日が伸びてきたとはいえ、まだまだ寒い日が続きますね!

さて、前回は日本の鉄道を見た海外の反応の中から、
主にネパールとインドにおける鉄道事情などをご紹介させていただきましたが、
今回はその後編として鉄道発祥の地、
イギリスなどの海外反応を見てゆきたいと思います。

前回の記事 ↓
日本の鉄道網は素晴らしい・・・日本の鉄道を見た海外の反応(前編)

海外反応のコメント元動画はこちら ↓
Travel in Japan: A look at the Japanese Railway

 

以下、この動画に対する海外の反応 (前回の続き)


■ 素晴らしい動画だ!私は2006年に日本に行って鉄道を利用したんだけど、とても素晴らしくて、携帯電話を用いたアイデアはとても良いものだったよ。 イギリス


■ 誰だよ、イギリスがIC切符の最初の導入国だって言ったのは。 日本やほかの多くのアジア諸国 (香港、シンガポール、韓国) はこの領域で既に先んじてるよ。 今や、自動販売機や、ファーストフード店、コンビニなどでも使えるんだから。 そして、日本の鉄道はイギリスの鉄道よりはるかに速く、目的地まであっという間に着くから、食堂車なんか必要ないんだよ。 イギリス


■ 賛成だけど、chiltern (訳注 鉄道会社の名前) は いまだに67年のままの名前と看板を使ってるよ。  イギリス


■ すばらしい動画です。 これを作ってくれてありがとう。あなたの車内での携帯電話に関する情報に1つだけいちゃもんつけていいですか?  もし電話を受けたりしたときには毎回客席の端まで移動しなければならないの?  私はこれは正直キツイと思う。 もし、車内でトラブルが起きたら?ありがとう、デイビッド。 オーストラリア


■ なんと偏見のこもったBGMなんだ。 デンマーク

  ■ re:これは本物ではない・・・ アメリカ


■ 美しい国だ。  フランス


■ あいうえおこけくきかさしすせそとてつちたなにぬねのほへふひはまみむめもよゆやらりるれろーんをわ
「?!、。 何を書いているのか自分でも分からない -_- アメリカ


■ 鉄道で成功するためのただ一つの方法は、アメリカのような真似だけは するなって事だ。 アメリカ


■ まあ何と、教養のある人々だろう・・・ 残念ながら日本では、鉄道関係者への尊敬というものが不足している。そしてそれは、 国の知的レベルの低下を招いている。 私はイギリスで路線保守と駅員 - 肉体系と事務系の両方に携わってきたが、乗客から暴力を受けたり、口汚く罵られたりする事は今まで決してなかった。 ここ日本では圧政的な管理下のもと、ひどく不当な扱いを受けているんだ、運転手ですらね!
この動画は、いくぶん不正確だ
そしてこの解説者は、日本の鉄道が清潔であり、BR(イギリス鉄道 [ブリティッシュ・レール、British Rail]) が落書きだらけだという事もまったく解説しなかった!
(イギリスではたびたび落書きが問題に挙がっています)


■ 日本は全てが素晴らしいね。 サウジアラビアにはたくさんのお金があるけど、日本のような鉄道はない。 これはすごく悲しいよ。 できるだけ早く良くなることを願っているよ。 サウジアラビア
(一部を除きここまでプロのお仕事)



今回は前回の続きとして、日本の鉄道に対する海外の反応をお届けいたしました。
動画投稿主がイギリスの方であり、
それに伴ってイギリスからのコメントが目立ちましたので、
主にイギリスの反応を掘り下げて見てみたいと思います。


<イギリスにおける鉄道>

イギリスは鉄道発祥の地であることは大変有名です
日本は彼らから学びましたが、イギリスだけでなくヨーロッパでも
それぞれの国の実情に合わせ、独自の進化を遂げてきました。

イタリア人が 「生でない乾パスタはパスタではない」 と考えるように、
「大げさなジェスチャーを交えて話すのは下品である」 とも考えるイギリス人は
全般的にプライドも高く、歴史のないものや自国以外のものを 
なかなか認めたがらない傾向があります。

その国民性を創り出した背景として、イギリスの歴史も少々関係しているようです。

イギリスの地理教科書(1973年度版)では、序章である 「はじめに」 の部分において、
次のような記述があります。
「今日ではこのイギリス帝国は崩壊したも同然であるが、
英語は世界で広く使われるようになり、イギリス連邦を結ぶ重要なきずなとなっている。
イギリス諸島はまた、その位置のために国際航路の要地でもある。」
現在ではかつてのイギリスほどの盛況ぶりは見られないとはいえ、
その影響は現在も世界に轟いており、
自信をうかがわせる文章と言えるでしょう。

現在の超大国はアメリカですが、
その前の超大国といえば 間違いなくイギリスでした。

以下は1938年(昭和13年) 当時の世界地図 ↓
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植民地を含む領土の比較で、一番左がイギリス帝国、
日本は上段の青枠で囲まれた部分です。

イギリス帝国が2位以下を大きく引き離し、
超大国として世界に君臨していた様子がよく分かります。


世界標準時はイギリスのグリニッジ天文台に合わせられ、
産業革命を起こし、鉄道を含む近代産業を発展させ、
サッカーをはじめとするスポーツや ビートルズを含む音楽のみならず、
ニュートンやダーウィン以外にもたくさんの偉人を輩出し、
様々な産業・文学・文化の発信、発祥の地であることは
イギリス人のみならず、世界中の人々の知るところでしょう。
(上記の 排出→輩出 へ修正させていただきました、ご報告ありがとうございます!)

このように、様々な分野において 世界をリードしてきたイギリス。
自国以外のものを認めたがらないのも 仕方がないのかもしれません。

そんなイギリス人が現在、隠すことなく羨望の目で見るのが
日本の新幹線とその技術です。


現在において世界トップクラスと並んだ日本の鉄道技術は
世界中の人々からも憧れの的となっているのですが、

それほど優れた鉄道が 「どれほどの苦労を伴い運営されているか」
を 自身の経験からよく知るイギリスの鉄道関係者は
「日本で鉄道関係者に対する尊敬の念が不足している」 と言っていました。

イギリス人は日本人以上に労働者の権利を重視します。
そのため、日本では 「働く人々が十分に保護されていない」  と感じるようです。

しかし、イギリス人の行き過ぎた権利意識は
国の凋落を招く要因の一つとなりえるほど大きな問題です。
イギリスでは国民一人ひとりが権利を主張するあまり、
皆が不幸になってしまった過去があります。
この話は少し長くなりますので、ここでは省略させていただきます。


「イギリスでは駅員への暴力はなかった」
という部分もありました。

確かに残念ながら日本でも、ごく一部の人による
駅員さんへの暴力事件が問題になっています。
駅員への暴力、6年連続200件超 13年度の大手私鉄16社
JR2013年度「社員に対する暴力行為」について(pdf)
(傷害罪などで逮捕される場合もありますし、そこまでいかなくても会社へ連絡が行くことはあるようです)

しかし、列車がしょっちゅう故障したり、
故障していなくても遅れるイギリスでは、当然 乗客もイライラするようで、
駅員さんへの暴力事件は他の国と同様に存在します。

そのため、このコメントを寄せた方はイギリス国鉄の中でも首都圏ではなく、
地方に勤務されていた方なのかもしれません(笑)

鉄道関係者といえば日本以上に胸を張れるイギリス。

ここでは、そのように尊敬されている鉄道の一例として、
イギリスの地方鉄道を見てみましょう。


お客の集まらない地方鉄道が苦しい経営状況というのは
日本やイギリスのみならず、どこの国でもだいたい同じようです。
衰退を続ける世界各国のローカル鉄道。
日本でも、採算の合わない赤字路線は次々と廃線となりました。

前記事・ネパールの欄で日本の地域鉄道と運営赤字について触れましたが、
イギリスでは廃線した鉄道路線を再利用し、
集客や地域の活性化に役立てている例があります。

Regional rail003
出典:イギリスの保存鉄道と事例紹介(pdf)
(動く蒸気機関車に乗れるのも素晴らしいですね!)

日本で保存されている蒸気機関車のうち、約93%が動かないもの。
対するイギリスでは、約88%が動くものとして保存・維持されています。

これは日本とは対照的に、イギリスでは現役の機関車が多いこと、
機関車だけでなく、路線や保守する人々、それを目当てに集まる人々など、
地域全体で取り組んでいるからこそ可能である、とも言えそうです。

イギリスでは主目的を観光誘致に据えた保存鉄道が、
地域に住む地元住民の足となり、
観光と輸送を両立しているという現状があります。

そして、これらを支えているのが、他ならぬ 「大勢の名もなきボランティア」
こうした貴重な路線や機関車を保存するため、
非常に大勢のボランティアが誇りを持って活動しているんですね。

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出典:Gloucestershire Warwickshire Railway

イギリスでは上記以外にも、たくさんの保存鉄道が
大勢のボランティアによって支えられています。
イギリスの保存鉄道の数は、蒸気機関車を運転している所だけでも約140ヶ所にものぼり、実際に時刻表を設定して定期的な運転をおこなっている所は100ヶ所にもなるという。
 英国の保存鉄道
イギリス以外にも、海外の鉄道には見るべき部分はたくさんあります。

スイスやドイツなど、ヨーロッパの地域の多くでは改札自体存在せず、
車掌が抜き打ちでたまに切符を拝見しに客車を回る方法が一般的です。

切符なしで乗車した場合は運賃の何倍もの罰金が科せられる方式なのですが
最近では無賃乗車した乗客が逆切れするなどモラルが問われております。

日本とは鉄道の規模自体が違いすぎて参考にならないとは思いますが、
一人ひとりの良心とモラルによって成り立っている、
素晴らしいシステムなのは間違いないでしょう。


ここまでは、イギリスの鉄道関係者が人々から尊敬されている理由を
海外コメントから読み取ってきました。
その理由の一つとして、イギリスの鉄道関係者たちによる
ボランティア活動が根底にあるようです。

しかし、日本人も負けてはいません。
日本にも尊敬されている鉄道関係者がたくさんいます。

日本は地震や台風・大雪などの自然災害が多い場所でもあり、
鉄道もそれらに苦しめられてきました。

しかし、彼らは負けませんでした。
災害が起きるたび、人々は助けあって乗り越えます。
日本の鉄道が発展した影には、やはり人々の情熱があったのです。

ここからの記事は、以下の記事の一部をベースとして
各資料を基に作成させていただきました。
貨物が見せた「鉄道マンの底力」 被災地へ燃料を…救援列車運行


<人と人をつなぐ鉄道>

宮城・石巻など荷物を集積する臨海部の駅は津波の直撃で使用不能に。
震災によって各鉄道会社は多くの資産を失った。

JR貨物では駅設備が約20億円、輸送機材が機関車8両、貨車108両、
コンテナ約1,500個などを含む約60億円の計約80億円、
臨海鉄道では八戸・仙台・福島・鹿島の各臨海鉄道計約40億円、
JR貨物グループで約120億円。

さらに、大地震発生から数日後、被災地を中心に深刻な燃料不足が襲い、
警察、消防まで活動を制限される非常事態。
外は雪がちらついていた。

「東北が寒さに震えている・・・」

そんな中、JR貨物をはじめ、各鉄道会社のもとに
国土交通省や経済産業省の幹部などから、
ひっきりなしに催促の連絡がかかった。

「東北への石油輸送を早く始めてくれ」
JR貨物小林社長は決断した。
各鉄道会社も矢継ぎ早に救援列車の運行を決めた。

ただ、問題があった。

「貨車、機関車、乗務員の手配がピタリと合わなければ列車は運行できない。
石油専用列車は通常の運行距離は20~200キロ程度。
1000キロ以上も大量の石油製品を毎日運び続けた経験は、
鉄道130年の歴史になかった。
運行実現にこぎつけるまで、司令室の社員を中心に連日の徹夜で作業にあたった」


参考:対策本部は列車内(三陸鉄道)
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列車内対策本部の様子 (出典:各鉄道の被災と復旧・三陸鉄道

震災後すぐに停電し、電話も不通。暖房も使用不能となった。
そこで本社幹部は、午後6時に宮古駅に停車中の列車内に移動。
車内に対策本部を設置した。
車両は気動車であり、エンジンをかけると明かりと暖房が手に入った。
(電気が復旧するまで5日間ほどこの車両に留まった)

輸送用の機関車と貨車も足りなかった。
流されてしまった機関車と貨車の不足を埋めるため、
九州など全国から機関車を回送した。

貨車は流されて残ったものも含め、使えそうなものを東北から、
関東地方からはJR東日本から集めた。

JX日鉱日石エネルギー(ガソリンスタンドのENEOS)などからも協力があり
東北への救援列車用として準備された。
それぞれの企業も、震災による大きな被害を受けているにも関わらず・・・。
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出典:東日本大震災における製油所の被害と復旧(pdf)

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出典:各鉄道の被災と復旧・JR東日本(在来線)


最短ルートの東北本線は地震で多くの区間が
不通となっていたため、日本海沿岸を北上。
青森から盛岡へと回り込むルートで19日、第1便が盛岡に到着した。
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出典:環境・社会報告書2011(JR日本貨物)pdf

次は南東北だ。ところが備蓄タンクのある福島・郡山へは
すべての路線が断たれていた。

そこでJR東日本は磐越西線の復旧に全力をあげてルートを確保。
磐越西線は一部区間の傾斜がきついため、普段は貨物列車が通らない。

そこで、根岸駅を20両のタンク貨車で出発した列車を、
新潟で10両ずつに分割。
ディーゼル機関車を2両連ねて引っ張る離れ業で、郡山に石油製品を運んだ。


3月19日(金)の21時48分、18両のタンク車を引いた「緊急石油列車」が
1,032.8kmの長旅を終え無事に盛岡貨物ターミナル駅に到着したときは、
言葉に表せない達成感とともに、復興に貢献していく決意を新たにした。
 
「緊急石油列車」は、盛岡地区には朝のラッシュ時間帯の
列車の合間を割いて運転されたこともあり、
沿線の方々にも鉄道輸送のネットワークが繋がった安心感を与えた。
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3月20日IGR青山駅を通過する上り「緊急石油列車」 
 
貨物列車が多く走り出した頃、IGRいわて沼宮内駅の待合室で、
上り列車を待っていた中年の女性数名のお客さまが、
懐かしい列車の走行音を聞いて足早に窓際に近寄り、
「あっ、貨物列車が走っている!」
と大きな声をあげ、みんなで万歳を始めた。
 
その様子を見た若手男性駅員がマイクを握り、
「ただいま、貨物列車が走行しています。」 と連呼した。
その駅員は、のちに達成感溢れた笑顔でこのことを話してくれた。
 
空気や水と同様、ライフラインとしての鉄道は、
各地域で安全かつ安定した輸送を提供することにこそ存在価値があり、
かつ沿線住民等の日常生活に深く関わっていることを
如実に示すできごとだった。
 
「緊急石油列車」の運行開始後、当社沿線地域では
概ね3月末までにガソリン・灯油の不足は解消されていった。


震災を何とか乗り越えられたのは周りの人々のおかげだ、と鉄道関係者は語る。

「あの日の 116 D」

無線が途絶え雪がちらつく中、
15名のお客様と救助されるまでの時間を共有しました。
 
情報が入らず幾度も襲う余震に不安が増す中、
20代女性のお客様が回りに見えないように
自衛官の身分証明書をお出しになり、
「何かお手伝いします。」 と言ってくださいました。


19時を過ぎて、暗闇の中に一つの電灯が見え
誰かが来てくれたと、ホッとしました。

運行部からの要請を受けた消防署員と当社の施設係員が、
列車の客室ドアーに脚立をかけ4名~5名でガードして
一人一人安全に救助して頂きました。

その時のお客様の和らいだ顔は忘れられません。


久慈の運行部に向かう為、野田玉川のスタンドで燃料を10L分けて頂いて
落石の多い山道を通り8時に運行部に辿り着く事が出来ました。


列車を離れる鉄道ファンのお客様から
「列車監視、ごくろうさまです。」と、
ペットボトルのお茶を頂きました。

私が列車から離れたのは23時頃、社用車で朝を迎えたその時、
私たちの使命の重さを改めて感じました。

その夜の異様に星の綺麗だったことを今でも覚えています。

私たち三陸鉄道の社員は、出来る事を一つ一つ達成し
全線復旧に向け汗を流しております。
一日でも早くレールをつなぎ、たくさんの笑顔をつないで行きます。

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難を免れ譜代駅(北リアス線)で運行再開を待つ「あの日の 116 D」


もちろん、輸送を担当する鉄道マンたちも使命感に燃えていた。
「緊急石送列車の運転席に届いた想い」
 
JR貨物東北支社郡山総合鉄道部運転士
渡邉 勝義
 
 「ガソリンスタンドに長蛇の列」「避難所の灯油がピンチ」、
震災直後の新聞は連日被災地の窮状を伝えていた。

そんな折、職場の上司から、
緊急石油列車の運転を担当するよう打診を受け、
二つ返事で承諾した。
 
退職まで一年を切った高齢者の私が決断した理由
被災地区在住者自らが復興を目指す取り組みとして、
また、物流業界の中にいる自分達だからこそ
できる任務としてやり遂げたいと強く思ったからだ。
 
とは言え、不安がなかったわけではない。
運転するDD51型機関車には13年振りの乗務であり、
急勾配線区の磐越西線に乗務するのは19年振りとなるのである。

それらの不安を払拭してくれたのは、
JR貨物東海支社稲沢機関区での教育訓練と、
JR東日本会津若松運輸区における添乗指導訓練であった。

いずれの地でも、被災地のためにという使命感に燃えた
鉄道マン達からの厳しい訓練を受ける中で、
技術と知識が呼び戻され、はやる気持ちを胸に秘めて、
中継地の会津若松駅に赴いたのである。
 
3月26日、一番列車が運転された。
前夜から降り続いた雪の影響により、難所の急勾配地点で立ち往生、
JR東日本の機転による救援列車の後押しにより、
定刻より3時間遅れて郡山駅に待望の石油列車が到着した。

磐越西線 迂9292レ 救援DE10到着

(立ち往生する緊急輸送列車の救援に駆け付けたDE10機関車)

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磐越西線を走る緊急石油列車  (出典:各鉄道の被災と復旧・JR貨物 pdf

その後も大きな余震が続く中で、度々のトラブルに遭遇し、
終日運転休止となったり、運転途中での緊急停止指示を受けたり、
エンジン故障により地を這う速度で勾配線を上る等、
悪戦苦闘の中4月16日の最終列車まで迂回輸送を完遂することができた。
 
私が運転を担当した初日、間もなく終着郡山駅に到着しようとする地点で、
列車の方にメッセージを掲げているご婦人の姿を見つけた。

掲げるボードには一言だけ大きく書いてあった 「ありがとう」。
 
鳥肌が立つのを覚えながら、しっかりと我が目に焼き付け、そして思った。
この被災地の想いを、今回の迂回輸送に関わった全ての人達に伝えたいと。

救援列車だけでなく、人命を救った鉄道関係者もいた
「闇夜の救出劇」
 
津波が襲来して1時間ほど経過したころから、
津波のすさまじさに圧倒されながらも
救出活動に取り組む社員が続出した。

胸まで水に浸かり、女性を無事に救出したほか、
流されてきた家屋と橋の手すりに挟まれ、
身動きのできなくなった男性も救出した。
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津波が押し寄せた空港駅周辺(空港ビル方向を望む)

水に阻まれ、寒さと余震の恐怖に震え、
更に夜の闇と戦いながらの救出劇で、
実に6時間に及ぶ過酷なドラマだった。
 
空港ビルに搬送し、長かった救出劇は終わったものの、
流された車の爆発音などがまだ聞こえ、社員たちは眠れない一夜を過ごした。
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平成23年3月11日 15:59
仙台空港駅が津波により水没し、
電気設備が全壊した時間(仙台空港駅ホーム時計)
(出典:各鉄道の被災と復旧・仙台空港鉄道

津波に押され、車庫の扉を突き破って自分から出てきた機関車もあった
「SD55-103号機復活にあたっての思い」
 
我社は震災前、機関車を3台所有していました。
SD55-101号機(平成7年購入)と
昭和46年会社発足当時から共に歴史を刻んできた
SD55-102号機(旧DD55-2号機)、
SD55-103号機(旧DD55-1号機)です。
 
今回の東日本大震災では、
この3両全てが仙台港駅に留置してあった為に
津波により大変甚大な被害を受けてしまいました。

中でも一番被害が大きかったのは
SD55-102号機で脱線転覆(後に廃車解体)

津波により流れてきた乗用車やトラック等の衝突によって
外傷が大きかったSD55-101号機(後に廃車解体)

機関区検修庫に入区してあった為に
(津波により検修庫の扉を破り外に出てきた)
比較的外傷が小さかったSD55-103号機(最後の1台)
この見た目がしっかりしているSD55-103号機だけでも
何とか復活させたいという会社の方針が打ち出されました。
 
しかし、復旧作業は私達が考えていた以上遥かに困難を極め、
体力的にも精神的にも格闘の日々が続きました。

工具は全て津波により流された物を拾い集め、
水も電気も動力も無く、検修車内での作業が出来ず、
常に屋外作業となり、雨、風、炎天下お構いなし

更にエンジン部品を分解した時の塩水、砂、錆、
本当にこの機関車は元通りに復活させられるのか、
リスクが小さいうちに諦めた方が良いのではないか

 
こつこつと地道な根気の要る作業を続けた3ヵ月後、
これまでの成果が試される時が来ました。
2台あるエンジンの片側の始動テストです。

この頃は、機械的には分解整備すれば何とかなる、
問題は電気系統の事だけ。

エンジンさえかかればこの機関車は再生するとの願いを込めて
エンジンのスタートボタンを押しましたが、
一回でうまくいくはずもなく、一つ一つの部品を再検討、
今度こそは「エンジンよ生きかえってくれ!」
との思いで何度も挑戦し続けました。
 
やっとエンジンが音を立て、煙を吐いた時の感動と達成感は
今でも忘れることが出来ません。

気笛を高らかに鳴らし誇らしげに出発するSD55-103号機が
私達に「有難う」と感謝を伝えているような気がし、
これまでの疲れがいっぺんに吹っ飛んだ時でもありました。
 
最後に、東日本大震災発生以降、
本来であれば私達も仙台港地区の瓦礫かたずけや、
ゴミ集めをしなければならないところ、
SD55-103号機修繕に特化させてくれた仙台港駅の皆さん、
又、この間私達を信じて時間を与えて下さった
経営者の皆さんに心から感謝を申し上げます。

SD55-103号機はまだまだ本来の調子には戻ってはいませんが、
仙台臨海鉄道復興の象徴になるように、
更に乗務員が安全に安心して運転できるように
これからも機関区一同、精進していきたいと考えております。
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検修庫から押し出された103号機関車 
(出典:各鉄道の被害と復旧・仙台臨海鉄道 pdf)
復興のシンボルとも言えるこのSD55-103号機関車は、
現在も我々の元にキリンビールをせっせと運んでいる。


震災時につながった絆は、その後の災害でも生かされた

東海道本線不通 90本の貨物列車が走れない

2014年10月に到来した台風18号による土砂崩れで
東海道本線の由比~興津間が不通に。  
20~26両編成のコンテナ貨物列車が約90本も走る大動脈が寸断状態。

塩尻駅には、1982年に移設・配線変更された後も、
異常時に中央東線と中央西線を直通して
貨物列車が走れるようにと短絡線が残されおり、
今回、それが活用されます。 

ここでも迂回列車が活躍した。
その迂回ルートはたび重なる災害のときに
鉄道関係者が苦労を重ねて運用した過去の経験があった。
だからこそ、後の緊急時にも素早く運用できたと言える。

技術だけでなく様々な経験を積み、鉄道はこうして進化してゆくのだろう。

阪神大震災、迂回路で活躍した加古川線 ファン、今でも

迂回路として使われてから16年経った今でも、週末には鉄道ファンがやってくる。
切符を1区間買って迂回する「大回り」。
加古川駅で隣の東加古川駅まで3.6キロ区間の切符を180円で買い、
加古川線経由で宝塚線の尼崎駅で神戸線に戻れば182.4キロの旅を楽しめる。

2010年11月には生バンドとにぎやかな合唱が響く
貸し切り電車が紅葉の加古川線を走った。
住民らが05年から年2回開く「歌声列車」。
童謡や唱歌を懐かしむ年配者に受け、
10回目の今回は90人の定員に8倍近い申し込みがあった。
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橋梁を渡る加古川線列車(wikipediaより) 

動画ありました ↓
東日本大震災 貨物が見せた「鉄道マンの底力」


↓ 救援列車の最後尾には 「まけるな」 の文字が・・・。
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あれから4年。
今も人のために懸命に尽くす人々がいます。
被災地の一刻も早い復興を心より願っております。


ここまでは鉄道を通じて助け合う人々を見てきました。
スペースの都合上、本当にごく一部しか紹介できないのが非常に残念です。

震災などの非常時だけでなく、日常の日々に至るまで、
私たちの安全を多くの鉄道関係者が支えているんですね、今日も。

最後に、人々から熱望されている鉄道も見てみましょう。

九州新幹線全線開業 祝!九州縦断ウェーブ CM フル24分ver(前編)



九州新幹線全線開業 祝!九州縦断ウェーブ CM フル24分ver(後編)


これに参加した方々、この動画を撮ることができたカメラマン、
見ることができる私たち、みんなを幸せにしてくれる素晴らしい動画ですね!

参加者は1万人とも2万人とも言われ、放送を心待ちにしていました。
放送開始後、全線開通前日に東日本大震災が起こり
わずか数日間で放送自粛、幻のCMとなったこの動画。

しかし、地震による被災者を勇気付けている、として
後にインターネット上で反響を呼び、数々の賞を受賞しました。
・第50回福岡広告協会賞 大賞(『総集編』)
・第48回ギャラクシー賞 CM部門 優秀賞(『特別編』)
・カンヌ国際広告祭(カンヌライオンズ)2011
・フィルム部門・銅賞
・アウトドア部門・金賞(250kmをウェーブでつなぐという広告企画に対して)
・メディア部門・銀賞(同上)
・スパイクス アジア広告祭2011 メディア部門・プロモ&アクティベーション部門金賞
・ロンドン国際広告賞 銀賞(250kmをウェーブでつなぐという広告企画に対して)
・全日本シーエム放送連盟 第51回ACC CMフェスティバル テレビCM部門 総務大臣賞/ACCグランプリ(『総集編』)
・日本アドバタイザーズ協会 第51回消費者のためになった広告コンクール テレビ広告部門15秒以上 銅賞(『総集編』)

wikipediaより

今回は、海外コメントで人的要因を含んでいたことから、
日本の鉄道を技術だけではなく人的な観点からも見てきました。

結果として、在来線や貨物の話題が多くなってしまいましたが、
これらの志は人と人を結ぶトラック輸送やバスなどでも同じであり、
今日も多くの関係者の方々が責任感を持って尽くしているから
乗客は守られ、日本の発展も支えられているのだと思います。


わが国の発展と共に歩んできた日本の鉄道。
それは、鉄道を支えた人々と家族、
人に対する思いやりと情熱があったからこそ成し遂げられました。

かつての師であるイギリスへ日本の鉄道車両を輸出するようになった現在、
技術面で日本は大変な飛躍を遂げました。
しかし、今回の海外コメントに見られたように、
鉄道に携わる方々への敬意など、精神的な部分を見直すことで
日本の鉄道とそれを取り巻く環境はもっともっと良くなってゆくのではないでしょうか。


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