今回の海外反応は、アフガニスタンで長年にわたり医療支援や灌漑事業に携わってきた、中村哲さんの動画に寄せられた海外コメント(主にアフガニスタンから)を翻訳してご紹介いたします。動画では、地元アフガニスタンの方々によって、中村医師が生前どれほどアフガニスタンに貢献し、いかにアフガニスタンの人々の希望の光となっていたのか、について語られています。

残念ながら、中村哲さんは 2019年12月4日 に現地アフガニスタンで銃撃され、志半ばにして命を落としてしまいます。現地では嘆きの声と共に、故・中村医師に対する感謝の声が殺到し、様々なメディアで紹介されました。今回の動画は、そういった一連の流れのなかで作られたものです。

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翻訳元動画 ↓
تحقق من خدمات الدكتور تيتسو ناكامورا في هذا الفيديو

以下、動画の概要です

中村医師は、私たちの国を支えている人々の中で、この時代の最も偉大な人物の一人でした。中村医師は本当にとても素晴らしい仕事をしていました。彼の精神と彼自身の功績は誰も肩を並べることはできません。 これを成し遂げたのは、彼が常に最善の努力を実行し続けたおかげです。

カマ地区の住人であるマリク・ラーマットは言います。カマ地区はこれまでに多くの知事が就任してきましたが、私たちの地区で中村医師の仕事の5%でも行えた人は誰もいないと思います。

中村医師の殺害は、アフガニスタンの敵によって実行された、憎悪と悪意のある行為です。 私たちは政府に殺人犯を逮捕し、彼らに死刑を宣告し、彼らの死体を見せしめとして晒しものにする事を強く願います。

アフガニスタンに暮らす人の多くは、中村医師のことを知っています。 中村医師は私たちアフガニスタン人にとって兄弟以上のものでした。私の知る限り、中村医師はアフガニスタン人の名誉市民権を与えられた数少ない外国人の一人です。私たちは、日本政府がアフガニスタンを支援し続け、中村医師が残した功績をもっと評価するよう呼びかけます。


この動画に対するコメント(主にアフガニスタンより)

■ 中村医師は素晴らしい、日本から来た本当に素晴らしい偉人でした! アフガニスタンの人々は中村医師と偉大な日本を決して忘れません! ありがとうございます。

■ 中村医師のご家族と、一緒に亡くなった彼の護衛と協力者の5人のアフガニスタン人に哀悼の意を表します。

■ アフガニスタンの人々は、中村医師の努力に感謝し決して忘れません。 アフガニスタンのために尽くす人々を脅かす人間こそ真の敵だ。

■ タリバーンはパキスタンの要請で中村医師を殺害した。 彼がイスラム教に改宗したと言う人もいます。

■ 中村医師は他の愛国者が国のためにすることは何でもした。 彼はダウドカーンのようでした。 彼が外国人だとはとても思えません。 ダウドカーンと中村は、私には同じように感じます。 彼らはパキスタンという共通の敵を持っています。(モハメッドダウドカーン:1973年にそれまでの君主制を打倒し、アフガニスタンを共和国として確立した元アフガニスタン大統領。国籍に関係なく、勇気と愛国心をもって外国に屈しない理念を持つ政治で知られ、旧ソビエト依存から抜け出すための政策を次々に打ち出すも、1978年4月に暗殺される。暗殺から実に30年以上経った2008年2月にカーンのものと思われる遺体が発見され、翌年の2009年3月、国葬が行われた。アフガニスタン人の多くは、カーンの勇気と愛国心を称賛し、近代で最高の指導者であり、英雄であると愛情を込めて考えている。)

■ 私は日本をこの目で見てきたことがありますが、日本人は非常に文明の進んだ人々でした。 私は中村医師を殺したすべての人々を非難します。

■ 中村は人類にとって素晴らしい偉人であり、素晴らしい英雄です! パキスタン人はアフガニスタンの繁栄のため、彼のプロジェクトを止めるために彼を殺しました! しかし、私たちは彼を決して忘れません! 彼は私たちの魂、そして心に永遠にとどまり続けます! 臆病な敵はアフガニスタンと日本の友情を傷つけることは決してありません! 私たちの絆はさらに強くなります。

■ 外国の人が私たちアフガニスタンの再統合のために努力しているのは、私たちアフガニスタン人にとって残念です。私たちは野生動物のようにお互いに争い、お互いを殺そうとしています。日本人は私たちに人類への道を教えてくれました。 事実、アフガニスタンの主な敵は中村医師を殺害しました。 アッラーが中村の魂を祝福し、アッラーがアフガニスタンの敵を滅ぼしますように。

■ 俺たちの本当の敵は、俺たちの無知と非識字なのだ。

■ アッラーが彼を祝福しますように。 彼の家族と日本人に心からお悔やみ申し上げます。 彼は日本人ではあったが、私たちの一人だった。 真のヒーローであり、人類のチャンピオンだ。

■ アッラーがアフガニスタンの敵を滅ぼし、私たちが国を再建するのを助けてくださいますように。

■ 中村のような大統領が欲しい! 中村、どこにいるの! 私はあなたの後ろで泣いています。

■ クナルとヘルマンドの水は適切に管理され、その上に発電用のダムが建設されなければなりません。 アフガニスタンは緊急に300万人の労働者を必要としています。

■ 中村医師の魂が安らぎ、記憶が忘れられないように! アッラーが彼を天国で祝福しますように! 彼はアフガニスタンにおける、日本の真の英雄でした。

■ 私たちの国は偉大な人を失いました。 中村医師は我が国の人々のために命を落とした英雄です。

■ 中村はこの土地と国に仕えることに夢中だった。 彼は人々の心の中に素晴らしい場所を作ったのだ。 偉人の家族へのご挨拶とお悔やみを心から申し上げます。

■  あなたがこの国に対して温かい気持ちを持っているならば、あなたの都市でカルダー(パキスタン通貨)を使うのをやめてください。 市場からパキスタンルピーを集めて燃やしましょう。

■ パキスタンの忠誠人と血まみれの野蛮な抑圧者が彼を殺した。 中村医師には敵がいなかったし、彼の唯一の目標は、残念ながら彼を守ることができなかった人々を支えることでした。

■ 街に中村の像を設置するべきだ。 一番良い通りの名前を中村に変更する必要があるし、彼が建てたすべてのプロジェクトと公園は、この偉大な人の名前を付けるのが当然だ。

■ アフガニスタンの人々、特にパシュトゥーン人は文盲ですが、同時に大きな期待を持っています。 中村医師は日本出身のアフガニスタン人でしたが、パシュトゥーン人も彼を守ることができませんでした。

■ 私たちアフガニスタンの国と人々は彼の死に罪悪感を持っている。ここアフガニスタンの人々は本当に中村医師を支持していた。 だから彼は月に28日間も村にいたのに、敵は彼を殺すことができなかったのだ。しかし残念ながら、政府の無謀さが彼をナンガルハール警察本部の近くで殺した。中村医師が誰に殺されたのかは誰にとっても明白だ。 そもそも彼の本当の殺人者はガニとアブドラであり、彼の2番目の殺人者はこれを防げなかった治安部長、警察署長、ナンガルハール州知事なのだ。

■ ああ、すごい男だ! あなたの魂が安らかになり、天国があなたの避難所になりますように! あなたを殺害した、不潔で醜い殺人者へ永遠の呪いを! あなたを殺害したのはパキスタンのISIと、彼らの不謹慎な内部争いから生まれた強欲なのです。

■ 彼は私たちの真の人道的な友人だった。私は人々に中村医師の功績と性格をモデルにし、日本と共に協力して人々の繁栄のために努力することを提案したいと思う。

■ アフガニスタンの歴史上の大統領、大臣、知事は、過去数年間、中村医師ほど人々に尽くしたことはありません。 この勇敢な男の魂が安らかになり、彼が思い出されるように! 審判の日まで彼の殺害者を呪います。

■ 日本人はいつも最高ですが壮大な誇りを持っていますか? アフガニスタン人は彼ら日本人からの無償の援助を決して忘れません。

■ 通常、誰かがアフガニスタンで権力を握ったとき、何者かが盗むか殺すためにやって来る。しかし悲しいのは、私たちの国の偉大な英雄を殺した人々だ。 私たちに残された唯一の言葉は、中村医師の魂が平和であり、彼の記憶が常に人々の心の中にあると言うことだ。 実際、彼は偉大な人物であり、中村医師がアフガニスタンで行ったほど多くのことを成し遂げることのできた人は他に誰もいなかった。

■ パキスタンを世界の地図から除外することはできますか? 彼らがこれからも無知のままでありますように。 中村医師の殺害がパキスタンISIによって行われていることは誰もが知っています。

■ イスラム教以外の世界のどの宗教も私たちに善行をすることを要求するだけだったが、全能のアッラーは人類全体に奉仕するためだけに地球上に人間を送った。中村はそのような人間の一人だった。

■ 私は、アフガニスタンのための水を保護するように、ヌナルハル州、クナル州、その他の州の人々に呼びかけます。 パンジャブ(隣国・パキスタン東部にある州)とテヘラン(隣国・イランの都市。アフガニスタンの首都カブールに住む住人で一番多いのがイスラム教スンナ派なのに対し、テヘランではシーア派イスラム教徒が大多数を占める)のスパイがこの地に暮らす人々を圧迫しないように、私は人々に中村医師のように未来のために働くように願っています。

■ 彼は真の日本人だった。 彼は僕の村にほんの数日住んでいただだったけど、僕たちと仲良くしてくれたんだ。 それとは対照的に、この国で生まれたアフガニスタン人は、外国人に奉仕するためにすべてを破壊している。 中村! あなたの思い出と素晴らしい仕事は、常にアフガニスタン人の心の中にあります。

■ 勤勉な日本人が常に最高の誇りを持ってくれますように。 中村医師の敬虔な魂への敬意を込めて心より挨拶を。 すべてのアフガニスタン人は彼の賢さと寛大さを誇りに思っています。

■ この国の政府はアメリカのテロリストを支援している。

■ 無能な政府はアフガニスタンの水をちゃんと管理しなければならない。 この不謹慎な国(パキスタン)が、俺達アフガニスタンの国の水を支配しているのだから。

■ 中村医師! あなたはアフガニスタンの抑圧された人々を助けました、神は喜び、アッラーはあなたの魂を助け、安寧の休息を約束するでしょう。 私たちアフガニスタンの人々もあなたのために祈っています。

■ アッラーが中村医師の魂に楽園を与えてくださいますように!

■ 俺たちの本当の敵は俺たち自身の無知が引き起こした混乱だ。そのせいで中村はこの土地の敵に殺されたんだ。

■ 非イスラム教徒の日本人が世界の最も進んだ先進国からアフガニスタンにやって来て、この国の人々を助けました。 中村医師は年配の(白髪の)人でさえ、できる限り支えました。しかし、哀れな殺人者は、中村医師の手にキスするどころか、中村医師を殺したのです。

■ 本当にすごい男だった! あなたはアフガニスタンの土地で殺されてしまったが、アフガニスタンはあなたを決して忘れません。 すべてのアフガニスタンの母親は物語の中で子供たちへ、あなたが命を懸けてこの国に尽くしたのを思い出し話すことでしょう。

■ 私たちアフガニスタン人は、中村医師の家族や友人にご逝去の報に接し、心からお悔やみ申し上げます。

■ 中村おじさん、ありがとうございました。 安らかにお眠り下さい、あなたに心から安寧の祈りを捧げます。 ああ、あなたがこんなに早く私たちの元を去ったなんて残念だ。 アフガニスタンとアフガニスタンの人々はあなたとあなたの努力を忘れません。 中村医師は私たちの心に残り続けます。私たちはあなたを守ることができませんでした。 許してください。

(ここまで一部プロのお仕事・今回の翻訳代金は73,400円でした)


<海外コメントからみた考察>

アフガニスタンからのコメントの多くは、やはり感謝の気持ちを伝えるものが多かったのですが、中村医師の鎮魂を願うコメントも非常に多かったです。今回の動画に対する評価は非常に高く、「いいね」が1,900に対して「良くない」がたったの1件でした。

数多くの武装勢力が乱立するアフガニスタンでは、何か事件が起きた際に武装勢力にとって利用価値があると判断した場合、複数の武装勢力が「俺たちがやった」と犯行声明を出したりします。そのため、どの武装勢力が真犯人なのかすぐには分からなかったりする場合があるのですが、中村医師が殺害された当日、即座にタリバンが「我々は関与していない」という内容の声明を出したのが印象的だったのを覚えています。

また、タリバンが犯人というコメントが散見されますが、タリバン幹部は中村医師の支援事業に非常に感謝しているうえ真犯人の捜査に協力的とのこと。現地の治安当局による捜査では、タリバンによる犯行の可能性は少ないとの見解が出ています。

ちなみに、タリバンのような武装勢力にも過激派や穏健派など多くの派閥があるため、すべての武装勢力が悪だとは言い切れない状況です。常に食糧不足のアフガニスタンでは、政府や地域を治める勢力や部族などの支配が及ばない地域では略奪や殺人が絶えないため、力のある組織が支配下に置くことで犯罪を抑制する、いわば武装勢力が一種の警察のように「犯罪に対する抑止力」になっている場合もあります。そのような地域では、住民も武装勢力による支配を歓迎することも多いとのことです。

現在は世界各地の報道(日本のテレビでも)で武装勢力が悪者として報道されていますが、そこには合法的に武装勢力に制裁を加えたい大国(もしくは大国間)の様々な利権がらみの思惑があるため、現地状況とは違う場合も多いのです。大国間の代理戦争の様相を呈している現在(過去もそうでしたが)、アフガニスタンにとって最も良くないことは武装勢力による支配ではなく、国際社会から孤立し様々な制裁を科せられ国民が食べていけない今の状況である、とも言われています。


<中村医師が考える真の支援とは>

アフガニスタンで2000年以上続く教えのなかに、「敵から追われている者を、自らの命を懸けて助けよ」という風習があり、文字通り最後までその手を差し伸べ続けたことに現地の人々から多くの共感が寄せられている理由があります。

しかし、現地に限らず中村医師が多くの支持を得ている背景には、現地で長年にわたって活動を続けてきたなかで、その土地に本当に必要な支援が何だったのか身をもって知っているから、とも言われています。

真の支援とは何なのか。中村哲医師の目指したものとは・・・。
アフガニスタンの現地状況を長年にわたり自分の目で見てきたからこそ詳しく知っている、中村医師による国会における発言の中にその想いが見え隠れしています ↓

第170回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号 平成20年11月5日

以下は上記国会議事録より抜粋

私は、実はおとといまでジャララバード北部にあります干ばつ地帯の作業現場で土木作業をやっておりました。なぜそうなのか。今日の議題と一見関係ないようですけれども、実はアフガニスタンを襲っているのは、最も脅威なのは大干ばつでありまして、今年の冬、生きて冬を越せる人がどれぐらいいるのか。恐らく数十万人は生きて冬を越せないだろうという状況の中で、私たちは、一人でも二人でも命を救おうということで力を尽くしております。そのために用水路の建設、これは冬が勝負のしどころでありまして、何とか完成しようということで力を尽くしておるわけであります。
 繰り返しますけれども、アフガニスタンにとって現在最も脅威なのは、みんなが食べていけないということであります。
 イギリスの著名な団体の発表によりますと、恐らく五百万人の人々がまともに食べられない、飢餓状態にあるというのがアフガニスタンの現実でありまして、このみんなが食べていけない状態、そのためにみんな仕方なく悪いことに手を出す、あるいは傭兵となって軍隊に参加するという悪循環が生まれておりまして、今日審議される事柄と決して無縁どころか、一つの大きな要因を成しておるのではないかというのが私たちの認識であります。
 例えば、穀物の自給率は半分以下、小麦の価格はこの一年で三倍から四倍に高騰しておりまして、普通の人々はもう生きていけない。私たちの職場でも職員百五十名の給与を過去五回にわたって上げましたけれども、それでも食えない状態と。一般の人々にとっては戦争どころではないというのが思いであろうかというふうに私たちは考えております。
 衣食足って礼節を知るといいますけれども、まずみんなが食えることが大切だということで、私たちはこのことを、水それから食物の自給こそアフガニスタンの生命を握る問題だということで、過去、ペシャワール会は干ばつ対策に全力取り組んできました。私たちは医療団体ではありますけれども、医療をしていてこれは非常にむなしい。水と清潔な飲料水と十分な食べ物さえあれば恐らく八割、九割の人は命を落とさずに済んだという苦い体験から、医療団体でありながら干ばつ対策に取り組んでおります。

<中略>

そんなに慌てなくていいから、現地にとって本当に何が大切なのかというのをもう少しじっくり見て決めてほしかったということがあります。
 みんなが食えないときに、あなたたちがこんな惨めな姿になったのも教育がないばかりになったのよと言わんばかりに鉛筆を配っていく。学校が悪いと言っているんじゃないですよ、教育が悪いと言っているんじゃないですよ。しかし、学校へ行くにも、子供が生きてなきゃ行けないじゃないですか。そういう現実を無視して上澄みの部分だけが突出して行われた。放送、道路、これは必要なものであります。しかし、それ以前にみんな生きていかなくちゃいけないということがどこか忘れられていた、このことが問題なんじゃないかというふうに思います。さらに、それを戦争で解決しようとすることによって、食えなくなった人たちが米軍の傭兵あるいは反政府勢力の傭兵として大量に流れていくという悪循環をつくってしまった。これがアフガン復興の現在の破綻の姿であろうと私は思います。


<難工事だったマルワリード用水路工事>

中村さんが上記の中で言及し力を入れている支援事業の一つに、用水路灌漑による砂漠の緑化事業があります。中村さんが造った用水路は、砂漠の中の真珠という想いを込めて、「マルワリード(真珠)用水路」と名付けられました。

支援について、日本人が支援するだけではなく、アフガニスタン人が自らの手で自分たちの国を造ってゆくのが大切、と中村さんは考えているようで、用水路を造った後の運営や修繕なども現地の技術で できなければ意味がない、とも言っています。

用水路の護岸に使う方法として、中村さんが選んだのが日本の伝統的な「蛇篭」でした。
この方法は石材が豊富に採れるアフガニスタンにおいて、コストもあまりかからず現地の人材で修繕・運営してゆくために最適な方法でした。

詳しくは以下の動画から

アフガニスタン 永久支援のために 中村哲 次世代へのプロジェクト

灌漑用水路の建設には最初から幾多の困難が立ち塞がりました。大河の流れもその一つ。大量の雪解け水を擁する大河クナール川は流れも速く、流れを用水路に引き込むための堰が何度も流されてしまい、難工事を強いられました。何度も工事が失敗するなか、中村さんは日本に解決策を探りに戻りました。現在の日本の堰は、コンクリートを使う方法なのでコストが高くつき、現地での修繕も難しいものになります。

様々な方法を模索していたとき、中村さんは故郷の福岡県で200年前に造られ、現在も崩れることなく取水口に水を送っている「山田堰」に活路を見い出します。
その後、この方法を取り入れた中村さんは地元アフガニスタンの人々と協力し、取水口を完成させました。

詳しくは以下の動画にて

武器ではなく命の水を 医師 #中村哲とアフガニスタン پزشکان ساتوشی #ناکامورا و افغانستان بخاطر آب زندگی به جای اسلحه

上記動画でも現場の最前線に立って作業を続ける中村さんが、現地の人々と同じ目線で喜び、悲しみ、働いているのが伝わってきます。

苦難の末、65万人の人々を支える灌漑用水路となったマルワリード用水路ですが、中村さんと事業を支えてきた現地の人々、そして中村さんの前に命を落とした伊藤和也さんやアフガニスタン人の殉職者の方々を抜きに語ることはできません。


<ペシャワール会と現地アフガニスタン人の絆>

長年、中村医師を支えてきたペシャワール会もそのような存在の一つです。
ペシャワール会は、公的な基金がほとんど投入されていないことで有名です。運営用の資金は数多くの日本人による善意の寄付で賄われているんですね。

現在のアフガニスタンは情勢が非常に不安定であることから、国際社会から孤立する道を辿っており、その被害者の多くは子供や女性、老人などの、いわゆる [弱者] です。中村さんの遺志を継ぐペシャワール会は何とか活動を模索しているのですが、現地の銀行から少しづつしか現金が引き出せなくなってしまい、現地アフガニスタン人スタッフの給料も滞納する事態に陥りました。

給料の未払いが2か月間続いたとき、現地スタッフは何一つ要求することはなかった、といいます。

そうこうする間に、灌漑地域内で作られた農作物がようやく収穫されましたが、事業の継続と未払いの給料、両方を払うのに十分な資金源とはいえませんでした。工事を進めるためには重機が絶対に必要だし、もちろん人員も必要です。

そんな中、開かれた現地とのオンライン会議で、現地スタッフから意外な言葉が飛び出しました。

「ハバラニシタ(問題ない)。11月分の給料も遅れていいから、早く重機をレンタルしよう」。17日、福岡市の同会事務所と現地をつないだオンライン会議。ひげ面のアフガン人たちが繰り返した。11月の支払いが滞れば、現地スタッフの給料遅配は10月と合わせて2カ月分になる。8、9月分の支払いも10月下旬まで遅れた。生活は苦しいはずだが、工事優先を訴えるスタッフに、同会の藤田千代子理事は何度もうなずいた。「ようやく本格的な工事を始められる」

「アフガン見捨てない」難局の人道支援事業、継続誓うペシャワール会 より引用

医者でありながら井戸を掘り用水路建設に没頭した故・中村哲医師。
自分の国をアフガ二スタン人 自らの力で豊かにする、という中村さんの想いは、地元のアフガニスタン人の人々にも受け継がれているようです。


<中村記念公園・・・中村医師の眠る場所>

現地からの声のひとつに、「中村医師の像を作って通りや公園に名前を付けるべき」というコメントもありましたが、実際は中村医師の名前を冠した公園が灌漑地域であるナンガルハル州に作られています。


マルワリード用水路で緑の大地に変貌を遂げた広大な農地が映し出されるこの動画には、中村医師の業績を称え造られた中村記念公園が映っています。2020年9月15日、中村さんの誕生日に合わせて記念塔も完成したとのことです。

この記念塔には ほほ笑む中村さんの肖像が描かれていますが、これはアッラーの教えが絶対なアフガンの地では異例中の異例とも言われます。

最近、中村医師の肖像画が描かれた壁が塗りつぶされる事件がありました。これは敬虔なムスリム(イスラム教徒)が守る教えの一つに偶像を崇拝してはいけない決まりがあることから非常にまずいことであり、描かれているのがたとえ神様だったとしても消さなくてはいけない場合があるとのことです。


現地アフガニスタン人に心から愛された中村医師。
中村さんの遺骨の一部は、生前の中村さんの意向により現地に分骨されました。

骨は、用水路で緑に生まれ変わった砂漠に埋めてほしいー。アフガニスタンでのかんがい事業のさなかに凶弾に倒れた福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の中村哲医師(73)は1年前、右腕と信頼する現地スタッフにそう打ち明けていた。過酷を極めた建設作業の末に美しい農場や公園に姿を変えた一画は、中村さんが特に愛した場所。来日したアフガン人スタッフは遺骨の一部を持ち帰り、現地に埋葬する考えだ。 12日に福岡市内のペシャワール会事務所で会見したジア・ウル・ラフマン医師(64)は「『私がもし死んだら、骨はガンベリに埋めてほしい』と中村先生はおっしゃっていた」と話した。

「ガンベリ」とは、アフガン東部にある砂漠の名前。幅4キロ、長さ20キロにわたり、地元では「死の谷」と恐れられてきた。「ガンベリのように喉がカラカラだ」という言い回しもあり、用水路を通すと中村さんが言うと、周囲は冗談だと受け止めていたという。

<中略>

11日に営まれた告別式に参列した後、火葬場にも赴いたジア医師は「夫であり、父であり、友人であり、師であった人を亡くした。何百万人ものアフガン人が悲しみ、嘆いている」と沈痛な表情を浮かべた。「記念公園は先生が非常に好きだった場所。帰ったら、先生のメモリアルのような場所をつくりたい」
「骨は緑に変わった砂漠に」中村哲さん1年前に託す 現地にも埋葬へ より引用


<生まれ変わったガンベリ砂漠>

マルワリード用水路によって緑の大地に生まれ変わったガンベリ砂漠とは、どのような場所なのでしょうか?用水路が通る前の様子は、次のように非常に過酷な場所であった、とのことです。

ガンベリ砂漠はアフガン東部では有名で、幅4キロ、長さ20キロ、ジャララバードからラグマン州に至る近道だが、古くから「死の谷」として知られる。幾多の旅人を葬り去り、ソ連軍の戦車隊にも恐れられた。ここを通る者は、かなたに浮かぶ緑地が近くに見えて道を急ぎ、しばしば水無し地獄の中で力尽きてたおれる。東部の住民の間では、「ガンベリのようにのどが渇く」という言い回しがあるほどである。そこを用水路が貫通したので、地元には奇跡として大きな話題になった。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/566695/ より引用

以下の動画では、全長25.5kmのマルワリード用水路がどれほど広大な砂漠を緑の大地に変えたのか、を少しだけ見ることができます ↓

Dr. Tetsu Nakamura's Services in Afghanistan - Japanese Canal in Nangarhar Province (鉄仲村 アフガニスタン)

上記動画では、16,500ha( 約65k㎡ ≒ 東京・山手線内側の面積は63㎢ )もの広大な灌漑地域に、65万人もの人々の生活が支えられている緑豊かな様子が映し出されています。


<現在のアフガニスタンとペシャワール会>

アフガニスタンでは麻薬栽培が問題になっていますが、情勢不安と大干ばつで国民の半数が満足に食べていけないのが元凶だと中村医師は言います。急速に広がる砂漠では通常の作物は育たず、過酷な食糧難から家族を養ってゆくためにケシ栽培の作付面積を増やす農家が後を絶たないのだそうです。

実際に、中村さんとペシャワール会が広げた灌漑エリアでは食料の自給自足が可能になったことから、ケシを栽培する農家は1件もなかったとのこと。同灌漑エリアでは、他の地域よりも犯罪が減少しているとの声もあります。

石と砂漠とイスラムの国、アフガニスタンにおいて命懸けで多くの生命を救ってきた中村哲医師。
中村さんの遺志を継ぐペシャワール会と現地の住民たちによって、医療支援をはじめ、緑の大地計画などの事業が今後も継続して行われるとのことです。


<もうひとつの物語>

ここまで、アフガニスタンで支援を続けていた中村哲医師を紹介してきました。
実は、中村医師以外にも海外で命を懸けてその国の人々に尽くしている日本人が大勢います。

多くを紹介することはできませんので、ここからは そんな「もうひとつの物語」を紹介したいと思います。


国土の3分の2をサハラ砂漠が占める国、ニジェール共和国。
ここニジェールは国民の48%が1日100円以下で生活するなど、世界屈指の貧国の一つ。極度の貧困により強盗や窃盗、殺人などの犯罪が頻発するニジェールは、外務省が発表する渡航情報で危険度が最も高い、赤で示されている地域がほとんどです。

もちろん医療や保険制度もないに等しく、全国に外科医は3人しかおらず、少し大きな病院での入院は1泊なんと25,000円。
1泊で年収相当のお金がかかるので、ほとんどの人は病院で治療を受けることができません。

そんなニジェールで、貧しい人々を救い続けてきたのが 日本人外科医の谷垣雄三医師です。ニジェールの首都・ニアメから東へ780km離れた 人口およそ3万人の小さな町・テッサワでは、在留日本人は谷垣雄三医師の1人だけ。


谷垣さんがおよそ8,000万円の私費を投じ、この地に地方外科パイロットセンターを建設し夫人と移住したのが1992年2月のこと。その後、36年間にわたりこの国の人々を治療し続けてきました。

詳しくは以下の動画にて(CM削除しました)
悲劇の大地で戦う日本人たち


以下、動画の書き起こし(途中に多くの中略を挟みます)

テッサワはニジェールの地方都市。この町にある、テッサワパイロットセンターはベッド数118床の外科病院。常時100人以上の入院患者がおり、1日20人~30人の患者が訪れます。この日もおなかが異常に膨らんだ少女が。病院で唯一の医師が、谷垣雄三さん(66歳)です。
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谷垣さんは15年前、この病院を作りました。今年の1月、国からの圧力で一時閉鎖した後、9月に新しいスタッフと病院を再開したばかりでした。今の6人のスタッフは全員、今年看護学校を卒業したばかりの新人看護師です。手術のサポートもまだまだ未熟。不手際が多く、そのたびに普段は温厚な谷垣先生の怒鳴り声が手術室に響き渡ります。

少女は「腸チフス」でした。劣悪な井戸水が原因でチフス菌に感染したようです。すでに腸に穴が開き、ガスが腹部に充満していました。あと少し開腹手術が遅かったら、手遅れになっていたでしょう。

谷垣先生は、たった一人で年間1,000件以上の手術をおこなっています。谷垣先生に娘を診てもらった母親は「先生がいなかったら、この娘はどうなっていたか分からない。先生に命を救ってもらったんです」

ニジェールには保険制度がなく、医療費はすべて自己負担。そのため、ほとんどの人は病院に行くことができません。
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谷垣先生「9月10日から(病院を)始めて、わずか10日間の間に4人亡くなってますから」

この病院に来る患者の多くは、経済的な事と医療施設が近くにないという理由で手遅れの場合が多いのです。
これがニジェールの現状です。

1982年、ニジェールへやって来た谷垣先生は、特に酷い状態だった地方外科医療の見直しを政府に提案したのです。しかし・・・

谷垣先生「とてつもないお金がかかるだけで先進国のヒューマニズムっていうのは、ニジェールに導入しないでくれって。それをしてもニジェールはとても維持することができないって、そういう結論なんです。それには本当に(地方での)外科医療をどうしたらできるのか。それがパイロットセンターを開いた目的です」
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自分のお金8,000万円を投じて、テッサワにパイロットセンターを設立したのは1992年でした。
谷垣先生は貧しい人たちも払える、安いお金で治療を受けられる病院を作ったのです。

ここでは日本の医療の常識は通じません。少ない物資の中でいかに効率よく多くの人の命を救うか。15年間の経験で、先生が編み出した方法です。

日本の新聞紙は丈夫なので、滅菌すれば何にでも使えます。日本の支援者から送ってもらっているタオルは、ガーゼに劣らず血液の吸収に優れています。そして、日本では台所で使う手袋を手術用に。これらは単にコストを抑えるためではなく、現地の実情に合った代用品。むしろ使い勝手は良いほうだ、と先生は言います。日本では全身麻酔するような手術でも、ほとんど局所麻酔で対応できることも分かりました。患者は痛がる事もなく、手術は進みます。

1日2~3件、多い時には4件も手術をする先生。忙しい時にもってこいの食事があります。
粟の実を挽いてお湯で溶かした「ココ」
現地の人たちの主食です。
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これに先生は、日本から送ってもらっている、大好きな きな粉を混ぜて食べます。
数少ない、贅沢のひとつ。
飲み込むように食べられる、この現地の食事は時間のない先生にはもってこい、パワーの源でもあります。


ニジェールの人たちの命をこれまで大勢救ってきた谷垣先生。
しかし、そのために一つの尊い命を失っていたのです。

忙しい一日が終わりました。急患が入るといけないので、先生は病院へ歩いて行ける場所に自宅を持っています。

家に帰って来ると、最初に向かう場所がここです。
また、家を出る時もここに立ち寄ります。

そして、いつも語りかけるのです。
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ここに眠っているのは、奥さんの静子さん。
8年前、原因不明の高熱を出してここ、ニジェールの地で亡くなりました。
静子さんとは谷垣先生の母校、信州大学医学部のある、長野県松本で出逢いました。29歳で結婚、貧しい人たちのために働きたい、という先生の夢を叶えるために、共にニジェールに渡りました。

以来、いつも傍らで応援してくれていたのです。
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そんな奥さんに、谷垣先生は今も感謝する毎日です。

忙しい毎日を送る谷垣先生。
唯一、ほっとできるのは、奥さんのお墓の前です。
先生は口にこそ出しませんが、ここニジェールの地に骨を埋めるつもりのようです。

谷垣先生を一番支えてくれていた静子さんは、今も先生を見守っています。
その奥さんのお墓の横には、もう一つ分のスペースがちゃんと用意されていました。
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病院の数があまりにも少ないため、日本では簡単に治ってしまうような病気でも、ここニジェールでは命取りになってしまう現状。谷垣先生はニジェールの人たちの命を救うため、今日も戦っているのです、たった一人で・・・。

谷垣先生は2017年3月、ニジェールの自宅で息を引き取ったとのことで、葬儀には300人のニジェール人が駆け付け、その後本人の意向により自宅にある妻・静子さんのお墓の横に埋葬されたそうです。
享年67歳でした。


今回は、命を懸けてアフガニスタンの砂漠を緑豊かな大地に変えた中村哲医師の動画に寄せられた海外のコメントを見てきました。今回の記事は2016年に予定していた記事であり、惜しくもその後中村哲医師と谷垣雄三医師の2人とも亡くなってしまわれたのですが、当時からどうしても書きたかった記事でしたので、慎みながらここに掲載させていただきました。

本日12月4日は故・中村哲医師の命日となります。

多くの人々を救ってきた中村哲医師をはじめ、谷垣雄三医師、伊藤和也さんやアフガニスタン人の殉職者の方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

アフガニスタンで65万人を救った中村哲。医師でありながら用水路を作った理由とその源流

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中村哲医師特別サイト 一隅を照らす

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