日本で初めて介助犬になったグレーデル。
筋ジストロフィーを患い、体に不自由のある野口さんの介助犬として
絶望のさなかだった彼に希望を与え、介助犬を引退してからも
野口さんの 「相棒」 として共に生きてきました。
 
グレーデルも17歳 (人間でいうと100歳を超える高齢) になり、
寝たきりの状態に。
しかし時折何かを訴えるように大きく切ない声で鳴き始めるようになります。
そんなグレーデルの思いを動物と話せるという女性 「ハイジ」 が受け取ります。

残り少ない命のグレーデルが訴えていることとは何なのでしょうか。
また、野口さんの思いはグレーデルに伝わっているのでしょうか。
グレーデルが野口さんに伝えたい最後の思いとはいったい…。

この動画は以前テレビ番組で放送されたものですが、
スタジオは涙涙の感動の雰囲気でした。

この動画を見た外国人からも感動の声や
自分自身が動物を飼ったときの思い出話などが挙がっていました。



以下、この動画に対する海外の反応
 
■ 私は動物がとても好きだよ。 いつか彼らと意思疎通できるようになって何を言っているかを理解できるようになりたい。 そうだ、犬は本当に信頼できる友人だよ。 犬は裏切らない…。 私は幼い頃ハムスターや魚、カメを飼っていたんだ。 でもみんな死んでしまった…。 動物の命っていうのは人間よりも短いからね。 動物が死んだらすごく悲しいから、私はもう二度と動物は飼わないって決めたんだ。 シンガポール
 
■ 感動的な動画…。泣きながら見てた…。 シンガポール
 
■ 本当に心を締め付けるような話だ…。 見ながら号泣してしまった。 グレーデルは生涯ずっと、主人に対して忠実であり続けた…。 動物は感情を持った存在だ。 どうか動物に対して優しく接し、守り、傷つけぬよういい雰囲気を作ってほしい。万歳! =)   +2  オーストラリア
以下、忙しい方のための動画要約 ↓
(海外反応コメントの続きはこの下にあります)


体が不自由な人の手足となり
物を持ち上げたりドアを開けたりして
生活のサポートをする介助犬
04-001

こちらの介助犬 「グレーデル」 は優秀な介助犬として活躍した犬でした
グレーデルは1995年、日本で初めて介助犬になった犬
野口利男さんのパートナーとして、15年近く生活を共にしてきました

野口さんにとってグレーデルは無くてはならない存在
ベッドに体を引き上げたり、一緒に買い物に出かけたり・・・。
24時間いつも一緒にいて、野口さんの生活のすべてをサポートしてきました。
04-002
さらに、グレーデルは野口さんに生きる希望を与えてくれた、と言います。
子どもの頃から体の筋肉がしだいに衰えてゆく 「筋ジストロフィー」 という病気を患い
年を追うごとに立つ事も腕を上げる事もできなくなってしまった野口さん

他人の力を借りなければ何もできない自分に絶望し、
生きる希望を無くしたまま、塞ぎ込む毎日を送っていた、といいます。

しかし・・・!
グレーデルに出逢ってから野口さんは変わりました
いつもグレーデルがそばに居てくれる・・・。
困ったときは、助けてくれる

野口さんは積極的に外に出かけるようになり、
人と交流を持ち、生きる喜びを感じる事ができるようになった、といいます。


野口さんは言います
「家族の一員。
犬というよりも、相棒みたいなもの・・・。
分身みたいなものです」

介助犬という存在を超え、
家族として、
心のよりどころとして、
ずっと野口さんを支え続けたというグレーデル

介助犬を引退してからも、野口さんと一緒に生活してきました。
しかし・・・。
そんなグレーデルも、今年で17歳。
人間では100歳を超える高齢
04-004
少し前までは何とか自分の足で歩いていましたが、
今は寝たきりの状態に。

これまでに脳梗塞を3回繰り返し、
いつ命が尽きてもおかしくないという

息を荒げ苦しそうに横たわるグレーデルに野口さんは
「何とかしてあげたい。助けてあげたい。
でも、自分も動けないから、みてあげられない・・・」

15年間、ずっと自分を支え続けてくれたグレーデル
しかし、グレーデルが助けを必要としている今、
野口さんにできる事は、ただ、見守ることだけ・・・。
04-005
現在、グレーデルの世話は定期的に訪れるヘルパーさんや、
野口さんの妻、和枝さんがやっていますが
和枝さんも体が不自由なため、十分な介助ができないといいます

そして、野口さんには一つ気になっている事があるといいます
それは・・・
グレーデルが時おり何かを訴えるように鳴き始めるというのです。

果たしてグレーデルは、何か伝えたい事があるのでしょうか?
そして、グレーデルの為に野口さんがしてあげられる事はないのでしょうか?
 
そこで、動物と話せるという女性 「ハイジ」 がグレーデルの下へ
果たしてハイジは、グレーデルのどんな気持ちを読み取るのでしょうか?

グレーデルに意識を集中するハイジ
鳴き始めるグレーデル
グレーデルは既にあまり目が見えていない。
だから、知らない人の匂いにとても敏感になっている

野口さんを守らなきゃ
グレーデルはもう立ち上がれないから
一生懸命吠えて野口さんを守ろうとしている

この家にはもう一匹、別の犬がいませんか?とハイジ
グレーデルがその犬を呼んでいる、と言います
すると、ヘルパーさんが奥の部屋から別の犬を連れてきた
04-007
 この犬の名前は 「マーブル」
グレーデルが介助犬を引退してから野口さんは新たな介助犬として、
そして、グレーデルの遊び相手としてマーブルを飼い始めたといいます

マーブルに、この部屋にいる全員が安全か
チェックするように頼んでいるグレーデルと、
それに応えるように全員を偵察するマーブル

グレーデルは、動けない自分と一緒に野口さんを守ってほしいと
マーブルを呼んだのだ、といいます

<中略>

ずっと一緒に生活してきたグレーデルには
野口さんの感情が分かるみたい
 
グレーデルは、野口さんが体が不自由なことで感じていた
不安やいらだちや悲しい気持ちを、全部・・・
全部、野口さんと一緒になって感じてきた

だから、そんな野口さんに心配をかけていることがつらくて仕方がない
こんな体になっても、野口さんを守りたい
04-006
野口さんの体の一部となって働くことを生きがいだったというグレーデル
その想いは、動けなくなった今も何も変わっていない、とハイジは言います。

そんなグレーデルの望みは、
「一生、野口さんのパートナーでいること」

動けなくなったグレーデルの前足に 野口さんが不自由な手をそっと伸ばし、
握ったところで今回の動画は終わっていました。
以下、海外コメントの続き ↓
 
■ すごく悲しい愛だ…。 アメリカ
 
■ :'(   アメリカ
 
■ 本当に…人間の一番の友達だ。 ルーマニア
 
■ 忠実なグレーデルにすごく深く感動した。 犬はほんとに一番の友達だね。 アメリカ
 
■ なんて美しくて忠実な犬なの…。 私の家の犬を抱きしめがら泣いてしまった。 カナダ
 
■ とても感動した。 見ながら泣いてしまった。 特にグレーデルが横たわってる時の顔を見たら…。:( 
私が初めて飼った犬がグレーデルのように横たわって痙攣した後で、死んじゃったことを思い出したの。 国籍不明
 
■ もう泣きじゃくったよ…。 アメリカ
 
■ 見ているのがつらい動画だね。 でも私たちは介助犬がつくしてくれることに感謝しないといけない。 アメリカ
 
■ 英語字幕のフル動画をアップしてくれてありがとう バミューダ
 
■ 素晴らしい犬だ。 彼を恋しく思うよ。 カナダ
 
■ 見つづけられず何度も動画を停止してしまった。 弱弱しい犬の姿に涙してしまって…。 アメリカ
 
■ たかが外れたように泣いたよ マレーシア
 
■ フルの翻訳をしてくれてありがとう。 死の床にいてさえも主人を心配し忠実であり、気遣う動物の偉大さには言葉が出ないよ…:'( :'( :'( マレーシア
(ここまでプロのお仕事)


今回は日本の介助犬 「グレーデル」 を見た海外の反応をご紹介いたしました。
動画中に登場する 「ハイジ」 は動物と話せるということで、
グレーデルの心を語ってくれています。

介助犬という役割を超えて一生を共に過ごしたグレーデルに想いを馳せると
彼女のコメントからは犬の気持ちが分かっているように思えました。

海外のコメントでは 「犬は人間の最大の友」 といった声が聞かれました。
犬はとても頭がよく、人が言った事を理解するという特性もありますが、
それ以上に 「人間と気持ちを分かりあえる動物だから」、
というのも大きな理由となっているのでしょう。


さて、動画で紹介されていた介助犬とは、いったいどのようなものなのでしょうか?
日本で有名なのは もちろん盲導犬のほうです。

盲導犬は目の不自由な方を支える犬ですが、
介助犬はその名の通り、体の不自由な方を助けてくれる犬です。
主な行動として、簡単なものを取ってきたり、ドアを開けたり、
起き上がる補助などのほか、服を着替える手助けなどをしてくれます。

しかし、先に導入を決めた アメリカ(2,000頭以上) や イギリス(1,000頭以上) と比べて
日本で働いている介助犬はわずか72頭と、その数は非常に少ないのが現状です。

それらの国と違い、土足のまま家に入らない日本では
介助犬などがそのまま家に入るのには抵抗がある、といった
文化的な違いがあるほか、スペース的な制約から、
歩道と車道の区別のない道路が多いなどの問題もあります。

介助犬が日本で普及しづらい背景には
このほかにも さまざまな原因が考えられますが、
最も大きな要因となっているのが、他ならぬ 「認知度の低さ」 でしょう。

認知度が低いということはそれだけ無関心である、ということなのですが、
介助犬育成と運用にかかるコストもそれに拍車をかけています。

介助犬1頭を育成するのに必要な金額は300万円以上、
しかも必要とされている人に無償で貸し出されるため、
現状では育成費の多くが活動に賛同する人々からの寄付や
賛助会員費などによって賄われています。

介助犬はおろか 有名な盲導犬ですら、まだまだ不足しているのが現状です。

日本でも認知度が低いこの介助犬、
アジアではまだ ほとんど知られていません。

必要とされている一人ひとりの現状に合わせて行われる介助犬の訓練は特殊で、
それも普及に歯止めをかけています。

同じように特殊な訓練が必要な盲導犬のほうは、
こちらも海外ほどではないといえ、着実に成果を伸ばしつつあります
しかし、盲導犬が日本で広く認知されるまでには
今回の介助犬のように、最初のうちは多くの人に知られていない期間がありました。

ここでは日本に盲導犬を広めるために尽力した一人の日本人と
一生を捧げた盲導犬の物語をご紹介したいと思います。



以下、上記動画の書き起こしです ↓
時は1988年。
韓国ソウルで開かれたパラリンピック
開会式の入場行進に、人々は息をのんだ
04-009
選手たちに続いて盲導犬たちがスタジアムに姿を見せたのだ
彼らは、日本から渡った盲導犬だった

当時、アジアで盲導犬を育成いていたのは日本だけ。
ソウルの人々は驚きと共に喝采を送った

そして、これを機にアジア各国で続々と盲導犬が誕生することになる。
もはや戦後は終わったと言われた1950年代半ば
日本が急激な経済成長を遂げようとするなか
目の不自由な人の為にと、一人の男が立ち上がる

塩谷賢一
04-011
飼い犬にしつけを行う訓練士だった塩谷によって
アジア初の盲導犬は世に送られた
 
ある日、塩谷は白い杖をついた少年を見かける
少年は電柱にぶつかり倒れてしまう
その光景が塩谷の頭から離れなくなった
 
光の無い世界に生きることの大変さ
「自分に出来る事はないだろうか?」

この頃、盲導犬のことが日本ではほとんど知られていなかった
ある専門書を通して塩谷は盲人の手足となる盲導犬の存在を知る
「これだ、日本でも盲導犬を育てよう」

塩谷は知人から1歳になるシェパードを預かった
耳は垂れ、さえない顔つきだったという。
その名は 「チャンピィ」
04-012

盲導犬の訓練は単なるしつけとは、わけが違う
ところが、訓練法を書いた文献など無い
自分が通れても飼い主である人間が通れない場所がある
それを教えこむだけで途方もない時間が必要だった

そこで塩谷は、大胆なやり方を試みる
目隠しをしてチャンピィと共に街に出たのだ
04-013

実際に盲人の立場に立って街を歩けば
盲導犬に必要なことがより具体的に見つかるのではないか、と考えたのだ

そして、塩谷は実感した

盲導犬は、人の命を預かるのだ、ということを・・・。

目隠しをし続け、その身を危険に晒しながら
何を教え込めば良いのか、模索し続けた
04-014

時には道行く人から罵声を浴びせられる事もあったという
だが、そんな塩谷をよそに
チャンピィはやんちゃな性格で扱いにくい犬だった
04-015jpg
訓練を嫌がり、ハーネスを付けるだけでも一苦労

盲導犬は人の命を預かる仕事
厳しい訓練が繰り返された
04-016jpg

命令には絶対服従でなければ。
塩谷の言葉に少しずつだが従うようになってゆく

訓練を始めて4カ月
この日、塩谷は交通量の激しい道路で
目隠しをしたまま横断歩道を渡ってみる事に
04-017jpg
 
信号が変わり、「GO!」と命令

だが、その時・・・!
横断歩道に侵入してきた車は、危うく塩谷を撥ねるところだった


叱りつける塩谷に怯えてうなだれるチャンピィ
04-018jpg
 その悲しげな眼を見た時、塩谷は気づいた

「待てよ、チャンピィは俺の命令に従っただけなんだ」
そして思い知る・・・
 
盲導犬は自分で判断できなければ主人を守れない

だが、どうしたらチャンピィにそんな力を付けさせる事ができるのか
塩谷は懸命に考えた
そして辿りついたのが
「相手を想う気持ち」

塩谷は、チャンピィを家に上げた
04-019jpg
食事をする時も、眠るときも、
ひと時も離れない毎日が始まった・・・。

課題をクリアーした時は、本気で褒める
失敗した時は、愛情を込めて叱る

と、
いつしかチャンピィが変わってきた
04-020jpg

あれほど嫌がっていたハーネスに
自分から首を通すようになる
街にも喜んで出るようになったのだ

塩谷はチャンピィと共に車が行き交う交差点に立った
目隠しをした塩谷
その前を何台もの車が通り過ぎてゆく
04-021jpg
 
そして、彼は言った
「チャンピィ、GO!」

・・・チャンピィは動かなかった
04-022jpg
 
塩谷の言葉に逆らって じっとその場を動かなかった
歩き始めたのは、車の流れが途切れた時

チャンピィは自らの判断で主人を守った
訓練開始から1年3カ月、
日本初の盲導犬が誕生する・・・。
04-023jpg

盲学校の教師と行動したチャンピィは彼の目となって活躍する事に

その様子は新聞でも大きく報じられ
盲導犬という存在が日本中に知れ渡る事になった
04-024jpg

さらに、チャンピィの名はアジア初の盲導犬として
海外にも伝えられた

塩谷は国に訴え、盲導犬の電車への自由乗車を実現。
さらに全国のレストランにも受け入れるよう指導を促した

チャンピィから30年・・・。
およそ600頭にもなった日本の盲導犬はソウルパラリンピックに参加
 04-025jpg
それを機に、アジア各地でも盲導犬の育成が始まってゆく

訓練施設が次々と作られた
1993年 韓国
2006年 中国

盲導犬が1頭もいなかった日本以外のアジア各国でも今、
300頭近い盲導犬が活躍している
04-027jpg

犬と人間が互いに相手を想う気持ち
塩谷が築いたその信頼の心が
世界各国の盲人を助けているのだ
04-026jpg

チャンピィは立派な盲導犬として10年間働き、
12歳でその生涯の幕を閉じた・・・。
1967年 チャンピィ永眠 (享年12)
日本初の盲導犬、チャンピィの時代には
確立された育て方というものが日本にはありませんでしたが、
現在ではある程度、整ってきています。

一般的な介助犬・盲導犬の場合、
最初の2カ月間は親兄弟と暮らし、
その後10か月間はボランティアなどのもとで愛情いっぱいに育てられ、
人間に対しての信頼感を育むと同時に
人間社会で生きてゆくうえでのマナーを学びます。

1歳になったら訓練センターで3週間の適正検査を受けます。
ここで判定が否の場合は介助犬や盲導犬になる事はできません。

生まれた仔犬が介助犬や盲導犬になれるかどうか、
その90%以上は生まれ持った性格(遺伝子)で決まるといいます

この話を聞くと元々、素質のある おとなしい犬ばかりが
これら介助犬や盲導犬になっている、と思いがちですが、
そうではない場合も多いようです。

【盲導犬の仕事】 豹変した盲導犬 - 感動する話


以下、上記動画の書き起こし ↓
毎朝、私が通勤する途中に見かけていたある盲導犬。
交通量の多い交差点で、いつも彼が信号待ちをしている時間、
私は 「やっぱり盲導犬は凄いなぁ。素質があるよねぇ。」 と思いながら
ニコニコとその横を車で通過します。

獣医と言えども、盲導犬を見る事はなかなかありません。
それはとても印象的な、それでいて毎日続く不思議な風景でした。


ある日、そんな盲導犬の彼が、ひょんな事から私の患者になりました。

盲導犬の管理は非常に厳しく、月に一回の健康診断、爪の確認、
足裏の毛刈り、肛門腺に予防関係に・・・・
とにかく飼い主さんに危険が及ばないよう、完璧な状況下で
任務がこなせるようにメンテナンスされています。

もちろん優秀な盲導犬。
爪切りでも自分から足を差し出すほどで、全ての診察は
非常にスムーズに進みます。
ところがある日、彼の本当の姿を見ることになるのです。

それは正確に体重を測ってみましょうか・・と盲導犬の補助器具を
全て外した時の事でした。


彼は一目散に病院を駆け巡りました。

そして、病院内の看護士、獣医一人ひとりに挨拶をするように
じゃれて、グルグル回って、伏せをしたと思いきや飛び掛ってきて、
また次の人間のところへ・・・

そう、これが彼の本当の姿だったのです。
本当は人間と一緒に思い切り遊びたくて、走り回りたくて、
普通の犬としての暮らしに憧れを持っていた。
そんな彼に与えられた使命、盲導犬。

長い間、ずっと抑えていた感情だったのでしょう。
そんな彼を露にした原因、それは・・・

間違いなく、彼に付けられていた補助器具でしょう。
それを付けている間、彼は 「プロ」 なのです。
何があっても、飼い主さんを守り、自分の使命を果たさなければなりません。

飼い主さんの 「いつもごめんなぁ・・ごめんなぁ・・先生、少しだけ
この子を自由にさせてあげても良いですか?」 と言う言葉が
重く心に残っています。
飼い主さんは、きっとこの子の気持ちにずっと気づいていたのでしょう。

信頼で結ばれた強い関係。
本当は遊びたいし走りたい・・・けれども誇りを持って
毎日仕事を続ける盲導犬に強く感銘を受ける事となりました。

今でも毎朝彼の姿を、交通量の多い交差点で見かけます。

しつこいですが、「素質」 などと安易な言葉で彼を評価していた
私自身に今でも苛立ちを隠せません。
そんな簡単なものでは無いのです。

彼は毎月、病院に来た時だけ補助器具を外し、
ほんの数分だけみんなに挨拶しにいく自由を与えられています。
私たちも精一杯、彼と挨拶をします。
最後に、この動画に寄せられていたコメントを紹介させていただきます
ハーネス(補助具)を付けたら仕事モード!
盲導犬や聴導犬等、介助犬はそのことを深く理解している。
それだけにハーネスをはずしたら自由を謳歌するかのように
人にじゃれつき甘えたりする (以前TVでそんな様子を見掛けた)。
 
今日の技術なら、視覚や聴覚にハンディキャップを背負った人々を
誘導できる機械設備装置を作ることは必ずしも難しくないだろう。
しかしどんなハイテクマシンも、「犬っころ」 にどうしても勝てない部分がある。
 
それは心。
犬は生き物。
命も心もある。

ハンドラ―と絆を結ぶことが出来る。
これは冷たい機械じゃどうにもなるまい…

気持を通わせることが出来ることがどれほど心強いことだろう.
そんな介助犬達に幸あれ。
今回は介助犬 「グレーデル」 と野口さんが心を通わす物語と、
それを見た海外の反応を 他の物語とあわせて見てきました。

海外のコメントでも感動した方が多かったようですが、
野口さんとグレーデルの お互いを想う気持ちが
より多くの方の共感を呼んだようです。

今日6月9日は、この記事冒頭の動画で登場した介助犬 「グレーデル」 の命日となります。
大好きな野口さんとずっと一緒に生活してきたグレーデル
どうか、安らかに・・・。


参考リンク ↓

グレーデルのことが綴られた最後の日記 (介助犬と愉快な仲間たち)
関西盲導犬協会