日本人は世界でも特にサービス精神豊富できれい好きな民族として知られています。
街中や店内などあらゆる箇所にまで清掃が行き届いており、
初めてその地を訪れた人を不快にさせることは多くないのかも知れません。

本動画は、日本の主要交通機関・新幹線の様子を紹介する番組の一シーンです。
リポーター自らが従業員に扮し、
新幹線内の清掃作業がどのように行われているかを実地で解説しています。

新幹線が駅に停車しているわずかな時間に、
ゴミ捨てや座椅子の掃除などあらゆる作業をてきぱきと行う従業員の仕事ぶりはまさにプロ。
アラビア人リポーターも舌を巻いています。
本動画を視聴した多くの中東の方々も日本人の衛生観念にとても感心しています。

リポーターも述べていましたが、一人一人の従業員が一つの目的に向かって一斉に行動する
日本人の連帯性に強い関心を持つコメントも多く寄せられています。
個を重んじる海外の人にとって、自己犠牲をいとわない日本人の組織力は驚嘆に値するようです。

لقطات مميزة - تنظيف القطارات في اليابان


以下、この動画に対する海外の反応

■ コメント1ゲット。 サウジアラビア

 ■ re:神のお導きだね。 サウジアラビア

 ■ re:何言ってんだ、こいつ。 サウジアラビア

■ おお神よ。彼らの素晴らしき仕事に敬服いたします。  素敵な動画をありがとう。 サウジアラビア 

■ 日本ってすごいなぁ。 サウジアラビア 

■ 実に素晴らしい。 サウジアラビア 

■ なんて真面目な人達なんだ。 サウジアラビア 

■ アフマッド氏の番組は実に勉強になるね。 彼らの思慮深さがよく分かるよ。 +56 サウジアラビア 

■ ところで第26回の動画はどこだい? お気に入りの番組を見逃したくないんでね。 アルジェリア 

■ アラーこそ唯一神。  ムハンマドはアラーの預言者なり。 サウジアラビア 

■ すげーな。 イラク 

■ う~ん、素晴らしい。 サウジアラビア 

■ すごい高評価の数だなぁ。 サウジアラビア 

■ 神の祝福あれ。 サウジアラビア 

■ 素敵だね! サウジアラビア 

■ 日本に幸あれ。 サウジアラビア 

■ この番組は本当に必見だよ。 実に素晴らしい。 イギリス 

■ 座席一列の掃除完了までたったの11秒かよwww アラブ首長国連邦 

■ アフマッド氏のおっしゃる通りですね。 確かに日本人には 「個人」 という概念が希薄であるように思えます。 まるで別の惑星の住人のようですよ。  私はドイツ在住のエジプト人ですが、以前日本人に会った時に彼らのあまりの律義さに非常に驚かされました。 日本人はとても団結力があって知的ですが、不思議な行動性を示しますね。 私たち中東の市民とは価値観がかなり異なるので、一緒に生活するのは大変ですよ。 +48 エジプト 

 ■ re:甚だしく同意。 オーストラリア 

 ■ re:私は現在日本に住んでいますが、貴方の意見に全く同感ですね。 彼らは集団行動を重んじます。 自分のためではなく、自分以外の誰かのために働くことを求められています。 彼らにとって個の存在など大して重要ではないんです。 彼らは社会に帰属することで自分の存在を認識しているのです! アフメッドさん、お仕事お疲れ様です! モロッコ 

■ 親愛なる日本よ。 サウジアラビア 

■ 列車清掃に22人も雇ってんのかよ…。  俺の国じゃあせいぜい2、3人しかいねーし、こんなにきれいに掃除すんの無理。 すげーな、いくら貰ってんだろ。 アルジェリア 

■ どうせなら日本で死にたいもんだ。 サウジアラビア 

■ 賞賛するだけでなく、彼らの知恵を学ばねばならない。 サウジアラビア 

■ アフマッド氏は時代の寵児だな。 クウェート 

■ 重大ニュース 近年日本では思考こそが不安や悲しみをもたらす原因であるとみなし、喫煙やゲームの世界にのめり込んで現実逃避する人間が増えているらしい。 サウジアラビア 

■ ほぉ~。 サウジアラビア 

■ ああ、俺達はなんて怠け者なんだ…! サウジアラビア 

■ そんなに卑下すんなよ。 サウジアラビア 

■ アフマッド氏に心から敬意を表します。 エジプト 

■ この番組は分かりやすくて良いね。 サウジアラビア 

■ アフマッドさん、ありがとうございました。  よかったら今度ベラルーシのミンスクに来て下さいよ。すごくきれいな所ですよ。 サウジアラビア 

■ 実に素晴らしい動画だ。 サウジアラビア 

■ 我々も創造力では引けを取らないのだが、いかんせん現実的な生産力に乏しいんだよなぁ。 バーレーン 

■ 素晴らしきクリエイターに神のご加護があらんことを。   オマーンより オマーン 

■ アラーこそ唯一神。 神に身も心も捧げ、服従を誓いなさい。 イラク 

■ そうさ、こいつはマジですげーんだぜ。 はっきり言ってこのサイトに登録したら一日に40ドル以上も稼げてラッキーだったよ。 興味がある奴は今すぐチェックだ。   bit.ly/1523●m3 +15 フィリピン 
(よくあるスパムですねw)

■ 単なる暇つぶしのためではなく、学習のために動画を見てほしいです…。 クウェート 

■ 素晴らしい。 次回が楽しみだ。  あなたこそアラブ人の鑑ですよ。 サウジアラビア 

■ いいね。 サウジアラビア 

■ 女性がとても美しい。 サウジアラビア 

■ 実に的を射た意見だ。 サウジアラビア 

■ アフマッド氏はいつか国家のお偉いさんになるんだろうな。 サウジアラビア 

■ アラブ人は神に選ばれた民である。 サウジアラビア 

■ そう、…それが問題だ。 ヨルダン 

■ イイハナシダナー。 アフマッド氏の作品はまだ続くんだよね! どこまでもお供しますぜ。:) サウジアラビア 
(ここまでプロのお仕事)



・・・やっぱりアフマッドさん熱いですね(笑)

番組内ではリポーターのアフマッドさんが新幹線の清掃作業を紹介し、
日本人の団結力や組織力を称賛、
みんなで気持ちよく使えるように掃除が行き届いているようすなど、
周囲との和を大切にする日本人の精神性に注目し、
我々も団結し住みやすい国にしてゆかなければならない、と説明しています。

良いも悪いも含め、自らの行いはいずれ自分に返ってくると考える日本人から言わせてもらうと
これらは仕事として当たり前のことをしているだけであり、
特別に団結しているつもりはないと思うのですが、
中東の方々からは やはり新鮮に映るようでした。

確かに、新幹線は日本人が官民問わず協力し、国を挙げ築き上げてきた過去がありますし、
現在でも本動画のように多くの方々の努力によって維持されています。
細心の注意と気配りを携え日本では鉄道が高度に発展してきました。

今回の海外コメントでは日本人の精神性に重きを置いて見ている方が多いようですが、
他の動画では新幹線の性能や安全性を評価する声も多く見られたことからも、
鉄道としてのポテンシャルもかなり高く評価されているようです。


しかし、中東の国が日本の鉄道インフラを導入するかと言うと
話がまた変わってきます
肝心な鉄道インフラ事業の輸出では、
大きなシェアを持つビッグ3 (カナダのボンバルディア、仏アルストム、独シーメンス)
をはじめ、日本企業は海外企業に押され気味なのも事実です

しかも最近では中国企業の躍進が大変 著しいのですが、
なぜ中国企業は急速に力を付けてきたのでしょうか?

多くの方がご存じのように、
日中の大企業同士が提携し、技術が流出するだけでなく
中小企業というレベルでも同じ事が起こっており、日本からの技術流出が危惧されるなど、
中国企業の持つ技術は日本を含む他国から得たものが多いのですが、
得た技術を自国の独自技術と謳いアメリカなどで特許出願してしまうなど、
手段を選ばず自国の利益を追求してきました

中国高速鉄道CRH2型電車

中国、日本の新幹線技術を国際特許出願…なぜ川崎重工は技術を流出させたのか

東洋ゴム工業が中国の鉄道車両用部品の生産拠点で開所式
(上記の3つの例などはごく一例ですが、外貨を稼ぐために必要な取引部分も併せ持っているという難しい側面もあります)

さらに1962年、中印戦争を起こし
現在も紛争地域を抱える隣国インドにも高速鉄道売り込みを図ったり、
大事故を起こした企業は5年間入札に参加できない既定があるのにもかかわらず
ブラジルへの高速鉄道輸出を目論むも失敗したりしていますが、これに懲りる様子はなく、
国家の号令の元、豊富な経済力・政治力・軍事力を背景として
今後も海外展開を強力に推進してゆくのは間違いありません。

さらに温家宝前首相が欧州訪問し、日独の連携を分散させる策略に先手を打ったり
一般の鉄道インフラにおいても手段を選ばない強引なやり方で確実にシェアを伸ばし続けており、
インフラだけでなく政治も含めた総力戦は成功していると言ってよいでしょう。

今回の記事を書くにあたり海外への売り込み等色々調査した結果、
安倍政権が 海外においても いかに頑張っているかが垣間見えましたが、
それでも中国企業の躍進は目覚ましいものがあり、
海外における日本の受注ランキングは、アジア、中東、アフリカの全てで低下傾向にあります。
(これらは実際の数字なども含め、非常に長くなるのでまたの機会に)

日本もようやく国をあげての輸出に本腰を据えはじめたところですが、
まだまだ不十分であり、国内産業のけん引役には力不足感が否めません。
もちろん中国企業側の努力もありますが、中国を含む海外では鉄道インフラ事業の輸出に
日本以上に国を挙げて取り組んでいるのが大きいと思います。
我が国も、政府と国民のバックアップがもう少し必要なのかも知れません。


さて、海外コメントでも団結力を重視する声がありましたが、
日本人が団結し注力すると 強大な諸外国相手にどの程度戦えるのでしょうか?

新幹線以外にも人々が協力し、作り上げてきたものが日本にもたくさんあります。
それらは新幹線や宇宙開発技術をはじめ、深海探査に至るまで多岐にわたり、
東京オリンピックなど大きなイベントを開催し、世界に肩を並べられるようになったのも
国を挙げて力を注いだ結果だと思います。

今日はその中でも 日本人が一丸となり応援した
南極観測船 「宗谷」 を紹介させていただきたいと思います
(またプロジェクトXですがw)

以下、動画の概要 (ところどころ省略させていただきました)
昭和31年11月8日
東京 晴海埠頭は1万人の人々で埋め尽くされた
18-001
戦後、日本の復活をかけた南極観測。
皆 ちぎれんばかりに手を振った

18-002
日本人の希望が託された船の名は 「宗谷」
数奇な運命の船だった。

積み込まれた装備は 復興途上の日本企業が提供した
その数 1000社を超えた

南極まで 2万kmの道は 過酷なものとなった
船体にぶつかる 巨大な氷山
「宗谷」 はきしんだ

たどりついたのは 南極で最悪の場所だった
男たちを 風速100mのブリザードが襲った
そして 苦闘の末に見つけた一筋の光

これは ただ一度だけ
日本中が その力を結集した
壮大なプロジェクトのドラマである



日本の戦後の科学の復興を夢見た 物理学者。
船の改造や 装備の開発に携わった 技術者たち。
そして、日本の国民が一丸となって応援したプロジェクト

それは、ある一人の学者の情熱から始まった・・・。


戦後のアメリカ
18-004
ロックンロールの小気味いいビートが鳴り響いていた
豊かさに満ちていた

日本は いまだ敗戦の傷から立ち直れず 沈んでいた
18-005
昭和29年 東京大学の片隅から
毎日 やるせないメロディが流れていた

アコーディオンの曲は いつも 「船頭小唄」
弾いていたのは 理学部の教授・永田 武(ながた たけし)41歳
戦前は 情熱的な講義で知られた名物教授だった
18-006
地球磁気の研究で ノーベル賞候補とまで言われた男だった
しかし 戦後は予算もなく 研究は滞った
学生たちもやる気を失い 研究室は静まり返っていた

ある日 永田のもとに 1通の国際郵便が届いた
封を開けて 目を見開いた

「2年後の国際地球観測年に向け ブリュッセルで会議を開く
テーマは 南極の共同観測」

南極観測。
永田の 長い間の夢だった
18-007
氷に閉ざされた 未知の大陸・南極。
地球の成り立ちを解く カギが眠っている

欧米諸国は 国を挙げて科学者たちを送り込み 基地を造っていた
18-008

ブリュッセルに飛んだ永田はたじろいだ
会議に参加したのは 10か国。
18-009
アメリカ・ソ連・イギリスなど、皆 戦勝国だった

2年後に 世界共同で南極の共同開発を行う
壮大な構想を話し合う場だった

突然 永田に非難の矢が飛んできた
18-010
「なぜ日本がここにいるんだ」
「日本には 国際舞台に上がる資格はない」
オーストラリアとニュージーランドの代表だった

フランスの議長が 永田に尋ねた
「日本は 南極観測に参加できるのか?」

永田は 悔しさが込み上げてきた

決然と言った。
「日本は 参加できます」

永田は東京に戻った
熱血漢の血が たぎっていた
研究をサボっている学生を見つけると どなった

「何のために学んでいるんだ!
立ち遅れている日本に もたもたする時間はないぞ」


永田は大蔵省を訪ね 南極観測への参加を訴えた

しかし 担当官は言った
「南極? そんなものに金は出せない」

永田は 方々に南極行きを訴えた
18-011
いつしか 変人扱いされるようになった

ある日 一人の男が現れた
18-012
広岡 知男 (ひろおか ともお) 48歳
朝日新聞の編集局長だった
広岡は 30代で 「社説」 を任され 名物記者として知られていた

永田に言った。
「私も 同じ気持ちを持っている。日本は南極に行くべきだ」

以下、広岡さんのインタビューの一部
「とにかく 敗戦国で クソミソにやられている最中だから
縮こまって国際的な発言なんか何もできない、という 国民的な あれですよ」

広岡の動きは  素早かった
新聞紙上で 南極観測を支援する 一大キャンペーンを打ち上げた
18-015
特集記事を連打し 国民一人一人の力で 日本隊を送ろうと 訴え続けた
間もなく 全国で募金活動が始まった

信じられないことが起こった
小銭を握りしめた子供たちが 募金に押し寄せてきた
18-016
日本が南極に行く・・・
子供たちの目は輝いていた

募金はあっという間に 10万人を突破した
支援の輪は 日本中に広がった
皆 夢に飢えていた

間もなく 文部省や運輸省の若手官僚たちも 賛同の声を上げた

そして ついに国が動いた
18-017
南極観測が閣議決定された

2年後の国際共同観測に間に合わなければ 日本はまた見下される
国家プロジェクトが動き始めた

船の手配と輸送は 海上保安庁が担当
18-018

観測機材や物資の調達は 文部省
18-019

そして 南極観測隊隊長には 永田 武 が指名された
18-020
この時 永田は とんでもない情報を聞かされていた

日本に割り当てられた観測場所は
南極東部の プリンスハラルド海岸
18-021
アメリカ海軍の報告書に こう記されていた
inaccessible ( 「インアクセサブル」 ・ 接近不可能 )

この当時、既に9カ国が南極に基地を建設していた
日本が与えられた場所、そこは氷が非常に厚く
南極の中でも難所中の難所と言われており
過去、アメリカ・イギリスなどが7回上陸を試みたが
氷に阻まれ、いずれも失敗に終わっている


国の威信をかけ ようやく動き出した一大プロジェクト
だが、その行く手には数々の難問が立ち塞がっていた

昭和30年11月、出発まで 1年を切った
永田は考え抜いていた
南極への2万kmは 命がけのものとなる

航路は途中、ケープタウン沖の暴風圏を通る
「船の墓場」 と言われていた

その先には 氷の海・南氷洋がたちはだかる
18-022
巨大な氷山との衝突事故が相次いでいた
氷の海に閉じ込められ 押しつぶされる捕鯨船も あとを絶たなかった

厚い氷にも耐えられる 丈夫な船が要る
しかし、船を造る 時間も費用もなかった

担当の海上保安庁は 全国の中古船を シラミツブシに当たった
18-023
ある日、メンバーが 大型の輸送船を見つけてきた
プロジェクトメンバーは実物を見に 港に向かった

海上保安庁の 高尾  一三 (たかお いちぞう)
18-024
その船を見て あ然とした

ボロボロの船だった
18-025
船の名は 「宗谷」
建造されて18年。 船体はさび付き 甲板は穴だらけだった

しかし、調べると 「宗谷」 は 数奇な運命をたどっていた
戦時中、海軍の物資輸送船として 南洋を回った
18-026
ほかの軍艦が次々と撃沈される中
「宗谷」 は空襲を受けても 急所を逃れた
魚雷に直撃されても不発弾だった
プロジェクトは 「宗谷」 の強運にかけようと思った

「宗谷」 の大改造を 一人の老設計技師に託した
18-027
牧野 茂 (まきの しげる)

メンバーは言った
「宗谷には 日本の未来がかかっています」

牧野は戦前、日本の命運をかけた船を設計した男だった
18-028
「戦艦大和」
世界最大の軍艦は 2700人の乗組員とともに 海の藻くずとなった

自分の設計技術を 今度は復興のために使える
牧野は 改造に没頭した

2ヶ月後、メンバーは目をみはった
船の舳先には 頑強な鋳鋼
横腹は 厚さ25mmの鋼鉄で覆った
見事な図面だった
しかし、出発まで すでに9カ月を切っていた
18-029

あまりの工期の短さに 大手の造船所は 皆 しり込みした
その時、横浜の小さな会社が 手を挙げた
18-030
「浅野ドック」
造船所ではなく、船専門の修理工場だった

技術部長・吉村啓次郎は職人たちを集めて言った
「お国の危機だ。どんな無理をしてでも間に合わせる」
前代未聞の突貫工事が始まった
大型機械はなく、職人の腕だけが頼りだった

<中略>

間もなく、永田は 南極観測隊 30人を率い 北海道網走に向かった
この地は 氷点下20度 強風が吹き付ける

副隊長の西堀を先頭に 装備の耐寒テストが始まった
18-031
装備の故障は 命取りになる

しかし、網走の強風の前に テントはあっけなく 吹き飛ばされた
18-032
発電機は オイルが固まり動かなくなった
無線機は すぐにバッテリーが上がった

この装備では 氷点下50度 100mのブリザードが吹き荒れる南極に
行けるはずもなかった

その頃、「宗谷」 にも とんでもないことが起きていた
改造を始めると 船体にゆがみが生じ、ついには 水が漏れ始めた
18-033
「宗谷」 は 信じられないオンボロ船だった

出向まであと3カ月
「宗谷」 の水漏れは続いていた
補修個所は数千にも上り、職人たちが徹夜で当たっても 追いつかない

浅野ドックの吉村は 横浜中に号令をかけた
「職人の心意気を見せるんだ」
たちまち 港横浜のあちこちから 職人たちが続々と集まってきた

<中略>

装備の調達に悩むプロジェクトに、ある日 協力したいという会社が現れた
「社長が張り切っているんです」 と 発電機を持ってきた
オイルが凍る心配のない 見事な風力発電機だった
18-035

その会社は 浜松から東京に出てきたばかりの オートバイメーカー。
社長の名は 本田 宗一郎 (ほんだ そういちろう)
18-036
金は一切 受け取らなかった


品川の小さな会社も来た
寒くてもバッテリーがもつ小型受信機を ただで造ってくれた
自社のラジオ技術を使ったものだという

会社の名は 東京通信工業。
18-037

率いていたのは 井深 大 (いぶか まさる) と 盛田 昭夫(もりた あきお)
18-038
後のソニーだった


南極の装備には最大の難問が残っていた
住居の問題だった
18-039
観測隊全員の命がかかっていた

最年少の隊員、日大建築学科の 平山 善吉 (ひらやま ぜんきち) は
建設会社を訪ね 頼み込んだ
「氷点下50度の 南極で耐えられる建物が必要なんです」

東京タワーを造った会社が 「やろう」 と言った
18-040
竹中工務店だった

<中略>

氷点下50度では 鉄はボロボロになり 釘は使えない
突風が吹き荒れる中、建設の素人の隊員に 柱は建てられない
18-041
(竹中工務店の)近藤たちは 柱の代わりに木製の壁パネルを組み合わせ
建物を造ろうと考えた

18-042
釘は使えない。 日本古来の木組みの技術を利用した。

場所は南極。 1㎜の隙間が命取りになる
3か月の間、開発に没頭した・・・。
省略箇所と続きは以下から動画にて ↓
プロジェクトX 挑戦者「運命の船『宗谷』発進」南極観測 日本人が集結した880日前編 


続き ↓
極寒南極越冬隊の奇跡 2~南極観測・11人の男たち 

いつ見ても素晴らしい番組ですね、また作ってくれないかな・・・

さて、ここまで見てきましたが、強大な海外の企業に太刀打ちするために、
日本人は再び力を合わせ立ち上がる時期に来ているのかも知れませんね(笑)

ちなみに、「宗谷」 については2014年現在でもお台場船の科学館で展示されており、
船内を見学できるそうです
お盆休みにでも行ってみたいですね!
(っていうか、行ってから記事にすればよかったですね・・・)

そうそう、新幹線の掃除に関わる秘密やその裏側などは以下の番組にて詳しく解説されていました↓

リアルスコープハイパー 新幹線 1/2 投稿者 fanfunful


リアルスコープハイパー 新幹線 2/2 投稿者 fanfunful


今回はアフマッドさんの番組 「改善」 より
新幹線の室内清掃作業を見た海外の反応 (主にサウジアラビア) を、
その中でもエジプトの方により 特に考察されていた 「日本人の団結力」 について
重点的に見てきました

海外コメントでも称賛されているように、掃除の方々の手際の良さも大変素晴らしく、
新幹線に乗る時はいつも汚さないように心がけたいものですね

しかし、日本人から見たら一斉にお祈りを始めるイスラムの光景こそ、
一種の連帯感を感じてしまうのは気のせいでしょうか?(笑)


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