これまで数々の日本ドラマが世界中で放映されてきましたが、
「おしん」 ほど世界中の視聴者から愛され続けている作品はありません。

おしんは80年代に制作されたNHKの連続テレビ小説です。
明治、大正、昭和と移り変わる激動の時代を生き抜いた女性・おしんの一生が描かれています。
幼くして奉公に出され、苦難に耐えながらも懸命に生き抜こうとするおしんの姿は
日本中の視聴者の涙を誘いました。

幼年期・青年期・老年期と主人公の年齢に応じて
三人の女優がおしんを演じ分けるキャスティング演出も話題になりました。

ちなみに、おしんの視聴率は日本テレビドラマの歴代最高視聴率でもあり、
いまだに破られていません。

おしんは海外での評価も非常に高い作品であり、
英語字幕付きのおしんを視聴したたくさんの外国人視聴者が絶賛のコメントを寄せています。

リアルタイムでおしんを見ていた視聴者の多くが、自分の幼き頃を思い出して懐かしんでいます。

動画


以下、この動画に対する海外の反応

■ おお、神よ!ついに英訳付きのおしんがアップロードされたのか!!  しかも画質も最高だね。 僕はこのシリーズが大好きなんだよ。20年以上も前にサウジアラビアで英語音声付きで見ていたものさ。 でもこれも同じくらいいい動画だね。 投稿者さんにお礼を言うよ。 +2 アメリカ

 ■ re:同意! サウジアラビア

■ マジかよ、youtubeでおしんを見られるなんて最高じゃん。 子供の頃よく見てたっけなぁ。 一話たりとも見逃さなかったさ! アメリカ


■ 子供の頃ジャマイカでよく見てましたよ! ああ、子供の頃の良き思い出がよみがえってきますね。:-) イギリス 

 ■ re:私もですよ。放送日は日曜でしたっけ?素晴らしかったですよね! アメリカ 

  ■ re:まったくですよw  あの頃は楽しかったなぁ。:-D イギリス 

■ おお、すげえ! これ15年前にインドで見てたよ…。昔も今も変わらず好きさ。 英訳付きの動画をアップロードしてくれてありがとう。  本当に子供の頃の思い出がよみがえってくるよ。 +3 インド 

■ このテレビドラマシリーズは20年前のイランではめちゃくちゃ大人気だったよ…。 あの頃はみんな見てたからね…。  世界各国で放映されてたなんて信じられないよ!!!!!  子供の頃の記憶が目の前に浮かんでくるなぁ…。 +43 アメリカ 

■ ヨーロッパのオランダで見てたよ。オランダ語の字幕付きDVDがあれば買いたかったんだよなぁ。 オランダ 

■ 90年代初めの頃、クウェートでこの番組を見てました…。 私の母がよく見ていてハマってました。 この作品は実に素晴らしくて、感動的で、美しくて、そして言葉で言い尽くせないくらい偉大です…。 本当に大好きですよ…。 全シリーズをyoutubeで見られるのですか? アメリカ 

■ 中国や英語圏のテレビ・コマーシャルビデオの中で英語の字幕が付いた感動的な作品があるでしょうか?  感謝の気持ちはやがて自分自身に返ってきます。 どうかおしんの人生が、この辛く残酷な世界で懸命に生き抜かなければならない私たちの励みになることを期待します。 インドネシア 

■ 私はこのシリーズが好きになった後、自分の娘に 「おしん」 と名付けたんだよ。 +4 インド 

■ 子供の頃、90年代にサウジアラビアのジッダで見てたよ。  何度も再放送してたのが忘れられないな。 アフガニスタン 

■ 90年代初期、僕がまだ10~11歳くらいの時にインドで見てて好きになったよ…。  この作品によって、日本人や日本の文化に対する僕の考え方が形作られた気がする。(もちろん、あの頃以来いろいろ体験してきたけどね。) インド 

■ どこで英語字幕付きのDVDシリーズを買えるのか教えてくれないか? アメリカ 

■ 動画をアップロードしてくださってありがとうございます。  おしんとは違いますが、「タチバナハニコ」 という人物の連続ドラマを見たことありますか?  彼女は学校に行きたかったのに父親が反対するんです。 カナダ 

■ おおおおおお、俺は心底このシリーズを見たかったんだよなああああ。  初めて見たのは10歳の時で、全国ネットの英語音声付バージョンだったよ。  今ではある程度日本のことも知ってるし、大人になってからもう一度見るとまた一味違う感じがするぜ…。  字幕を付けてくれて、本当になんてお礼を言ったらいいのか…。  ありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとうありがとう…。 アメリカ 

■ 当時スリランカじゃみんなおしんが大好きだったし大人気だったよ。 英語字幕付きでおしんを見られるなんて、めっっっっっっちゃ嬉しいな。 子供の頃見てたのを思い出すよ。 できたら英語字幕を付けて全話追加アップロードしてもらえませんか。 また見られるのを楽しみにしてます。 スリランカ 

■ ベトナムでは家政婦さんは 「おしん」 って呼ばれてるんだ。  ちょうどオートバイがホンダって呼ばれるようにね。 +6 ベトナム 

■ ベトナムでは 「おしん」 っていう言葉は辞書にも載ってるよ。:) +26 オーストラリア 

■ 小っちゃい頃ベトナムで家族と一緒に見てました…。  アフレコされた音声しかありませんでしたが、本当に好きでした! +2 アメリカ 

■ おしんはインドでもとても愛されていたよ…。  放送されてたのは90年代初期で、まだ子供だったからあまり多くのことは理解できなかったけど…、おしんという女の子がものすごく苦しみながら、それでも懸命に生き抜こうと頑張ってることは伝わってきたよ。 インド 

■ おしんじゃん!!!! 今オーストラリアに住んでるけど、チリに住んでた頃家族と一緒によく見てたよ。 やっと13年ぶりに観られるのかぁ。  本当にありがとう。 オーストラリア 

■ どうやったらダウンロード出来るの?誰か教えてください! ベトナム 

■ おしんシリーズの第2話がどうなったのか知ってる人いる?  投稿者のシリーズ動画が全部非公開になってやがる…。  昨日131本公開する予定だったのになぁ。  大丈夫だよなぁ。  以前sudeshsookdeoっていう別のyoutubeユーザーがおしんの翻訳版をアップロードしてたけど、こっちも全部削除されちまってるんだぜ!  多分、著作権のせいだな。 カナダ 

■ 考察:このシリーズの最高の箇所は、第二次世界大戦後の導入部分です。 これにより、古典的な連続ドラマの風情を醸し出しています。  物語の中心は、おしんがいかにして現在のおしんになっていったのか、そして彼女の復活(大根めしの経緯!!!)を説明する第二次世界大戦前の部分です。 第二次世界大戦後では、その代償や彼女の子供達への影響などが描かれています。 しかし最も重要な箇所は、第二次世界大戦終了前の部分です。 何よりもしっかり見届けてください。 …そして涙を拭くティッシュの用意もね。 アメリカ 

■ 子供の頃よく見てたなぁ…。  学校が終わったら着替えもしないでテレビの前に座っておしんを見てたっけ…。  母は叱るどころか私と一緒にテレビを見てました。  私にお菓子を与えるのを忘れるほど夢中になってね…。  NHKに感謝してます。 おしんは本当に美しい女性ですよ。 ネパール 

■ あぁ、私の母がこのシリーズを欠かさず見てたのを思い出すなぁ。 モロッコ 

■ 90年代にスリランカでよく見てたよ。  あまり覚えてないけど、オープニングテーマはものすごく懐かしいね!! +2 アメリカ 

■ 動画をアップロードしてくれてありがとう。  この作品探してたんだよなぁ。  昔の思い出がよみがえってくるよ。  本当にありがとう、同士。:)  もしこのシリーズを売ってるお店があったら是非買いたいね。 アルジェリア 

■ 素敵な思い出をありがとう。  子供の頃この素晴らしいシリーズをよく見てました。  あれ以来ずっと探してたんですよ。 サウジアラビア 

■ ついに見つけたぞ! おしんをアップロードしてくれてありがとう。  80年代にうちの家族は全話見てたさ。 俺は50年代に日本に行って、剣道をやったり日本語の読み書きを勉強したりしてたくさんの日本文化を学んだんだよ。  アメリカのテレビでおしんが再び放送されるのを楽しみにしてるよ。 近い将来、公共放送サービスがおしんの全シリーズを放送ラインアップの中に加えてくれると嬉しいな。 苦難や責任感だけでなく、自己犠牲や決意の素晴らしさもたくさん学べるからね。 アメリカ 

■ ポーランドではみんな見てたよ。 ポーランド 

■ このテレビシリーズはエジプトではすごく人気が高かったよ。 エジプト 

■ 私はスリランカ出身ですが、子供の頃このドラマを見るのが大好きでした。  でもストーリーまではよく思い出せません。  だからまた見られてとても嬉しいです。:) +13 スリランカ 

■ ガーナで母親と一緒によくこのドラマを見てました!!  この番組大好きです!! +2 アメリカ 

■ この作品は日本が世界に贈った最高のプレゼントですよ。  スリランカよりNHKに感謝の意を表します。 +27 スリランカ 
(ここまでプロのお仕事)


<ここから補足>

上記 海外コメントでも言われているように、「おしん」 は海外でも大反響を呼んだ作品でした。
日本における地上波での放送は 
1983年(昭和58年)4月4日から1984年(昭和59年)3月31日まで
全297回 にわたる大作となっていて、平均視聴率52.6%、最高視聴率は驚異の62.9%を記録し、
その後も世界各国で放送されるほどの人気作品となりました

今回は海外の反応から見る当時の事情と、
各国でどのような反響があったのか、少しだけご紹介してみたいと思います。

まず、海外での知名度を見てみましょう。
2012年の統計では日本を含む69の国と地域で放送された 「おしん」
その中には憲法で民間の放送が禁じられている国も含みます

以下、放送した国々のリスト

1.日本 1983
2.シンガポール 1984
3.タイ王国(タイ) 1984
4.アメリカ 1984
5.オーストラリア 1984
6.中国 1985
7.ポーランド 1985
8.香港 1985
9.マカオ 1985
10.ブラジル 1985
11.ベルギー 1985
12.カナダ 1985
13.マレーシア 1986
14.インドネシア 1986
15.イラン 1986
16.スリランカ 1987
17.サウジアラビア 1987
18.ブルネイ 1988
19.メキシコ 1988
20.カタール 1988
21.バーレーン 1989
22.シリア 1990
23.フィリピン 1990
24.ドミニカ 1990
25.バングラディッシュ 1990
26.ペルー 1990
27.パキスタン 1991
28.ボリビア 1991
29.パナマ 1991
30.ネパール 1992
31.グアテマラ 1992
32.ニカラグア 1992
33.エジプト 1992
34.インド 1992
35.ルーマニア 1993
36.チリ 1993
37.ウルグアイ 1993
38.ジャマイカ 1993
39.ガーナ 1993
40.ホンジュラス 1993
41.キューバ 1993
42.ベトナム 1994
43.台湾 1994
44.ミャンマー 1995
45.パラグアイ 1995
46.ラオス 1995
47.モンゴル 1995
48.カンボジア 1996
(長くなるので以下21の国と地域の放送年は省略させていただきます、ごめんなさい)
コスタリカ・スーダン・トルコ・ブルガリア・マケドニア・エチオピア・ベネズエラ・アルゼンチン・コロンビア・タンザニア・ウズベキスタン・アフガニスタン・ブータン・ガボン・タジキスタン・イエメン・エクアドル・トリニダードトバコ・コートジボアール・アラブ首長国連邦・エリトリア

中でも台湾では大人気のようで、1994年に放送されて以来、
2008年の時点でなんと27回目の再放送とか・・・。
欧陽菲菲が歌うエンディング曲感恩的心は台湾の三大老舗テレビ局の一つである
中国電視公司(ちゅうごくでんしこうし)の放送休止時間中に流されるなど
台湾国民に広く親しまれています


そんなおしんは中国でも国のトップが言及するほど大人気
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1984年に「阿信」(アーシン)として放送され、
北京での視聴率は驚きの75.9%を記録 
その後、何度も再放送されました

映画版おしんは2013年9月、
中国最大の映画祭 「金鶏百花映画祭」(中国版アカデミー賞とも言われます)」
国際映画部門で最優秀作品賞を受賞し、
ドラマ版のほうは初回放送から20年以上経っているにも関わらず再放送されています
 
中国では現在もおしんが人気と言うと、
「あれ?中国には一時期人気が高かった数々の抗日ドラマがあったはず」
と、そちらの視聴率も気になるところですが
最近では急速に飽きられつつあり、作られる作品の75%が視聴率0.5%割れとのことです
大丈夫か中国・・・
国営の中国中央テレビ(CCTV)傘下のメディアリサーチ会社、索福瑞媒介研究公司(CSM)がデータを明らかにした。2013年度にテレビ放映された国産ドラマのうち、75%の作品の平均視聴率が合格ラインとされる0.5%に届かなかった。各衛星放送局のデータによると、平均視聴率が1%を超えたのは全体の5.8%、同2%を超えたのはわずかに2%だった。引用元
ちなみに、世界各地で放映されたおしんですが、中国だけでも2億人以上が観たと言われています


多くの国々で高い視聴率を記録し、感動の渦に巻き込み、
日本と言えば 「おしん」 と言われるほど人々の心に残ったもの、
それがこの作品でした

おしんの英語版wikipedia(かなりのボリュームがあります)

それでは、各国における 「おしんの影響」 を見てゆきましょう。



<ネパールにおけるおしん>
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ネパールでは1963年に憲法により廃止されるまでカースト制度が続いてきました
廃止されたとはいえ、100年間以上にわたり続いていたためその名残りは強く、
現在でも上級カースト層と下級カースト層との格差が著しいという現状があります

極端な貧富の差や腐敗政治で必要なところにお金が回らないなど、
国家としての成長を妨げる要因が多いネパールは
現在も非常に貧しい国の一つに数えられています


これを指標のひとつ、国民一人当たりの購買力平価GDPで見てみると
ネパールでおしんが放送された当時は883.67USドル、
世界186カ国中146位
(日本は2,597.52USドル、当時世界19位)
世界の購買力平価GDP(USドル)ランキング(過去: 1992年)

2013年度におけるネパール国民の一人当たり購買力平価GDPは
2,245.37USドルとなっており、
世界186カ国中158位とアフリカ諸国なみの低水準です
(日本は36,653.92USドル、世界27位)

世界の購買力平価GDP(USドル)ランキング(2013年)

ネパールの人々の平均年収はおよそ3万6千円と言われます

そんなネパールを支えている国民ですが、
働けど暮らしが楽にならない背景もあり、今なお おしんに共感する人々も多いそうです
2010年には,30万人弱が東南アジアや湾岸諸国に送られ,建設,工場,家事などで働いている。ネパールGNPの20%が彼らの送金。

ネパール人労働者は,派遣業者に徹底的に搾取され,
現地では「家畜よりも安上がり」と言って重宝されている。

たとえば,借金して派遣会社に4900ドル払い,
キプロスのパン屋で月給680ドルの約束が,実際には200ドル。

あるいは,19~21時間労働だったり,
家族外出時には台所に閉じこめられたりといった事例も報告されている。
金が無く,派遣会社などから借りると,利子60%だそうだ。

これでは債務奴隷になるのは当たり前。
ネパールの特権階級は,こんな海外送金の上前をはね,贅沢三昧をしているのだ。
引用元:ネパール評論 Nepal Review  搾取・虐待される出稼ぎ労働者
農村部では特に貧しく、小さな頃から働かざるを得ないため
女性の識字率が約44%と低く、発展の妨げとなっています
ネパールでは今もなお、「ネパール版 おしん」 がたくさん存在することになります


ちなみに ネパールと同様、カースト制度の名残りが根強く残るインドでも
やはりおしんが大人気で、HOTEL OSHIN(おしんホテル)なる安宿もあります

その場所は偉大な 「マハトマ・ガンジー・ロード」 のすぐそばです
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注:写真左側に見えるものはトイレではなくモダンな椅子です(笑)

場所:Oshin Hotel




<ベトナムにおけるおしん>
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ベトナムでは1994年にホーチミン市テレビ局(HTV)によって初めて放送されました
ホーチミン市テレビ局(HTV)はベトナムでは国営ベトナムテレビ (VTV)に次いで
2番目に大きなテレビ局ネットです

さらに日越友好年(日越国交樹立40周年)である2013年、
日越国交樹立40周年を記念してHTV3で再放送されました


結婚しても仕事を続ける女性が多いベトナムでは、
育児や家事専門のお手伝いさん(ホームヘルパー)が広く普及しています
現在も家政婦や住み込みのお手伝いさんを表す代名詞として 「おしん」 が広く使われているそうです

(海外コメントにもあったバイクの一般名詞について
 「ホンダ」 または 「セー・ホンダxe Honda」 と言えばバイクの事であり、
ベトナムでは現在でもバイクの6割を占めるなど、良質なバイクが欲しいならホンダ一択とのこと)

ベトナム公用語吹き替え版おしん
Phim Truyện Nhật Bản: OShin - Tập 1 (Lồng Tiếng)

ちなみに、ベトナムには 「Ăn cơm tau , ở nha Tay , lấy vợ Nhật」 という言葉があるそうです。
意味は中華料理を食べ、西洋の家に住み、日本人の嫁を貰うのが理想的というもの。

wikipediaによれば、「ベトナムは古来から、中国文化の影響を強く受けてきたため、
ベトナム料理にも中華料理の影響が色濃く現れている」 とのことですが、
日本人嫁については 「おしん」 の影響が強そうですね(笑)



<インドネシアにおけるおしん>
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インドネシアでは1986年に初回放送され、
2008年にも多くの方(全体の76.5%)がイスラム教であり、
アジア最大のイスラム教徒を抱える国です
そのため、断食月(ラマダーン)を定めており、
自らの意思とはいえ、食べられないつらさは良く理解できるとの声もありました

また、おしんだけでなく、インドネシアは日本に対して好意的と言われます
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出典:アジア 10ヶ国の親日度調査(pdf)

最近では日本企業のインドネシア進出が増えたことにより
流入する日本人関係者が増加していることも関係しているようです
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出典:最新「海外進出先ランキング」トップ50

日本企業のインドネシア進出は1960年代から本格化するなど、ずいぶん昔から行われていましたが、
日本とインドネシア両国の関係を深めたのはインドネシア独立に尽力した元日本兵たちでした
インドネシアの独立達成後、1958年1月20日に日本とインドネシアの平和条約、賠償協定が締結され、1960年代に日本企業のインドネシア進出が本格化する頃、両国間の橋渡しの役割を果たしたのは、これらの元日本兵たちであった。引用元

独立戦争には、スカルノやハッタらインドネシアの民族独立主義者の理念に共感し、軍籍を離脱した一部の日本人3,000人(軍人と軍属)も加わって最前列に立って戦い、その結果1,000人が命を落とした。

インドネシア独立戦争と日本軍


 スカルノより贈られた青松寺にある碑
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おしんのwikipediaには
インドネシアでは夕食が準備されている間にシリーズが放送されていたため、
インドネシアの放送局には視聴者からの抗議が殺到した。
とあります

これは、インドネシアでは元々、食事をしながらテレビを観たり音楽を聴いたりする習慣がないようで
それぞれ別々に行うのが一般的だったからだそうです

テレビを楽しみながらの食事が当たり前となっている現在の日本でも
昔は食事中に見ると怒られる家庭が多かったように、
生活が多様化しているインドネシアでも現在はどうか分かりませんが。

ちなみに、インドネシアで 「おしん」 が放送される時間になると、
親たちは 「おしん」 が 子どもながらに頑張る姿を我が子に教え込もうと、
放送が始まるとテレビの前に息子や娘を呼び寄せ、真剣に見るように説いていたといいます


現役の祈祷師が存在するなど土着の宗教も根付いているインドネシアでは
土地ごとに様々な迷信が信じられており、
大根は体を冷やすと信じ一生口にしない人もいるそうです
その場合、おしんで登場する有名な 「大根めし」 についても食べられませんね(笑)



<イランにおけるおしん>
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イランでは一家団らんの最も強まる日曜日の夜9時から、
おしんのペルシャ語吹き替え版がイラン国営放送で放送されました
イラン国営テレビでの放映が最高視聴率90%超を記録する爆発的人気となり、
長きに亘り『Oshin(ウーシン)』は日本を表す代名詞となった。
ちなみに、イランやカナダでも、「おしんのために使ってくれ」 といって
放送局にお金やお米が届けられる事態が続出しました(笑)

あるアンケートでは尊敬する人物としてイラン革命の指導者であるホメイニ師すら凌ぎ、
おしんが1位を獲得するなどということさえありました。

これほどまでに人気になった理由は、
やはりイラン国民が苦しい時期にあり共感できたことなどが大きいようです

「おしん」がイランに与えた多大なる影響【やりすぎ都市伝説】

信じるか信じないかはあなた次第、と題して上記動画にて
イラン出身のお笑い芸人(デスぺラード)のエマミ・シュン・サラミさんが語る当時のようすを
以下に要約しました
イランで日本のドラマが大ブレイクした時がある
それは今から30年前の1983年に1年間放送されていた 「おしん」 だった
ストーリーは明治時代、貧しい出身だったおしんが奉公に出され、
奉公先でいじめや困難に耐えながらたくましく成長してゆく、といったもの

当時、日本でも大人気で国民の半分が観ていた計算になる
日本で放送した少し後にイランでも放送されたが、
その時の人気が本当にすごくて、最高視聴率は90%

当時、戦争真っ只中だったけど、おしんが放送されたら戦場の兵士ですら
銃を置いてリモコンに持ち替えたという (これはおそらくジョーク)

そんなイランでは当時、大統領選挙を控えていて、
ある報道番組が大統領に相応しい人物は誰か、世論調査を行った
その時はイスラムの最高権力者とか政治家の名前がバーっと入っていたのだが、
なんと6位に 「おしん」 がランクイン

女性の権利が制限されるイスラムの国イランで
おしんが大統領候補に並ぶのは
イランの倫理が崩壊しかねないほどの とんでもないこと。

これに危機感を持ったイラン政府はおしんの放送中止を発表
視聴率90%のドラマなので国民はこれに大激怒
暴動やデモに発展、「おしんクーデター」 のようなものが発生
おしん人気が国家権力を屈服させた、それくらい人気があった

結果としておしんの放送は続行され、
発表した大臣は辞任に追い込まれてしまった

イランの農村部の貧しい女の子は識字率が低い
(幼くして働かざるを得ないから) 読み書きができない
そういう子供たちに無料で勉強を教える 「おしんスクール」 とかも作られたりして
教育面でも向上した、というお話
イランではありませんが、インドのおしんスクールでは、
我が子に特別な教育を施したいインドの富裕層に人気のようです
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出典:OSHIN International School
場所
(こちらもマハトマ・ガンジー・ロードのそばですね。
日本で言うところの 「日の出通り」 のようなものでしょうか)


イランでの反響について、yahooニュース(記事消滅済み)では以下のように考察されていました
イランで、NHKの連続テレビ小説「おしん」(1983~84年)が再放送され、
国民がテレビにかじりついている。


イラン・イラク戦争(1980~88年)時にも放送され、最高視聴率約90%を獲得。

イラン国営テレビによると、その後再放送はなかったが、
同テレビ系タマシャ・チャンネルが5月、毎晩午後10時の再放送を始め、
ブームに再び火がついた。

イランでは現在、視聴率の定期調査はないが、同チャンネルの6月末の視聴者調査では、
「おしん」を好きな番組と答えた人は58%でトップ。

最近まで同時間帯に80年代の「おしん」人気の背景は、
主人公の辛苦が戦時中のイラン人と重なったことがある。

国営テレビ関係者は再ブームについて「米欧の経済制裁で国民(の気分)は沈んでいる。
戦争時と似たような状況が理由では」と指摘した。
おしんだけでなく、イランでは数多くの日本のアニメなどが放送されてきました
以下のサイトにて1970~1980年代頃までイランにて放送されたアニメ作品リストが掲載されています
002
出典:http://www.imdb.com/list/ls002958731/


その後も、日本とイランのつながりは深まってゆくのですが、
アニメやおしんなどの大衆文化の影響だけでなく、
日本のODAや自衛隊の身を挺した活動も外せません

イランから招待された海上自衛隊 ~ ペルシャ湾の掃海部隊

上記サイトさまより引用
 平成2年(1990年)の湾岸戦争後、日本海上自衛隊は掃海部隊を派遣し、残された機雷を処理しています。自衛隊員たちは過酷な環境下で危険な作業を行いました。ペルシャ湾は日本では経験できない40度の高温であり、晴天で太陽が真上に来るころには50度になります。イラクは油田に火をつけましたから、その煤煙もひどいもので、鼻を突く悪臭とともに黒い雨が降ってきました。また、陸地に近いところではたちの悪い蚊やハエが大挙して船を襲ってきて、噛まれると半月は傷が直らなかったといいます。

掃海部隊はMDA-7と呼ばれる海域で掃海を行いましたが、ヨーロッパ勢は平成3年7月終わりごろに引き揚げてしまいました。日本はアメリカと共同で引き続き過酷な環境下でMDA-10と呼ばれる海域を掃海することになります。この海域にはイランの海域が含まれており、外交上難しいものがありました。イランとアメリカは国交が正常化されていません。また、この海域にはイタリア製の沈底式感応機雷 「マンタ」 があり、これがやっかいでした。

日本は外交努力をしてイランと交渉し、イランの士官2名を連絡士官として掃海母艦 「はやせ」 に乗せることで同意を取り付けることに成功しました。「はやせ」 にはアメリカの連絡士官が乗っていましたから、「はやせ」 上にアメリカとイランという敵国同士の軍人が顔をあわせることになったのです。これは随分と懸念されましたが、アメリカの連絡士官ストーフ大尉があっけらかんとした態度で積極的にイラン士官と軟らかく会話したおかげで何事もなく無事に事が進みました。

そしてイランは日本掃海部隊をバンダル・アッバーズ港へ寄港要請してくれたのです。
「イラン国民とイラン海軍は、日本海軍掃海部隊のイラン訪問を国を挙げて歓迎する」

ホルムズ海峡ではイラン海軍がエスコートの艦を派遣し、港に近づくともう1隻が加わるという厚遇ぶりでした。8月22日には大勢のイラン海軍関係者、イラン日本大使館公使、在留日本人会代表、駐在武官、バーレーンの防衛庁部員に迎えられました。

イランでは海軍の各施設見学や交歓会が行われ、古都シラーズの史跡観光が実施されました。
シラーズで飛行機から降りた掃海隊員は赤い絨毯が敷かれ州知事が出迎えるという国賓並の待遇でした。

イラン人は日本人にかなり好意を持っていました。日本で昭和58年(1983年)に「おしん」というテレビドラマがヒットしましたが、これがイランで大人気となり、上陸した隊員たちが街を歩いていると 「おしん」 「おしん」 と指差さされました。

また、イラン・イラク戦争のときイランはペルシャ湾を航行する外国船舶に攻撃を仕掛けましたが、日本の船には攻撃しなかったといいます。

イランの教科書に日本について次のように書かれているといいます。

「日本は大国ロシアと戦い、東郷元帥の率いる日本艦隊はロシアのバルチック艦隊を壊滅させた。また、第二次世界大戦では連合国に負けて焦土と化した国土を立派に復興させ、世界第二位の経済大国に発展させた。イランも日本人を見習い、国土の発展に尽くさなければならない」
こうした輪は民間にも広がりを見せ、
2011年に起きた東日本大震災では、イラン人ボランティアの方々からの支援もありました
イラン人ボランティアら、被災者にケバブ3000食振る舞う
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東日本大震災の被災者約16万人が依然として避難所生活を送る中、炊き出しなどの支援を行うボランティアらの活動が活発化。外国人ボランティアも積極的に支援参加している。岩手県釜石市では、東京在住のイラン人ボランティアら約30人が中東などで食される肉料理ケバブを用意。ケバブ約3000食に加え、チキンスープが振る舞われた


<エジプトにおけるおしん>
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エジプトのカイロでは、『おしん』放映時間に停電が発生、放送を観られないことに怒った視聴者が電力会社やテレビ局に大挙押し掛け、投石や放火等の暴動を起こすという事件があった。その後、政府が該当話の再放送を約束する声明を出し、事態はようやく収束した。
・・・どこの世紀末ですかそれは(笑)
エジプトでも日本人というだけで男性でも 「おしん」 と呼ばれる事がよくあるそうです

次に紹介するイラクで放送された英語版おしんにはアラビア文字の字幕が付いていたのですが
それを付けるのに協力してくれたのが実はこのエジプト国営放送だったりします



<イラクにおけるおしん>
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湾岸戦争後、荒廃したイラクに対する復興支援の一環として、日本政府はアニメ 「キャプテン翼」 と 「おしん」 の全放映権(VTR)を無償提供した。これはイラクの放送局および国民から、水道などのインフラ復興提供と同等ないしはそれ以上に熱狂をもって感謝されることとなった。
かつて独裁を強めるフセイン政権下において、イラクでは様々な情報統制が強く布かれており
国営放送により3チャンネルを放送しているに過ぎず、
しかもすべてにおいてフセインの演説のための道具と化していました

そのため 「テレビを見たければ、画面にフセインの肖像写真を貼り付けておけばよい」
というジョークもあったほどです

地上波以外はどうなのでしょう?
衛星放送の受信は国という枠を飛び越えて様々な情報が手に入ります

となると当時、これらが禁止されていたのはもちろん、
受信セットを所持しているだけで6か月以上投獄され、
約6万円の罰金が課せられた上、機材は没収されました。

そんな時世でしたから、携帯電話も 当然禁止
所持しているだけで投獄という厳しいものでした

このように、イラク国内では世界情勢が何一つ手に入らない当時、
隠れてパラボラを設置している家も存在しましたが、
これを摘発するために政府による治安部隊が投入され、
ヘリコプターで上空から定期的に巡回まで行われていたといいます。

さらに、衛星放送視聴者を密告した者には、報奨金まで払われていましたから、
徹底的に情報統制が布かれていたことになります


そして、フセイン政権が崩壊した直後のこと
連合軍暫定当局(CPA)は放送局 「IMN(イラク・メディア・ネットワーク)」 を直接管轄下に置き、
新生イラクTVとして放送を開始しました

しかし、今までフセインの都合だけを放送してきたTV局が急に連合側の情報を伝えるようになると
このTV局はアメリカ側の宣伝局と見なされ、
また、情報統制が解けた結果、衛星放送の視聴者が爆発的に増えたことも重なって、
多くのイラク人は見ようとすらしなかった、とされます

しかし、治安状況が悪化し雇用も激減していた当時のイラクで
衛星放送を観るためのアンテナや設備は高価なものであり、
観る事のできる人も限られていました

また、放送局が爆撃され使える機材もあまり残されていませんでしたから、
放送局側でもコンテンツが足りず頭を悩ませていました
20030619a
爆撃された国営放送局(外務省HPより)

このように娯楽もままならない中、お金の無い人々でも
地上波を見られれば まだ幸せなほうだったのです
おしんがイラクで放送されたのはそんな時でした

「おしん」でイラク支援 「逆境に負けぬ姿、励ましに」 (asahi.com 2003.10.22の記事)


絶望感が蔓延し、先行きの見えない不安な生活を送る人々・・・

生活品・文化財などの略奪や暴動が多発し、
それを実際に現地で目の当たりにし、
復興には何よりも国民に元気が必要だ、そう考えた日本人がいました


これは、イラクでおしんが放送されるまでに奔走した ある外交官のお話です
(上記自衛官→外交官へ修正させていただきました、ご指摘ありがとうございます!)

その男の名は 奥 克彦(おく かつひこ)
1990年8月より、在イラン大使館二等書記官として勤務し、
2003年4月、アメリカがイラクの人道支援を決定した直後より
イラクに長期滞在し、日本のイラク復興支援の先頭に立って活動しました。

他の国の治安部隊やイラクの一般市民にも死傷者が出たり、
わが身が危険に晒されるのはもちろんのこと、
水が貴重なため十分なシャワーすら浴びられない中、
イラクの治安維持任務を長年にわたり続けていました


 奥克彦さんが日々書き留めていたイラク便りから、
イラクに対する彼の想いが滲み出て見えます

イラク便り(外務省) ~おしん!おしん!おしん!~ より
在英国大使館 奥参事官
(CPAを通じた人的協力に参画中)

 NHKの人気番組「おしん」が日本で初めて放映されたのはかれこれ20年近く前のことでしょうか。私がかつて湾岸戦争当時に勤務したイランでも、既にペルシャ語の字幕がついた「おしん」が放映されていて、日本人だとみると、どこへ行っても、「おしん、おしん」と声をかけられたものです。戦後の混乱期から我慢に我慢を重ねて立ち上がっていく姿がイラクとの戦争で疲弊した自分たちの姿と二重写しになって共感を呼んだのでしょう。また、その後エジプトでもアラビア語の字幕入りのものが放映されて大人気を博しました。 

 そんなこともあって、戦後のイラクで是非「おしん」を放映して欲しい、そうすれば必ずイラク人の共感を得ることが出来る、と考えていました。 

 CPAが資金援助して放映している、イラク・メディア・ネットワーク(IMN:Iraqi Media Network)という放送局があります。イラクの国営TV局は戦争中の爆撃で機能停止したために、国際会議場3階のスタジオでビデオ収録して、バグダッド郊外に設置された放送塔から電波に乗せられています。このIMNに頼んで、何とか放映してもらえないだろうかと願っていたのです。幸い、IMNの顧問をやっている米国人のボブ・ティーズデールさんが、米陸軍の関係で韓国に長年滞在し、その間、日本にも何度もやってきた縁で日本のこと、「おしん」のことに理解があり、二つ返事で引き受けてくれました。 

 さて、イラク側が放映するといっても、著作権の問題、ヴィデオ・テープを複製する問題、とクリアにしなければいけない問題が沢山あります。IMNはコマーシャルなしの放送局ですので、日本側がヴィデオ作成等の費用を負担する必要があります。 

 国際交流基金の協力を得て、これらの問題を乗り越えて、漸く、ラマダンに合わせて放映するところまでこぎ着けました。 

 イラクでは娯楽が殆どありませんから、TVの人気は絶大です。ただ、衛視TVに人気があり、IMNは押され気味です。ラマダン中の最大の楽しみは家族揃って食事をとり、TVを見ることです。「おしん」は午後10時半から2話連続で毎日放映されています。人気も徐々に出てきているようです。私も、バスラでもサマーワでも放映されているのを見ました。私たちが街を歩くたびに「おしん、おしん」、と声がかかれば、皆が見ている証拠です。そんな日が近い将来やってくるものと思います。 

平成15年11月11日(火)

イラクで放映中の「おしん」の一こま。
イラクで放映中の「おしん」の一こま。
長年、イラク復興に尽くした 奥克彦さんでしたが、
何者かによって銃撃され、
2人の同乗者とともに命を落とします

生前から
「リスクを覚悟してやらんといかんことがある。10年先、20年先にイラクの子どもたちが、
日本ありがとうと言ってくれる」

と、語っていた奥克彦さん。

しかし、日本に妻と子ども3人を残しての勤務中での出来事、
あまりにも突然すぎる不幸でした

そんな彼が綴ったイラク便りの最後の記事では、
家族との再会を心待ちにするアメリカ軍の心境を語っています

~感謝祭とラマダン明けの休み~ より
 イラクはすっかり冬の装いで、あれほど暑かった夏が嘘のように思われます。
昨日、今日と夜半にかなりの量の雨も降りました。
日中の気温は20度に至らない日々がバグダッドでも続いています。
 
 今年の2月からイラクでの軍事行動に参画してきた米陸軍第82空挺団の本拠地(スンニ三角地帯の一角ラマーディ)でも、サンクスギビングを祝って、七面鳥とグレイヴィーソース、パンプキン・パイを初めとする特別の料理が用意されていました。
 
 82空挺団の面々も来年3月までには故郷に帰る目処が付いたようで、「あと少しの辛抱で家族に会える。」と皆、遠く離れた家族を思って感謝祭の夜を過ごしていました。
 もうじき帰国する米軍に自身と家族の姿を重ねて見ていたのでしょうか?
奥克彦さんは仕事にも真摯に取り組み、上司からも部下からも信頼されていたといいます
<イラン大使館に骨のある外交官がいる>

オール早稲田で遠征したときは決まってお世話してもらいました。
アフターファンクションの挨拶を通訳する流暢な英語。
きちんとメモを取りながら正確に、そして格調高かった。

また当方がテヘラン駐在時代に 「イラン大使館に骨のある外交官がいた」 と
昔話をする会社の上司の話を紐解くと偶然それが奥克彦さんであり、
誇らしい気持ちになったものです。

憧れの先輩。安らかにお眠り下さい。


<夏合宿中も、英会話の勉強をしていた>

食う、寝る、走る、の繰り返しの菅平。
皆がひたすら眠る中で、1年生・奥克彦は部屋の隅でイヤホンをあて、英会話と格闘していました。「外交官になりたいのです」。照れながらも彼はハッキリと答えました。

昨年、オックスフォード大とのパーティで司会を務める奥に、
英語、上手くなったな~」と茶化すと、
「西岡(オックスフォード大在学中)の方が上手いですよ!」と真顔で答えました。

どこまでも、どこまでも謙虚な男でした。

1624
 奥克彦さんを偲んで(早稲田大ラグビー部)より引用

2004年1月、この 「イラク便り」 は本として出版されましたが、
015jpg
印税は遺族の意向によりイラク復興支援事業に寄付されたそうです。



イラクではこのように、
おしんを通じて日本人女性を好意的に捉えた方が多いだけでなく、
その後における日本政府からのODAや自衛隊の人道復興支援活動などもあり、
親日家も多いと言われています

国内では放送されない自衛隊の活動


イラクで放映された陸上自衛隊CM 1 القوات اليابانية التي ساعدت العراق



イラク戦争直前に閉鎖されたイラクの日本大使館
これを命がけで守ってくれたイラク住民の方々もいます
国旗の重み~命懸けで日の丸を守ってくれた外国人~


以下、この動画の書き起こし
命懸けで日の丸を守ってくれた 外国人の話

イラク戦争開戦前の 3月15日から閉鎖されていた
バグダッドの日本大使館。

業務再開に向け、
日本人の大使館関係者は 4月29日、
被害状況の調査を始めた。

4月28日午後、外務省の調査団
(団長・相星孝一中東二課長)
の一行が現地入りした。

しかし、近くのルーマニア大使館で
館内のほとんどすべてのものが 盗まれていたのに対し、
日本大使館は驚くほど 被害が少なかった。

激しい戦闘や略奪が 繰り返される中、
必死に大使館を守ってきたのは、
近くに住むイラク人家族だった・・・


日本人スタッフが国外退避し、
大使館業務を停止した後、
14人のイラク人スタッフが 情報収集や 警備を続けていた。

しかし、市街戦などが相次ぎ、
バグダッド陥落の前後は、
現地スタッフさえ 出勤できなくなっていた。

大使館は、空爆による 大きな被害は受けなかったが、
多くの盗賊たちに狙われた。

「裕福な日本の大使館なら、  
 宝物があると誰でも思うさ」

と、イラク人の警備担当者は話す。


そんな中で、大使館を守ったのは、
向かいに住む元公務員
ムナアサル・アルオブーディさん(45) の一家だ。

バグダッドが陥落した翌日の4月10日、 一家6人は協力して、
大使館内に掲げられていた 日の丸を下ろし、 看板をはずした。
外交官ナンバーの乗用車は 自宅の庭に隠した。

「日本大使館だと分かれば、
 盗賊たちに狙われると思ったから、
 自主的にやったんだ。」

ムナアサルさん一家の 善意に基づいた行動は
それに留まりませんでした。

盗賊たちは、 何度も姿を見せたという・・・
そのたびにムナアサルさんと 長男のハイダルさん(22)は、
カラシニコフ小銃を携えて 自宅2階に駆け上がり、戦った。

「撃ち返されたこともあったが、
 大使館を守るために必死だった」

「国旗はどの国の国民にとっても
 1番大切なものだろう?燃えたり奪われたりしたら、
 みんなが悲しむと思って」

ムナアサルさんはそう話し、
ほこりと油煙ですすけた日の丸を
大事そうに広げてみせた・・・
016jpg
ムナアサルさんの近所には
日本大使館員らも住んでおり、
ジョークを言い合う仲だったそうです。

「私は15年間もここに住んでいる。
 大使館は大切な隣人。
 隣人を守るのはイラク人の務めだ」

と誇らしげに語り、

「我が家は日本人が大好きなんだ。
 みんなやさしいからね」

とムナアサルさんはほほえんだ。
現在でもイスラム国関連の話題などが絶えないイラク国内ですが
イラクの復興に尽くした故・奥克彦さんのご冥福を心からお祈りするとともに、
彼の願い通り、少しでも早い復興を願うばかりです


かくして、イランやイラクでも大反響を呼んだおしんは、
世界中でも多くの人々に影響を与えました

ジャマイカでは、おしんブームが到来し、
男女に限らず、名前に 「おしん」 とつけるのが流行しましたが、
実は、ジャマイカだけでなくエジプトなど、
世界中で子供に 「おしん」 と名付けるのが流行りました

他のおしん動画での海外コメントにもあるように、
海外では 「日本 = おしん」 とも言われるほど、知名度は高いそうです。

長らく世界2位の経済力を誇った日本は世界中から憧れの対象でした。
それは、諸外国のように資源や旧植民地の利権などに頼ることなく
日本人がおしんのように努力し、苦しい時代を乗り越え
自らの力で立ち上がったという事を各国の人々が知っていたからです

「頑張れば自分たちにも、きっとできる」
おしんは世界の人々を励ましました

日本という国には戦前から長い歴史に裏打ちされた確かな底力がありましたが、
現在のような経済大国として知られるようになったのはつい最近のこと。

戦後、日本は何の犠牲も払わずに楽して復興したわけではなく、
そこには先人の大変な努力がありました
おしんのように、彼らは血の滲むような努力を継続し、
これほどまでに豊かな日本を築きあげました

海外の視聴者の方々は、大きな経済力を持つ日本にもかつて貧乏な時期があったこと、
それを人々が辛抱し、おしんのように諦めず努力することで
克服したところに大変共感するのだと言います



今回は、海外でも大反響を呼んだ
NHK連続テレビ小説 「おしん」 に対する海外の反応をお届けいたしました

物語の中のおしんは、人としての大切さをこれからも説き続けてゆくのでしょうか?
海外の方はこの作品から大切なものを学んだようですが、
発信国である私たちも負けてはいられませんね(笑)

ちなみにこの動画、youtubeでのカテゴリは、と言うと・・・ 「教育」 にて登録されていました、
やっぱり・・・(笑)



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外国の方にとって、日本語は難しいのですね・・・。


毎回更新遅くてごめんなさい!m(_ _)m