来あがった製品を輸入し、取り付けているだけなんですね。

海外の航空機にも日本製の部品がたくさん使われているし、
それらを作る工作機械も日本製が多く使われているので、特別な事ではないと思います。
様々な事情を考慮した結果、これはこれで理に適っているとも言えるでしょう。


IHIによる独自開発も非常に少ない予算のなか
開発者の方々の努力によりだいぶ進んできてはいるようですが、
日本は現時点では、やはり航空用ジェットエンジンの製造・開発は苦手なようです

というのも、ライセンス生産などを通じて 「作るだけ」 の技術では
日本はアメリカにかなり追いついているようですが、
新しいエンジンの開発ともなると機械面のハードウェアだけでなく
コンピューター制御などのソフトウェア面を含む多くの分野で開発をさらに進める必要があり、
これらの技術では日本はやはり遅れをとっているからです

何しろ、作ったエンジンを試験する場所をフランスに借りるなど
開発するために重要なインフラすら整っていない状況を考えると、
他国と比較すると国として本気で取り組んでいるとは到底思えず
現状ではやはり苦手、というか遅れていると認めざるを得ないでしょう。

最初に 「現時点では」 と書かせていただいたのは、
話し合いの通じない近隣のならず者国家たちによる侵略が続いているおかげ? で
少しずつ世論が変化しつつあるということと、
日本も細々と開発を続けている点などから見て
今後の開発に期待したい、という想いがありました

遅れている理由のひとつとして、
戦前・戦後を問わず永きにわたり 国をあげ
莫大な予算を投じて開発を続けたアメリカやヨーロッパと、
国内からの反発も予想され
思うように予算が付けられない日本というところにも大きな差があるようです

これは国として優先すべき物事の順序において、国家防衛が後回しにされているからであり、
最終的な責任は、今まで国を守る意識が薄かった私たち国民にあると言えます。
私たち国民一人ひとりの考え方が長い年月をかけて反映された結果だと思います。


また、中の部品や工作機械については今後の話題で締めに使おうと考えておりましたので
伏せさせていただいたのですが、
こちらについても少し説明させていただきます
(アルミの製造について現在、日本ではほとんど作られていないことは以前の記事にて記載したので割愛させていただきます)

確かに、日本製の部品は世界中の多くの製品で使われています
しかし、それは中国製部品が多くの製品内で使われている事も同じです
むしろ、非常に安価な中国製を含むアジア製部品は日本製部品を駆逐する勢いで広まっています

これは日本が得意とする工作機械においても同様で、工作機械生産額において
2009年まで27年間トップであった日本が、ついに中国にその座を奪われ、
その時の中国の生産額は同2009年、日本の生産額の何と2倍以上!でした

これは何十年も前から予想されていたことであり、日本の10倍もの人口や
まだまだ整っていない電気・ガス・水道・道路・鉄道網などのインフラが
これから整備される事を考えると、今後しばらくはトップを走る事になりそうです

また、日本メーカーの4割安という価格から日本の企業でも
中国製やインド製含むアジア製の工作機械を導入する時代です
(ちなみに、台湾製の工作機械も海外では人気です)

日本メーカーの企業努力が追いつかないほど人件費が安いというのもありますが、
海外メーカーも努力し、工作機械の品質が向上してきた結果も、もちろんあるでしょう
これについては、日本メーカーのさらなる工夫と企業努力により、
国際競争力を高めるしか道はありません。

しかし、私たち一般の国民にもできる事があります
それは、国内の技術を守ることにつながります

すべてがそうだとは言えませんが、日本メーカーは海外へ生産拠点を移しながら
日本の高度な技術力を流出させてきた経緯が少なからずあります
一例として、
炭素繊維技術や薄型パネル用ガラス製造技術、有機ELや太陽電池の研究開発
ハイブリッド車用リチウムイオン電池や自動車用無段変速機(CVT)など

そして何より、国内においても高度な技術を垂れ流してきました

韓国鉄鋼大手ポスコによる特殊鋼製造技術の流出事件や
2012年には世界トップクラスの工作機械メーカー、ヤマザキ・マザックにおいて、
中国人社員が詳細な設計図面を不正に複製し、
第三者に渡そうとしていたが警察により不正競争防止法違反容疑 で逮捕される事件などなど、
これらはほんの氷山の一角であり、相当な量の技術が日本から持ち出されていると思われます


こうした過去の失敗から反省し、私たちの国と家族を守るために、
国土防衛につながるこうした次世代航空機エンジンの研究開発費などにも
もっと予算と時間をかける必要があるでしょうし、
開発者や技術者たちの汗と涙の結晶である技術を流出の危機から守るため、
議論を重ね法律を現状に合わせて変えてゆくことも急務になると思います。


ともあれ、コメント欄にて詳しいご説明を書いて下さった方、ありがとうございます
こういったコメントをいただける事は様々な側面から物事を考えることにつながり、
ブログサイトを運営している私のほうがいつも勉強させていただいております。

日本を守るために、もっと真剣に考えなくてはいけないな、と思わせてくれるコメントでした。

敗戦で航空機に関する資料などがを接収され、航空機製造を禁止された日本。
その影響は企業にも及び、すべてを失ったように思われた川西航空機でしたが、
その魂は失われることはありませんでした。

零戦の後継機である紫電改を設計した川西龍三氏が創業者となり
川西航空機の再建を懸けて立ち上げられたのが新明和工業です。
それは戦後の焼け野原から始まりました。

しばらくはトラックなどの修理工場として稼働していましたが、
日本は再び航空機の開発を行えるようになり、それに合わせて徐々に航空機の製造に着手します。
当時、日に日に脅威を増すソ連の潜水艦に対する警戒が急務になり、
新明和工業も哨戒機PS-1の受注を獲得できました。

しかし、通常の飛行機とはまったく違う運用を想定され
開発コンセプトが 「外洋における運用を第一の目的とする世界初の飛行艇」
とあるように飛行艇の開発は非常に難しく、
PS-1における任務中に30名以上の自衛官の生命が失われる事故が起こるなど、前途多難でした。
不規則な波の動きを読むことは熟練パイロットでも難しく、その上、機上波高計を含めて計器の信頼性は低かった。(中略)
離着水の時にはプロペラが水面をたたいて負荷がかかり、ベアリングの寿命の短さは異常だった。
その後、潜水艦哨戒任務はP-3C哨戒機に引き継がれ、PS-1の製造は終了します。

上記のように、哨戒任務としてのPS-1は役目を終えましたが
技術者たちにより改修に改善を重ねたPS-1の機体は成長を続け、これが後のUS-1につながります

こうして、救難救護任務に可能性を見出し、これまでの経験を生かして作られた機体が
今回のUS-2の前身となるUS-1でした。
US-1の納入の次の年には救難飛行艇隊である、第71航空隊が作られ、
US-2と合わせると900回以上も出動し、数多くの生命を救ってきました。

US-1はPS-1の欠点がだいぶ克服された機体でありましたが、
任務中、11名の自衛官が殉職する事故も起こりました。
救難救助任務はその特性上、ほとんどが風が強く波も高い悪条件下で起こります。



その後もUS-1の救助任務は続きます。
2010年には韓国のイージス艦世宗大王級駆逐艦の兵士が急病の際、
急患輸送任務を行いました。
これは「災害派遣」という手続きを経たうえで行われたものとしては初のケースでした。

もちろん、US-1にできなくてヘリに出来る任務もありますが、
今回の任務は金華山沖東約880kmの太平洋上とのことで、ヘリコプターでは到達が難しく、
まさしく飛行艇の長大な航続距離を生かした任務だったのではないでしょうか。


ヘリ(CH-47・航続距離612km)帰りの分と余裕を含めると実際の行動半径は300km以下
US-1(航続距離4,000km以上)上記と同様に計算しても、行動半径は2,000km程度と思われます
05-012
出典:地図に円を書く (円が不均等なのは地図の図法のため。グリーンランドがオーストラリアより広く見えるアレです)

ヘリ(CH-47)・・・赤丸が行動半径(300km)
US-1・・・青丸が行動半径(2000km)
赤いポイントは搬送を引き受けた現場を想定した位置 (金華山沖東約880km)
各円は離陸した厚木基地が中心
(今回のように船舶の詳しい位置が打診されていればこのように遠くまで飛べますが
詳しい位置が分からず、遭難海域での捜索任務を主眼に置くと行動半径はこれより大幅に制限されます)

ちなみに、世界的に売れているアメリカの大ベストセラー輸送機、
ロッキードC-130 ↓ の航続距離が 約4,000km、最高速度620km
Lockheed_C-130_Hercules

V-22 (オスプレイ) ↓ の航続距離が 約3,593km、最高速度565km (航続距離は増タンク分含む)
300px-USMC-120131-M-AF823-086

自衛隊、CH-46 ↓ の航続距離が1,100km、最高速度 270km (航続距離は増タンク分含む)
300px-CH-46_Sea_Knight_Helicopter

新明和のUS-2 ↓ の航続距離が 約4,500km、最高速度580km
1024px-P1010978


上記を先ほどの例に当てはめてみると以下のようになります ↓
05-014
出典:地図に円を書く (今回は単純に各機体の航続距離を半分に割り、円にしました)

各円の中心は厚木基地
中心から順に

CH-46(ヘリ)・・・緑
V-22(オスプレイ)・・・黒
ロッキードC-130・・・赤
新明和US-2・・・青
(それぞれは大きさや得意分野に差があり役割的に競合しませんので、
日本にはすべて必要となります。しかし、どれもかっこいいですねw)


このように、陸上のみ離発着可能な輸送機と比べても遜色はなく、
日本の島嶼や海上での救難救助任務には、これ以上ない頼もしさを持っていると言えます。




救難飛行隊は数々の救助活動を行ってきましたが、
 「この救助は奇跡であり、US-1以外では成し得なかった」
と言いきる方もおりました

これは、US-1によって奇跡の生還を果たした、あるアメリカ人のお話です。

三沢基地を離陸した米空軍のジョン・ドーラン大尉は、
ハワイを経由してアメリカ本土へ向かう予定でした。
その途中で空中給油機と接触、損傷したF-16戦闘機から大尉は緊急脱出しますが、
そこは 日本からは1,000kmほど離れた太平洋、周囲は見渡す限りの水平線、絶海が広がるばかり。

もちろん、基地からも米海軍からもヘリコプターでは絶対に届かない距離。焦る米海空軍。
米海軍はおろか、近くには海上自衛隊もおらず救出は絶望視されていました。
1992年1月の、ある寒い日のことだった。 

合衆国空軍大尉ジョン・ドーランは25,000フィート (約7,620m・富士山頂の2倍ほど) 上空で
損傷したF-16から脱出し、日本本土から700マイル (約1,127km) 離れた太平洋上に着水した。

着水後4時間、彼は投下された小さな救命筏の中に横たわり、
高い波に揉みくちゃにされながら、次第に深刻な低体温症に陥っていった・・・。

彼がほとんど意識を失いかけていた時、
大型の4発エンジンの航空機がゆっくりと彼の上空を旋回しているのが見えた。

それは"日本軍"(自衛隊)の日の丸をつけた、新明和US-1Aだった・・・。

US-1Aの機上では副操縦士席のレーダーが9フィート (3m弱) 以上の波高を示していた。
機長のヒデキ・キダは50トンの機体を荒れる洋上に着水させ、
50ヤード (45.72m) 以内に接近し、2名の救助要員がドーラン大尉を救助しUS-1Aに収容した。

・・・わずか4時間後、大尉は無事に、横田基地の米軍病院に居た。

ドーラン大尉は2003年現在、少佐としてネバダ州ネリス空軍基地のウェポンスクールで
F-16のフライト・インストラクターをしている。

彼は1992年の救助劇を振り返り、こう述べている。

「脱出から救出まで、全てが奇跡だった。
700マイル (約1,127km) の沖合い、9~12フィート (3~4m弱) の波高、
25ノット (12m毎秒) の風速・・・
あの状況下で時間内に私を救助できたのは世界中の全ての種類の航空機を探しても、
あのUS-1A以外では有り得なかった。
今こうして話が出来ているのは、まさしくそのおかげなんだ」


 http://www.airspacemag.com/ist/?next=/military-aviation/giant_amphibian.htm
(現在、上記サイトはなくなっているようです、元となる英語サイトは下記)
http://www.airspacemag.com/military-aviation/giant-amphibian-25398933/
寒風の吹き荒れる1月の海上でずぶ濡れになり救助を待つ大尉。
救助があと数時間遅れていたらその生命は助からなかったかも知れません。
1992年1月・銚子(参考)の平均気温 7.3度
                 平均水温 16度

何時間も飛び続け荒波に着水したUS-1
極限状態でもうろうとした意識のなかで、ドーラン大尉の目にはどう映ったのでしょうか?
 
危険を顧みず救助を行った第71航空隊には、
後に米空軍より感謝状が贈られています




ここまで見てきましたが、US-2のどこが凄いのか?
公表されているスペックを基に見てみましょう。

wikipediaと他の資料から収集した結果によれば、US-2のスペックは下記のようになっているようです
300px-US-2_9903-2
乗員 - 11名
全長 - 33.25m
全幅 - 33.15m
全高 - 10.06m
最大離着陸重量 - 47.7t
最大離着水重量 - 43.0t
エンジン - ロールスロイス AE2100J ターボプロップ×4
出力 - 4,591shp×4
境界層制御 - LHTEC T800を使用
最大速度 - 315kt(約580km/h)
巡航速度 - 260kt(約470km/h)
航続距離 - 4,700km(約2,500海里)
巡航高度 - 20,000ft(約6,100m)以上
実用上昇限度 - 30,000ft(約9,150m)以上(未公表)
離水滑走距離 - 280m(43t時)
着水滑走距離 - 310m(43t時)
消防用貯水タンク容量 15t(要改造)
離着水最大波高 3m


こちらはライバルとなるBe-200(ロシア)
ジェット機だけあって、かなり迫力があります(笑)

全長: 32.05 m
全幅: 32.78 m
高さ: 8.90 m
翼面積: 117.44 m2
エンジン D-436TP ターボファンエンジン 73.6 kN 2基
最大速度: 700 km/h in 7000m
巡航速度: 600 km/h
離陸速度: 185 km/h
経済的巡航高度: 8000 m
航続距離: 3850 km
乗員: 2
乗客: 64(エコノミー)、32(ビジネス)
消防用貯水タンク容量 12t
離着水最大波高 1.2m

大きさはロシアのBe-200とUS-2との両者で大差ないようです。
ジェットエンジンを搭載しており、
最大速度と巡航速度がUS-2より時速120kmほど速いのが特徴ですが、

約10時間飛び続けられるUS-2に対してBe-200は6時間ちょっとしか飛べないので
救難救助目的では断然US-2に分があると言わざるを得ません
Be-200は航続距離も短く、波の高い海上を長時間飛ぶのに少し不安があるように思えます

また、離陸速度が速くUS-2の倍近く出さないと飛べないのは大きな弱点でしょう
それだけ離着水できる場所が限られてしまいます
低速度ではレシプロ(プロペラ機)プロペラ機より効率の悪いジェットエンジンを載せているので
日本のUS-2とはコンセプトが違うのかも知れませんけど・・・。
(修正させていただきました、ご指摘ありがとうございます!)

Be-200についてカナダ、イタリア、オーストラリア、韓国、アラブ首長国連邦などが
興味を示しているとのことで、
アメリカで森林火災の消火活動を行う民間航空会社で8機受注されたとのこと

日本にも東京と小笠原諸島を結ぶ便に使用してはどうかという売り込みがあったとの噂ですが、
離着水可能な波高が1.2m以下では難しいでしょう



同じくライバル候補のボンバルディアCL-415(カナダ) 
Canadair cl 415

小さいので小回りの利く運用ができそうですね

乗員:2名(他にジャンプシート1名、ベンチシート8名)
搭載量:2,900 kg (6,400lb)
全長:19.82 m (65 ft)
全幅:28.6 m (93 ft 11 in)
全高:8.9 m (29 ft 3 in)
翼面積:100 sq m (1,080 sq ft)
エンジン:2 × プラット・アンド・ホイットニー・カナダ PW123AF ターボプロップエンジン、離昇出力2,380 shp (1,775 kW)
最大速度:223 mph (359 km/h (194 kt))
巡航速度:207 mph (333 km/h (180 kt))
失速速度:78 mph (126 km/h (68 kt))
巡航高度:14,700 ft (4,500 m)
航続距離:1,518 miles (2,443 km)
離陸滑走距離(ISA):2,750 ft (840 m)
離水滑走距離(ISA):2,670 ft (815 m)
着陸滑走距離(ISA):2,210 ft (675 m)
着水滑走距離(ISA):2,180 ft (665 m)
最小水深:6 ft (1.8 m)
離着水最大波高 1m

こちらはUS-2よりかなり小ぶりとなる機体で、消防用を主目的として作られたそうです
そのため速度や航続距離はそれほど重視されておらず、搭載量や短距離での離着水、
安定性などを主眼に置いた作りになっています。

CL-415は機体が小さな分、着水可能な波高は1m以下となっておりますが、
その大きさからは想像できないほど大量の水(6.1トン)を積むことができます

小さく軽い機体は短距離離水性能に優れ、
離着水できる場所を増やし活動領域を広げることに成功したようです

それでも、US-2は最大重量43トンを保ったまま、
CL-415の半分以下の滑走距離で離陸・離水できるので、
これがいかに凄い事か、ここからも分かると思います。

失速速度が時速126kmとなっており、
現在における固定翼機としてはかなりゆっくり飛べる部類に入るでしょう。
US-2ではこれよりも遅い速度で飛ぶ事が可能なので、
狭い範囲に積極的に近付くことができます
失速をコントロールする高度な境界層制御技術が利いているんですね。

また、フライ・バイ・ワイヤによる高い安定性もUS-2には欠かせない話題です
万一の故障に備え、3重の冗長化を施し、
さらに油圧での操作も行えるとのことで安全対策にも余念がありません。


下の動画にはUS-2における低高度・低速での飛行が収められております
ヘリコプターのように水面を荒らす事無く低高度で捜索できるのは
人命を救う上で非常に大きなメリットとなるでしょう。

110925_呉地方隊展示訓練[08]飛行艇離着水




また、US-2は消防用にも優れた運用が期待でき、
貯水タンクには15トンもの水を積んで飛行できるとのことです(要改造)

これがどれくらい凄いかというと、先代のUS-1では8トン、
東京消防庁仕様のAS332(ヘリ) ↓ は2.7トン、
300px-Japan_coast_guard_helicopter

Be-200(ロシア) ↓ では12トン
300px-MChS_Beriev_Be-200_waterbomber

ボンバルディアCL-415(カナダ) ↓ では6.1トン
300px-Canadair_CL-415_C-GOGX_Ontario_1

中国で運用中のSH-5(水轟五型) ↓ では8トン
300px-Chinese_Shuihong_5_amphibious_aircraft

となっており、水の搭載量でもUS-2が頭一つ抜きんでた結果となっています。
これらの機体はもちろん
水上を滑走しながら消火用の水を汲む事ができます



アメリカや他の国でも民間用としては作られていますが、
現在、本格的に飛行艇を作っているのは
日本、カナダ、ロシア、中国などわずかな国に限られます。

中国はSH-5(水轟五型、Shui Hong - 5)の後継機として
JL-600(中国語:蛟龙600(繁体字:蛟龍600))の開発中とのこと
完成すれば離水重量60トン(US-2は43トン)、貯水タンク容量は12トンとなり
大きさでUS-2を抜いて世界最大の飛行艇となる予定です
俄媒披露中國水轟5型兩栖飛機未能量產內幕
蛟龍-600生過其時 未來發展前景有限

下記動画を見れば分かるように、この飛行艇はあきらかに
日本のUS-2を意識して作られていています
中國蛟龍 600最新水上飛機—反艦殺手


上記動画の1:33付近のキャプチャ ↓
 05-013
上が中国の蛟龍600、下が日本のUS-2ですね
頼むから関わらないで欲しいんですけど・・・(笑)



ここまで見てきたように、海難救助用として、
その性能は現時点では間違いなく世界一と言って良いでしょう。

しかし、一番ネックとなるのは やはり高すぎる価格です

Be-200(ロシア)が4機で270億円、
ボンバルディアCL-415(カナダ)が1機30億円とされるなか、
US-2の調達価格は1機100億円とされており、
価格ではまったくといってよいほど太刀打ちできません。

それでも他の航空機には真似できない事がUS-2にはできる、
というか、起伏に富み海流の速い太平洋に面し冬の日本海も抱えるなど、
世界的に見ても日本の周りは危険だらけなので
日本の救難救助ではUS-2以外の選択肢はありえないのが現状なんですね。


あとは高すぎる価格をいかに安く抑えるか、が国際的な競争力強化の重要な部分です。
安く作るにはたくさん売れば良いのですが、国内だけではそこまで大量の需要はありません。
そこで、海外への輸出となります。
元々、日本での武器の輸出は自粛してただけで法律で禁じられていたわけではないのですが、
ニュースなどで知っての通り、2014年4月1日に武器輸出三原則に代わる
防衛装備移転三原則が閣議決定されました。

世界情勢と技術革新が時刻々と変化する現在では、広く販売されている部品が軍事用に使われたり、
その逆もあったりして、民生品と軍事用品との境目が かなりあいまいになってきました。
時代に法律が追いついていないのですね。

現在議論されている 「集団的自衛権」 についても同様の事が言えます
これまで、海外における自衛隊の人道支援も大きく制限され、
それは自衛隊員が自らの身を守る事も難しいありさまで、
「攻撃してきた相手の手を傷つける恐れがあるから鎧は着れません」 状態でした

結果として、本来 「法律が人を守る」 はずが
「人が法律を守り、時代遅れな法律によって、逆に守られるべき生命が危険にさらされている」
という、本末転倒的な状況になってきていたんですね。

それがこのたびの見直しにより、一部の輸出に対しては緩和され、
アジア各国との連携を図る基礎作りに一歩だけ前進しました。
日本を守るには、アジア各国との連携はもはや欠かせない要素となっていますが、
アメリカが弱体化しつつある現在では 日本人も頑張らないと国を守れない時代に突入しています。


また、最終的に15機のUS-2をインドが購入するというニュースも流れました
インフラがまだ整っていないインドですが、
総額は160億ドル(1627億円!)以上、とも言われております。

これは実に大変な金額で、日本の戦闘機F-15Jが86~101億円、
費用がかさみ開発が滞っていた事で有名なF-22で152億円となり、
戦闘機でもないUS-2が1機100億円、それを15機とはかなり奮発しています
(ちなみに100億円で10台の10式戦車が買えます、運用コスト別ですが)
これらを考慮すると、日本もインドも目先の事だけでなく長いスパンで考えているようです。

インドの求めるものはやはり、国内で飛行艇を作り運用できる技術でしょう。
日本の技術が流出するのを危惧する声が出そうですが、
インドの技術水準が上昇することは日本にとってもメリットがあるんですね。

例えば、インドで生産したUS-2が輸出されれば、日本にはライセンス料が入ってきます
その他にも、パートナーとして共用部品の製造技術を持っておけば
日本の工場が災害などで被害を受けたとしても、部品の調達が可能となる点など

しかし、インドは契約が重視される契約社会です
無用のトラブルを避けるためにも、
相手の事をよく理解した上で付き合ってゆくのが大切と言えます

また、インドは衛星の軍事利用が日本より遥かに進んでいる事でも知られています
防衛用の兵器などが高度に発達する現在では、
開発金額も一国で単独開発できないほどに高騰しがちです。

これからはお互いの得意な分野で補い合って敵に備える事が今まで以上に重要となるでしょう。
後はインドの新首相がどう動くかが気になりますね・・・。
オバマ大統領を揺さぶるインドのモディ新首相



ニュースキャスターの辛坊治郎氏ら2人が乗船していたヨットが海難事故に遭い、
US-2に救出されたのは、2013年6月21日の事でした。
事故の起こる前から辛坊氏は辛口なコメントで知られており問題発言もたびたびありましたが、
救助されてからの動画では以下のように熱く語っています
救難飛行艇 US 2、インドが持ったら問題か? 辛坊治郎 H26 04 05


以下、動画の辛坊氏部分を要約 
(動画後半では武器輸出三原則の緩和について、防衛大臣政務官・参議院議員 木原稔さんより説明があります)
これはもう別に武器を積んでいるわけではありません
波高3mの荒海でも降りられるという、世界で唯一の救助艇で、
これを欲しいという国はインドを始めとして世界にはたくさんあると

ところが日本の、私新明和に行って実際取材して、いろいろ話を聞いたんです。
「これ、実際どうなんですか?商談、進んでるんですか?」
したら、何に障害があるかと言ったら
「やっぱり1機150億円くらいするんで、なかなか途上国ではこの値段が出せないよね、欲しいけども」
というのがひとつと、

もうひとつはやっぱり日本の武器輸出三原則で、
「自衛隊が使ってるものだからこれは武器だ、という事で輸出できないんです」

で、新明和の人に
「どちらの要素が大きいですか?」
このUS-2を輸出できないにあたって、日本国内の規制の問題なのか、
それとも、商談を進めるにあたって値段の問題なのか
どちらのほうが障害が大きいですか?と新明和の人に聞いたら

新明和の人が
「いやー、やっぱりね、輸出三原則で政府として輸出ができないというのが大きかったんです」
と私が去年の9月に取材に行った時に言ってくれたわけです。

(中略)

で、元々武器輸出三原則っていうのは共産圏を利する輸出は止めましょう、
っていうものだったんだけど、だんだん拡大解釈されてあれもダメ、これもダメ
ついにはUS-2なんていう、別に人を殺すためのものじゃなくて
人助け以外のものに使いようがないものですら、ダメ!って話になって。
これはおかしいだろ!って

それと同時に、やはりこれだけグローバル化が進んで、
一つの戦闘機作るのにも色んな国の技術を集めてこなければならない
当然の事ながら日本の部品も使われるという事になった時、
今までのルールだと 「戦闘機に日本で開発された部品が使われるとは何事だ」
みたいな話になる、と。

・・・武器って言っても世界の平和を維持するために必要なものもあるわけ
じゃあ、警察官に武器持つなって言えるかっていうと、そんな事ない、って話
それと、日本の国際貢献を考えた時、同盟国のアメリカと何か作りましょう、ってなった時に、
 やっぱりこれを見直さないと、何も進まないって事で言うと、見直しは当然だと思うんだけど・・・
 自らの生命を救ったUS-2の輸出について、
辛坊氏なりの想いがあったのかも知れませんね。


ここまでは主に優れた機体の特徴などについて紹介させていただきましたが、
救助活動を行う海上保安庁や自衛隊・救難飛行艇隊の方々の厳しい訓練なども忘れる事はできません
以下はその訓練に同行し、アナウンサーの方が実際に体験した動画です
US-2は、海上自衛隊が運用する救難飛行艇。辛抱さんを救助した飛行艇

波のないプールでも水を大量に飲んでしまった酒主アナ
ボンベなどが重いので相当大変な様子でした!


数々の救難救助任務を行ってきた海上保安庁と自衛隊
海外コメントでパキスタンの方もおりましたが、
自衛隊は災害派遣でパキスタンへ行った事もありました
(この時はヘリコプターでしたが)
【自衛隊海外派遣&東日本大震災義援金】 パキスタンと日本 - 感動の実話

 
パキスタンと日本

パキスタン地震の被災者を支援した
陸上自衛隊のヘリコプター部隊の本隊
約百三十人が12月1日
北海道・帯広に帰還した

10月中旬に現地入りし
約一カ月半にわたりイスラマバード近郊の
空軍基地から130キロ離れた

同国北部のバタアグラム地区に
陸自ヘリ6機で約百回往復し

援助物資、約40トン
緊急患者など約720人を運んだ


パキスタン軍の現地旅団長は

「日本隊だけが休まず毎日来てくれた」

「物資を運んだだけでなく
 村人に希望と勇気を与えてくれた
 おかげで笑顔が戻った」

と称賛したという


支援のためにヘリを派遣した国は
日本に加え、米・英・独など六カ国だ

日本は 「真心支援」 と名付け
現地の人たちと同じ目線に立ち
住民の信頼を勝ち取った

イラク・サマワでの
陸自の復興支援活動にも相通じる
誠実、勤勉 な 「自衛隊流」 が
ここでも現地の人々の心をとらえた


ムシャラフ大統領が11月12日
陸自部隊を突然訪問し

「私をはじめパキスタン人は
 日本に特別の思い入れがある
 日本は偉大な国であり尊敬している」
と述べた

現地の有力紙も報道し、両国の絆は深まった
(産経新聞 2005年12月3日)


(スポニチ 2011年3月20日)

パキスタン南部のカラチで20日
東日本大震災の被災者を励まそうと

日本と関わりのあるパキスタン人や
現地に住む日本人らが

「ガンバレ日本」 など書かれた横断幕を掲げ
行進した
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在カラチ日本総領事館などによると

文化団体 「パキスタン日本文化協会」
経済団体 「パキスタン日本ビジネスフォーラム」
が開催を呼び掛け

企業関係者や学生ら約800人が参加した

文化協会名誉会長の劇作家
ファティマ・スラヤ・バジヤさんは

「地震は建物を揺らすことができても
 日本人の精神を揺るがすことはできない」

とあいさつ

参加者は犠牲者に黙とうをささげ
義援金も集めた

参加した磯村利和首席領事は

「日本人と同じ痛みを感じ
 共にあることを示していただき
 感謝します」

と述べた。
上記動画でハイチにおける自衛隊の活動に触れられていますので、
話の都合上、よく知られている動画も貼らせていただきます ↓
親日国 前代未聞の『感謝デモ』 【日本再生】


イラクでは噂が伝わるのが速い。

昨年12月14日の自衛隊の派遣期間が終わりに近づき、
またロケット砲が打ち込まれるという騒ぎが起こると、
「自衛隊は帰るのか?」 という懸念が瞬く間に広まった。

すると140人の老若男女からなるデモ隊が 
「日本の支援に感謝する」 と自衛隊宿営地に詰めかけ、
口々に「帰らないで」 と懇願した。

同時に 「自衛隊の滞在延長を願う署名運動」 が展開され、
2日間で1500人もの署名が集まった。 

実は感謝デモはこれで二度目だった。

4月に2度、自衛隊宿営地そばに迫撃砲が撃ち込まれると、
サマーワ市民による百人規模のデモ行進が行われた。

スローガンは
「日本の宿営地を守ろう」 というものだった。

前代未聞のデモだった


英米オランダ軍も驚いて、自衛隊に矢継ぎ早に問合せをしたほどだった

どうしてこんなことが起こったのでしょうか?

イラク人と自衛隊員の信頼関係はどうやって築かれたのでしょうか?

その答えとなるいくつかのエピソードを
ごく一部ですが、紹介させて下さい。


2004年1月26日

番匠幸一郎一等陸佐が率いる
復興支援の本隊・第一次イラク復興支援群がサマーワに到着した。

装甲車両には色鮮やかな日の丸が描かれていた。
05-015
隊服の右胸、左袖、背襟下にも遠目にもよく目に見えるほどの日の丸をつけていた。

多国籍軍側からは 「これでは 『撃ってくれ』 と言わんばかり。お前らはどうかしている」
と何度も忠告されたが、
イラク人に 「自分たちは日本の自衛隊」 であることを
ことさらアピールしたかったからだ。

サマーワにつくと、番匠一佐は現地の人々に繰り返しこう語って理解を求めた。
05-016
我々はあなた方の友人として、日本からサマーワに来た。
我々日本も、60年前の先の大戦で敗れ、国土は焦土と化 した。
すべてが無に帰し、食料にも困る日々が続いた。

そんな廃墟のなかから、私たちの祖父母、父母の世代は立ち上がり、
大変な努力をして、日本を復興させた。

そして、その結果、
いまや経済力世界第二位という日本を築き上げることができた。

メソポタミア文明という人類にとって偉大な歴史を有する
あなたたちイラク人は偉大な国民だ。
あなた方に同じことができないはずはない。
我々は友人として、あなた方が立ち上がるお手伝いに来たのだ。

イラク人にとっては、日本は同じアジアの国である。
さらに自分たちと同じようにアメリカにやられた国だという意識があったようだ。

その日本から 「友人として助けに来た」 という番匠一佐の言葉は
イラク人の心に響いたに違いない。
05-017


宿営地には建設中の段階から、外国の軍人たちが表敬や見学のために訪ねてきたが、
彼らが一様に驚くのは、イラク人作業者たちが、
夕方になってもまだ働いていることだった。
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外国の宿営地で雇っている作業者たちは3時、4時になると
仕事が途中でも帰ってしまう。
夏場には60度にも達するのだ。
それも無理はない。

外国の場合は、イラク人作業者に作業を命ずると、
彼らだけを働かせるのだが、
日本では幹部自衛官でも、彼らと一緒になって、ともに汗を流した。

宿営地の鉄条網整備の際には、
日本人2、3人とイラク人7、8人がチームを作り、
有刺鉄線に服はボロボロ、体中、血だらけ汗まみれになって作業を続けた。


昼食は分け合い、休み時間には会話本を指差しながら、
仕事の段取りについて話し合う。
いったん意気に感ずると、とことん尽くすのがアラブの流儀だ。

終業時間の5時を過ぎても、まだ隊員と一緒にブルドーザーに乗って
働いているイラク人の作業者もいた。

イラクの人たちの信頼は厚くなり、
「そこは日本にやってもらいたい」
という要望がどんどん増えていきました。
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少し長くなりましたが
自衛隊がどうやってサマーワ市民との信頼を築き得たのか
だいぶんご理解いただけたのではないかと思います

最後に

2004年1月16日
現地のサマワ新聞の記事を紹介して
 終わらせていただきたいと思います。


我々は我が県に日本隊が到着するまで、
この道徳と倫理を保持した立派な人々について何も知らず、
感情のかけらもない技術革命により、
全世界の心を支配するつもりだろうと思っていた。

しかし、日本国陸上自衛隊が県内に到着して数週間の内に、
サマワの人々は彼らが 『古きニッポン』 の子孫として、
愛情と倫理に溢れた人々であることを見出した。

彼らは偉大なる文明を保持するとともに他の国家を尊重し、
他国民の家庭や職業に敬意を払う立派な伝統を持っていたのだ。
実は上記動画では語られていない物語があります
前代未聞の感謝デモがなぜ起こったのか、
話がより分かりやすくなると思うのでそちらも併せて紹介させていただきます
ユーフラテス河の鯉のぼり

「5月5日のこどもの日にユーフラテス川に鯉のぼりをかけて泳がせ、
戦禍のなかでたくましく生きるサマーワの子供たちに見せてやりたいのです。
子供さんが成長されて、タンスのなかで眠っている鯉のぼりがあったら
ご提供いただけないでしょうか?」

番匠一佐がイラクに来る前に駐屯地司令官をしていた
北海道・名寄市の市民にこう呼びかけると、
200本以上の鯉のぼりが集まった。

4月29日には宿営地そばに迫撃砲弾が撃ち込まれて、
鯉のぼりプロジェクトの中止も検討されたが、
この局面だからこそで、敢えてこのプロジェクトを遂行しようと決定を下した。

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出典:第1次イラク復興支援群の活動を振り返って(防衛省)

幅100メートルのユーフラテス川に多くの鯉のぼりをかけ、
同時に番匠一佐から次のようなメッセージが発せられた。

「日本では宗教に一切関係なく、父親母親が成長を祈って、
こどもの日に鯉のぼりを掲げます。

下流から上流に向かって流れに逆らい勢いよく上がっていく鯉は
成長や健康の象徴です。
子供はその国の将来そのものであり、
イラクの子供が明るい未来を築いてくれることを祈念します。」

 
サマーワ市民百人規模の 「日本の自衛隊を守ろう」 という
代未聞のデモ行進が行われたのは、この翌日のことであった。
この話にはさらに続きがあり、自衛隊がサマーワから撤退してから
ちょうど1年後の2007年7月25日、
イラクのガーニム・ジュマイリ在日大使が中越沖地震の被災地を見舞い、
現地で復興支援中の自衛隊を励ましにきたんですね。

大使は柏崎市長に 「イラク国民を代表して」 お見舞いの言葉を述べた後、
陸海空3自衛隊の支援部隊を律義にもすべて訪問して回り、
その合間に、住民の避難所も訪ねました。
自衛隊の元へ向かう前、大使は柏崎市長に
「友人たちの仕事を見て励ましたい」 と語ったといいます。

あっ。気が付けばイラクの話になってる・・・
インドと日本の良いお話もあったのですが、それはまたの機会に(笑)



生命を守るために自衛隊・救難飛行艇隊の方々と共に歩んできた日本の飛行艇たち

阪神淡路大震災ではたくさんの建物が崩れ消防車が近づけず、
もし、空中から消火活動が行えていたら
もっと多くの生命が救えたかも知れないという意見も聞かれました。

先日、戦没者慰霊のために父島へ降り立った安倍総理。
その時に乗って行ったのも、このUS-2でした。

現時点ではおそらく世界最高の性能を持つUS-2
その影には開発に携わった方々の苦労や、
救難救助・災害派遣活動に従事する自衛隊の皆様の努力と責任感

そして、多くの尊い犠牲・災害からの教訓があったことも忘れてはならないと思います。



今回は新明和工業製作の飛行艇・US-2を見た海外反応を お届けいたしました。
価格の高さが心配でしたが、海外でもこれまでの救助活動の実績が利いているようです。
他の動画でも好評なところを見ると、その価値は分かる人には分かっているのでしょう。

個人的には、インドのヘリに付けられている名前が暴風雨神だったり
戦車の名前がマハーバーラタの主人公だったりして、
国民性が出ていて面白かったように思えますね(笑)



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