大変ご無沙汰しております、
今回は日本人マラソン選手の映像に寄せられた海外の反応をお届けいたします。

この動画で登場する川内優輝選手は、実業団に所属せず、
仕事をしながら走る市民ランナー。
大会には有給休暇で出場する事が多く、
仕事との両立をせざるを得ないスポーツマンの希望となっています。

大学卒業後に、埼玉県庁に所属するかたわら、
セルフトレーニングで実力をつけ、
週末にマラソンを走りながら素晴らしい成績を上げてきました。

彼は、学生時代から故障に悩まされ、
憧れの強豪チームに所属できなく悔しい思いをしたそうです。

しかし、今はそういう思いをしている高校生のランナーや、
他のランナーにも、「仕事をしながらでも夢をかなえることができるんだ」
ということを示したい、という思いがあるとのこと。

そんな川内選手が海外のマラソンを走り、
その常識外の経歴などに注目が集まり海外メディアでも紹介されました。

動画のコメントでは、賞賛の声が多く、感動した!
などポジティブな声が聞かれるように、
言葉は通じなくても何かを感じ取った方が多かったようです。

Yuki Kawauchi - Tokyo 2011



<以下、この動画に対する海外の反応>


■ もっと評価されるべき!素晴らしい!   アメリカ

■ 素晴らしいランナーだね   フランス

■ すげー。 こいつ、あの二人を蹴散らしたな。 アジア人の人がこんなに走れるとは知らなかった。 すごいね。   アメリカ


■ 彼のパフォーマンスがこの日のハイライトだったね。 敬礼。   アメリカ

■ ちょっと誤解を生むような、、。彼は勝っていないが、(動画では2位)今までも2時間12分台を出しているから、「無名のランナー」 というのは正確でないかも。でも、さすがだね。最高の尊敬を示します。   アメリカ

■ 勇輝はシューズのことは気にしていないと思うよ。 最新の装備とかにするタイプではなく、淡々と仕事をこなすランナーだと思う。   アメリカ

 ■ 「川内は実業団に所属している選手だったなら、初マラソンで8分台というのだから、日本陸上界に大型新人として歓迎されているんだろうが、実業団が支配している日本陸上界にあってはいわば素人ランナーが国内屈指の大会で優勝したというのだから実業団の面目丸つぶれというわけで日本陸上界は手放しでは喜べない、むしろ胡散臭がっている。」   日本(日本語)

■ 彼は純粋にスゲーな。 彼はコースの内側すら走っていないことに注目。 だから、今後2時間06分台も狙えると思う。   アメリカ

■ 彼はASICSをはいているよ。  日本

■ 彼はフルタイムで高校で働いていて、そして仕事の時間外に練習しているらしい。Wikipediaで今知ったよ。すごいな。  台湾。

■ グッジョブ!   カナダ

■ すごいやつだ。最後のスパートはまるで400m走のようなフィニッシュだった。マラソンだぜ? これが真のランナーだよ。 ランニングタイムズで彼のことを知って動画を見てみました。 彼の発言から引用 「これが私の6度目のマラソンでした。そして、フィニッシュした後メディカルエリアにお世話になったのは5回目です。 毎回このレースで死んでもいいと思って走っています。」、、、すごいな。  スペイン

■ 誰か何のシューズをはいているか教えてくれ。  マレーシア

■ 誰かこの動画を翻訳してくれ。日本語がわからん。  アルゼンチン

■ こいつは日本人版のフィディピディスだ!   アメリカ
Pheidippides
(出展:https://hystoricus.wordpress.com/tag/herodotus-tells-the-battle-of-marathon/)

■ @俺も同じ理由でみている。感銘を受けた。   アメリカ

■ どこかで彼が2時間31分で走ったと読んだことがある。 今はもうワールドクラスだね。   アメリカ

■ これは興奮するぜ。  香港

■ 彼は疲れというものを知らないな。  ドイツ

■ JAAFは川内を陥れたんだ。2012年の東京マラソンで、給水を2回邪魔して、またペースメーカーに彼のボトルをとれと指示したと思う。そして結果的にロンドンオリンピックで選ばれなかった。全世界にいいたい。JAAFはだめな組織だ。実業団のランナーでない川内をロンドンに行かせたくなかったんだ。   日本(英語)

■ @どこで勝ったって?   アメリカ

■ 「倒れこむほど走った川内選手。感動しました。 ありがとうございました。」   日本(日本語)

■ フォレスト走るんだ!  スウェーデン 
Forrest Gump
(出典:www.inquisitr.com)
 (ここまで一部を除きプロのお仕事)


今回は日本人ランナー、川内優輝選手の動画に対する海外の反応を見てみました。 

タイトルにもあるように、海外の方からも
日本人版のフィディピディスだ、と賞賛されていました。

ここで言われているフィディピディスとは、 
紀元前490年、ギリシャ軍がペルシア軍10万の大軍を破った際に
当時の戦場であったマラトンからアテネまでの約40kmを走ったとされる兵士で、
彼はギリシャ軍の勝利を報告した後に息絶えた、とされています。
(諸説あり)

彼の壮絶な最後は人々の心を動かし、
この時の古戦場マラトンを英語読みしたものがマラソンの語源となったとのこと。


この誇り高きマラソンはオリンピック発祥の地、ギリシャにおいて
2500年の時を超え、近代オリンピックにおける正式種目のひとつとされますが、
当初のマラソンは開催される競技場によって距離もまちまち。
その距離が統一されたのは1921年で、
正式に使われたのは1924年の第8回パリ大会から。

フルマラソンの距離が41.195kmに統一されたのは、
第4回ロンドンオリンピックでイタリアのドランド選手にその由来があります。

惜しくもゴール直前で倒れたドランド選手は、
係員の補助を借りてゴールしたために失格となってしまいます。
彼の奮闘に多くの人が感動し、
この時走ったロンドン大会の距離42.195kmがマラソンの正式距離となりました。

上記2つの話は大変有名ですが、
選手の走りが人々の感動を呼んだ出来事は他にもたくさんあり、
限界を超えて なお前進する選手の姿に、人々は今も昔も熱狂するようです。
(第1回アテネオリンピックでは、ギリシャのコンスタンチヌス皇太子と弟のジョージ親王が
 興奮のあまりスタンドから飛び降り、ゴールまで優勝者と共に走ったそうです)

海外コメントで、マラソンの由来とも言われるフィディピディスに例えられた川内選手。
多少大げさとはいえ、とても名誉な事と言えるのではないでしょうか(笑)



さて、海外のコメントではアメリカからの声が多く聞かれました。
マラソンといえば、海外でも人気の高いスポーツですが、
アメリカでは特にマラソンに興味を持つ人が多いと言われています。

それもそのはず、マラソンの町とも言われるアメリカのマンハッタンは
市民マラソン発祥の地。
その他の街でも、アメリカでは事あるごとに様々なマラソンが行われ、
走る人が多いのが特徴で、まさにマラソン大国といえます。

色々な行事に積極的に参加する人の多いアメリカ人は
観るよりも参加する事が好きな国民性。
多くの市民が様々な方法で参加しています。


しかし、日本ほど駅伝やマラソンを最初から最後まで放送している国はありません。
走る人の多いアメリカでさえ、ここまで放送していないマラソン。
そのため、「マラソンを世界一観るのは日本人」 などとも言われます。

日本でここまでマラソンや駅伝が広まった背景には、
数え切れないほどの選手たちの努力がありました。

日本人に夢と希望を与えてくれた選手たちの数々の偉業を、
私たちは生涯忘れる事ができないでしょう。



有名な日本のマラソン選手の一人に 瀬古利彦 選手が挙げられます。

「俺の記録(2時間8分27秒)を抜きなさい」
この言葉は、世界陸上大邱大会に出場した川内選手が帰国の際、
空港のロビーで瀬古選手から掛けられた言葉でした。

川内選手は2011年9月4日、世界陸上大邱大会・男子マラソンで
次の言葉を残しています。
個人戦では18位に留まった川内選手だったが、医務室で休んでいる最中日本代表のマラソン団体戦は2位に入った事を聞かされた後 「団体の銀メダルに貢献出来て嬉しい」 と涙を浮かべ、「僕みたいにスピードが無くても日本人の粘りがあれば、マラソンはやれるんだと証明できた」 と自身も納得のコメントを述べている
かつては実業団についてのコメントが元で騒がれたこともありましたが
現在ではわだかまりも解け、競い合う良きライバルとして
お互いに認め合う存在となっているようです。


話は変わりますが、川内選手に声を掛けた瀬古さんも、
他の多くの選手たちを育てただけでなく、
自身も素晴らしい記録を残していることで有名です。

瀬古選手は世界のトップランナーと互角以上に渡り合い、
日本のマラソン業界をけん引し、多くの有力な選手を生み出す原動力となりました。

また、輝かしい戦績を残した瀬古選手には
世界中の強豪たちからも数々の称賛が寄せられました。
フルマラソンの戦績は15戦10勝。勝てなかったのは最初の2回、79年のボストン、
そして2度のオリンピックだけだった。

ピーク時の強さは世界でも認められるところであり、
事実ミュンヘンオリンピックの金メダリストで
福岡国際マラソンにも4度勝ったフランク・ショーター(アメリカ合衆国)は、

「マラソンランナーのナンバーワンはアベベ・ビキラ(エチオピア)、次に瀬古。
 僕はナンバースリーだろう」

と語っている。
また数多くのランナーから世界一の称号を称えられたコメントとして

80年福岡国際後、五輪2連覇のワルデマール・チェルピンスキー(当時東ドイツ)は
「瀬古には勝てない。たいしたもんだ。見事なレース。」

81年ボストン後、ビル・ロジャースは
「彼は世界No.1のランナー。そう遅れずにゴールできて幸せだ。」

83年福岡国際後のアルベルト・サラザール(アメリカ合衆国)は
「瀬古は強くてタフだ。特に作戦がうまい」

87年ボストン後にはスティーブ・ジョーンズが
「瀬古 イズ スーパー。彼は世界一だ。」

と公式コメントを残している。

(上記wikipediaより) 
瀬古さんはテレビ中継で箱根駅伝の解説者としてよく登場しますが、
早稲田愛を隠しきれないためか、解説というよりはただの応援になってしまうところが
人間らしくて以外と人気との事です(笑)

そんな瀬古さんはこう語ります
「マラソンの練習はきつかった。しかし、途中でやめたことは一度もない。
現在、マラソンは明るく健康的なスポーツとして親しまれているが、
その本質は泥臭く、根性がいるものだと思う。
苦しくないマラソンなどない」 
マラソンの世界記録は年々早くなり、
遂にはケニアのデニス・キプルト・キメット選手が
驚きの2時間2分台を叩き出しました。

最近では苦戦を強いられている日本人選手ですが
2002年に高岡選手がシカゴ大会で出した2時間6分16秒は2016年現在
日本とアジア、ヨーロッパ、オセアニア地域の最高記録でもあります。

不屈の精神と鍛錬、長年にわたる研究で世界でも上位に食い込んだ日本人選手たち。
しかし、選手を影で支える人々を忘れることはできません。

日本マラソンの礎を築いた一人として、
今回は 「世界で一番遅いマラソン記録を持っていた日本人」
金栗四三(かなぐりしそう)さんのお話をご紹介させていただきます。
日本マラソンの父・金栗四三


854607037 投稿者 tvhrihkru3
以下、動画の書き起こし

男の名は金栗四三
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1911年11月19日、東京で陸上競技会が行われた
マラソン競技にも全国から集まった健脚自慢の若者たちが挑んだ
 
日本における初めてのオリンピック代表選手選考会だったこのレース
選手の中に東京師範学校で学ぶ、金栗がいた


当日は雨・・・

金栗はいつも通り足袋を履き挑んだ
だがぬかるみの中、足袋は途中で破れ
裸足で走り続ける

結果、金栗はぶっちぎりで優勝
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しかも、当時の世界記録を27分も縮めるという快挙を成し遂げたのだ

金栗は100m走の三島弥彦と共に
見事、日本人初のオリンピック出場選手となったのである

実は当時、出場にかかる費用は自分で賄わなければならなかった

渡航費や宿泊費など、全部で1,400円あまり
今の価値にすると500万円にもなる


だが、学生の金栗にそんな金があるはずもない

故郷・熊本の実家から仕送りをもらっている身で
これ以上迷惑はかけられない
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オリンピック出場は夢と終わるのか・・・

諦めかけていた金栗の元に
一通の手紙が届く
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差出人は、故郷の兄だった

「金のことなら心配するな
 たとえ田畑を売っても
 お前の将来のため家のため
 国のため決して惜しいことではない」

手紙を読んだ金栗は涙した

期待に応えなければ・・・!
金栗は燃えた



大きな声援に送られて日本を後にした金栗は
まず海路でウラジオストックへ
船上でもトレーニングに励み続けた
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国のためにも、仲間のためにも
負けるわけにはいかない


ウラジオストックからストックホルムまでは
鉄道を乗り継いで17日間

1912年、第五回オリンピック・ストックホルム大会 開会式
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 参加したのは28か国
 
日本の代表選手はマラソン優勝候補の金栗と
100m走の三島、2人だけだった
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 三島は開会式後に行われたレースで予選敗退
日本メダルへの期待は、世界記録を持つ金栗四三に集中する


だが・・・
長旅の疲れは予想以上だった
しかもレース当日手違いで迎えが来ず
競技場まで走って向かったのだ

いつもの足袋を履き、レースは幕を開ける
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 万全とはとても言えない状態の金栗は、スタートで出遅れた
なんと、序盤の順位は後ろから五番目

「期待に応えなければ」
金栗は歯を食いしばって懸命に順位を上げていった

当日のストックホルムは気温30度の記録的な猛暑
参加選手68名中34人が棄権するほどの過酷なレースとなった
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それでも金栗は懸命に走り、
中盤では15位まで順位を上げた

しかし・・・。
金栗の記録は 「行方不明」


実は金栗は、レース中に熱中症になり
気を失っているところを近隣の住民に助けられたのである
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金栗が気が付いたのは翌朝

オリンピックの公式記録は 「行方不明」 となった

スウェーデンでは 「消えた日本人」 として騒がれ、
この話を元に小説も生まれている

<中略>


帰国した金栗は批判の嵐に晒された
傷心の若者に容赦ない罵声が飛ぶ
「金栗君には大和魂がないのかね」

「日の丸の忠責を果たさなければ・・・」
悔しさをバネに、金栗は4年後のベルリンに照準を定めた

暑さに負けないよう、真夏の日中にも走り込んだ
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正に鬼気迫るトレーニングだった

「マラソンは苦しい。しかし、自分が苦しいときは
 ほかの人も苦しいことを忘れてはならない。
 人の二倍の苦しみを味わって初めて成功するのだ」


凄まじい訓練は実を結ぶ
金栗は日本選手権三連覇という偉業を達成
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 うち2回は自己記録を更新する世界新記録だった

絶頂期を迎えた25歳のランナー金栗
しかし・・・
激動する世界に翻弄されることになる


第一次大戦の激化によってベルリンオリンピックは中止
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 リベンジは、さらに4年先送りとなる

だが、迎えたアントワープオリンピックでは16位
続くパリ大会は途中棄権

金栗がオリンピックの舞台で無念を晴らすことは、なかった

1924年・パリオリンピック後、33歳で金栗は現役を引退する
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 そして、自身が果たせなかった夢を後輩に託した

「国のため、応援してくれた仲間たちのためにも
 俺はいつか指導者としてオリンピックで日の丸を掲げてみせる」


金栗の教え子であり、メキシコオリンピックの銀メダリスト、君原健二は言う
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「3度とも国民の期待に応える事が出来なかった悔しさが
 自分の出来なかった事を
 自分の後輩に実現してほしいという事で
 金栗先生は全国をかけめぐって選手の発掘・育成
 生涯、マラソンのために力を注がれた方」


金栗は全国の師範学校60校を巡ってマラソン指導を行い
さらに、マラソンをPRするために
樺太 - 東京間、東京 - 下関間を自ら走り通した
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そう、金栗はマラソンの伝道者となったのだ
 
また、世界レベルの選手を育てるべく
様々なトレーニング法を開発した

今でこそ常識となった 「インターバル練習」
あるいは 「高地トレーニング」 など、
いずれも金栗が編み出したものだ



そして、金栗は箱根駅伝を世に送り出した
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 「孤独な長距離のトレーニングもチームで行えば効果が上がる」
実は、そんな発想から生まれたのが駅伝だった
結果、多くの一流選手を輩出することになる

「オリンピックの金メダリストを育てること」
それが終生の夢だった・・・。

そして2000年・シドニー
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 マラソンに人生を懸けた男の夢は、遂に叶ったのである

以下、君原健二さんの言葉

「世界に活躍する選手が出ていることを考えると
 金栗先生の力は本当にあったと思います。
 日本のマラソンの父でありですね
 育てた母親であったと思います」



こうして日本のマラソン界を世界へと導いていった金栗
そんな男に、マラソンの神が微笑みかけた
28-022
ストックホルムオリンピックから55年経ったある日、
金栗の元に一通の招待状が届く
それは、ストックホルムオリンピック委員会からで、なんと、
金栗にこう呼び掛けてきたのだ

「あなたはまだゴールしていない。
 あなたの記録はまだ行方不明のままです。
 オリンピックの記念式典に参加して、
 是非ともゴールを飾ってほしい」

スウェーデンでは 「消えた日本人」 として語り継がれてきた金栗
その伝説の男を、当時のメインスタジアムに招き
ゴールさせたいというのだ

それはスウェーデン国内の新聞でも報じられ
大きな話題を呼んだ
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その時の貴重な映像が残っている
 
75歳になった金栗四三
28-024
「日本代表・金栗四三、ゴール!
 記録は54年8ヶ月6日5時間32分20秒3」


金栗は苦笑しながら答えている

「やれやれ長いレースでした
 この間に孫が5人できました」

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金栗は、晩年も地元・熊本で若いランナー達の指導を続け
1983年、92歳でその生涯を閉じた

金栗が生涯をかけて走った距離は25万km
地球6周分にもなる


以下は次の動画から抜粋

854607038 投稿者 tvhrihkru3

オリンピック競技場のマラソンゲートが今、時を超えて開く
金栗はストックホルムの競技場を20歳でスタートし、
今、74歳でそのゴールに戻って来たのである

ゴールの瞬間
人生で最も苦い思い出を残すレースは
人生で最も幸せを残すレースに変わった

翌日の新聞にはこう書かれている
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「54年と8ヵ月、6日と5時間、32分20秒3
 金栗四三・日本
 これをもって、 第5回・ストックホルムオリンピックの
 すべての日程が終了した」

ここでは一例として金栗さんをご紹介しましたが、
青木半治さんなど、金栗さん以外にも、日本の陸上競技に人生を捧げた方々がいます。

日本のマラソンに生涯を懸けて尽くし
次の世代にバトンを託すその生きざまは、
まさにマラソンそのものではないでしょうか。

「マラソンは人生と似ている」
という方がいます。

上り坂もあれば、下る時もある。
苦しくても辛くても、前を向いて走り続けなければならない。


今回はマラソンで活躍するF選手に対する海外の反応を見てきました。
マラソン終了後に医務室へ運ばれることも多い川内選手。

今回の動画でも称賛の声が多く聞かれるように、外国人の方も
川内選手のその姿に感銘を受けたようです。

川内選手も、そして
その立場は異なりますが、実業団の選手も
厳しい特訓を克服し、走り続けます。



日本のマラソンを牽引してきた素晴らしい選手たち。

しかし、華々しく活躍する選手たちの影には、
故障や止むを得ない事情などで夢をあきらめた選手たちがまた、
無数に存在しました。

走り続けるランナーたちは、バトンと一緒に託された
さまざまな人々の夢と希望を背負って
これからも走り続けるのでしょう。



<おすすめリンク>

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<参考リンク>

JAAF(公益財団法人日本陸上競技連盟)

日本実業団陸上競技連合

川内優輝選手応援プロジェクト(久喜本部)

「疲れ切って走れません」東京五輪後自殺した円谷幸吉の人生 
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実業団選手の生活をご紹介!~実業団選手の生活について伺いました~

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「アマの星」川内優輝"育ての親"が語る